神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

弁天町の支流2

2018-11-05 06:44:37 | 蟹川

 弁天町方面からの支流をさかのぼります。済松寺境内を離れて、弁天町交差点手前で外苑東通りの西側にシフト、同交差点の西側で早稲田通りを越えます。もっともこれは、外苑東通りが開設され、早稲田通りが整備、拡張された昭和の初め以降のことで、元々は境内の西南角で、早稲田通りとクロス、そこに轟(とどろき)橋が架かっていました。谷筋を越える旧道の例に違わず、この区画の早稲田通りも、(神楽坂方向からみて)右折、左折のクランクになっていて、轟橋のあったのはクランクの中程です。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)  

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(大正10年第二回修正) / 早稲田」  上掲地図と同一場所、同一縮尺です。 早稲田通りの改修、暗渠後の「昭和12年第四回修正」は→ こちらです。

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    1. 左手に茂みの見える済松寺境内を離れ、斜行して外苑東通りの右手にシフトします。

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    2. 右手に入る旧早稲田通りの奥、弁天町交差点の手前で右折、外苑東通りを離れますが、そこに轟橋が架かっていました。 

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    3. 弁天町交差点の西側で早稲田通りを越えます。越えた先から水路跡が復活します。

 <轟橋、どどめき> 「石橋 巾弐間長七尺八寸 右は町内西之方往還下水ニ掛渡有之里俗轟橋と唱候」「御府内備考」の牛込榎町の項の記述で、下水については「巾七尺 右は町内西之方往還ニ有之候」と書いています。また、別のところには、「町内西之方轟橋近辺どゝめきと相唱候場所有之右は轟橋御座候ニ付里俗ニ相唱候」とあり、→ 「寛文図」にも「サイセウ寺」南西のクランクのところに「どゞめき」と書き込まれています。なお、早稲田通りのクランクは昭和の初めにショートカットされ、その際水路も暗渠となったため轟橋は失われました。