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神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

稲荷堀

2019-10-21 07:02:54 | 平川・外堀3

 箱崎橋から箱崎川をさかのぼります。すぐに左手への入堀がありました。「土井堀 甚左衛門町の南なる入堀なり。昔堀の東辺に土井氏の屋敷三家並び在しゆえ呼名とす。又こゝに稲荷社立るを以て、稲荷(とうかん)堀とも称せり。此堀は南北とも通ずる処なく、中ほどより西の方酒井雅楽頭屋敷内に入り、同屋敷四境に添て小網町の入川に達せり」(「御府内備考」) 最後の「小網町の入川」は東掘留川のことです。なお、引用文中の土井氏三家とは、家光時代の大老土井利勝の子供三人が興した大名家、酒井雅楽頭も同じく家光時代の大老の家系なので、幕府創設期の重臣たちの屋敷地(中屋敷)だったことになります。 

 

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    ・  安政6年(1859年)の切絵図  蛎殻町公園に掲示されていたものの一部で、堀川をブルーで強調しています。

 明治に入り「東京府志料」では土井堀の名はなく、稲荷堀のみとなっています。「此堀ニ続ケル下水小網町二町目ノ稲荷社前ニ通セルヨリ此名ヲ得タリ 延袤五町幅凡八間狭キ所三間小舟ヲ通ス」 上掲「切絵図」の元図である尾張屋の「日本橋北内神田両国浜町明細絵図」(嘉永3年新刻、安政6年再板)を見ると、赤く囲んだところに「イナリ」とあり、名前の由来となった「小網町二町目ノ稲荷社」のことと思われます。

 

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    ・ とうかん堀通り  稲荷堀を埋め立てたあとにできた→ とうかん堀通りの起点です。箱崎川から分岐したところに、汐留橋が架かっていました。

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    ・ 小網神社  とうかん堀通りの延長上にあり、この奥が東堀留川です。この神社も元は稲荷社ですが、「切絵図」の稲荷は明星稲荷といい、別の所に現存しています。