神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

八丁堀2

2019-10-11 06:31:55 | 平川・外堀2

 八丁堀は明治の初めに、接続する楓川との対で桜川と命名されました。江戸時代には稲荷橋、中の橋の二橋しかなく、明治に入り桜橋が、そして震災後、新桜橋、八丁堀橋が架けられ、中の橋が新大橋通りに架け替えられました。埋め立てられたのは他の堀川より遅く、昭和30年代後半からで、上流部分から段階的に工事が進み、同41年頃までに中の橋まで完了、最後に残った河口部分も、昭和50年代に埋め立てられ、桜橋第二ポンプ所の敷地となりました。このように埋め立てが遅かったため、その跡地の細長いスペースは現行の地図でも確認できます。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 桜川公園は八丁堀跡そのままの細長いスペースです。なお、元の中の橋はこの公園の中ほどに架かっていました。  

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    2. 震災復興で新大橋通りが開通した際、中の橋もここに架け替えられ、十数年前まで現存していました。  

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    3. この区画は目下工事中でフェンスで囲われており、2.と3.の写真は数年前の撮影です。

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    4. 桜橋ポンプ所前です。明治の初めに桜橋が架けられました。石造アーチ橋に鉄製の高欄という、当時としては珍しい構造だったとか。  

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    5. 楓川との合流地点手前です。右写真は左手からのショットで、低地になっているのがわかります。