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堀之内村の橋

2017-07-28 06:24:22 | 善福寺川6

 「東京府志料」は「善福寺池流」にかかわる橋梁リストを載せていますが、うち堀之内村関係は次のようになっています。「板橋三 堀ノ内村ニアリ一ハ天正寺橋長二間半幅一間一ハ前田橋長二間半幅一間一ハ子ノ神橋長三間幅五尺」 これを→ 「堀之内村絵図」→ 「東京近傍図」と照らし合わせてみると、熊野神社前を通る下総往還などと呼ばれる古道や、方南方面から妙法寺に至る妙法寺道にかかわるものです。

 

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    ・  「迅速測図 / 東京府下武蔵國東多摩郡高圓寺村(部分)」  「東京近傍図」と重なりますが、色彩がある分読み取り安く、また本村橋手前の水車など、若干異なるところもあるため、あえてUPしました。 

 「村絵図」に書き込まれた字名から推測すると、天正寺橋は大正寺橋の誤記で、下総往還の右岸流側に架かる橋、前田橋は本流側に架かり、現在は本村(ほんむら)橋と呼ばれているものです。ただ、ここでの本流、右岸流の区別は現在を基準にしたもので、二つの橋の大きさが全く同じことや、「迅速測図」の描き方などからは、その区別は意識されていなかったのでしょう。次の子ノ神橋は妙法寺道にかかわるものですが、「東京府志料」の当時、本流と右岸流のどちらに架かっていたのか不明です。ちなみに、「杉並の川と橋」(平成21年 杉並区立郷土博物館)に掲載された、環七通り開通以前と注記入りの概念図では、北側のものが堀ノ内橋、南側のが子ノ神橋となっています。

 

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    ・ 本村橋  平成18年から継続していた善福寺川改修工事(済美橋・和田堀橋間)は完成し、本村橋や 奥に見える→ 堀ノ内橋は新しくなりました。

 <嘉陵紀行> 文政9年(1826年)4月28日の「嘉陵紀行」の一節です。「堀の内村妙法寺にまふで、それより大宮村八幡宮に参拝す、其道すがら妙法寺の門の前を南に行、人家二戸許在処のかどより右に横折て、少し高き処に上る心地にて、又少し下りゆけば、水車聞ゆる所を、右に見て田間を行、又山徑に入て一條の馬道に出、此馬道は即ち八幡宮の大門の通り也」 この道順を追ってみると、妙法寺前から妙法寺道を南に下り、途中右折して下総往還に入り、下って田圃の中を抜け、又山道に入って大宮八幡の通りに出る、ということになります。とすると、途中「水車聞ゆる所を、右に見て田間を行」のところで、水車前に架かる前田橋(本村橋)を通り、次いで大正寺橋を渡ったのでしょう。