神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

下高井戸村分水2

2017-11-29 06:03:18 | 神田川2

 「上流編(神田川)」を最新の写真を元にリメイクします。その二回目のクールの範囲は、久我山駅前に架かる久我山橋、清水橋から永福通りに架かる永福橋までで、江戸時代の村名でいうと、上下高井戸村に当たります。前クールと同じく神田川の左右には、昭和30年代まで田用水が並行しており、その間を行き来しながら下流へと向かいます。

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 下高井戸村分水の二回目で、向陽中学前の合流地点からさかのぼり、間もなく八幡神社の南側に出ます。相変わらずの車止め、段差付きの路地が続き、単調ですが迷うことはありません。ところで、この分水は昭和30年代中ごろまで田用水として機能したあと、宅地化の進行に伴い、そのまま排水路に転用されました。昨日UPの→ 「昭和38年空中写真」にはスリット状の蓋が写り、排水路への転用が進行している様子が分かります。この機能は現在も維持されており、「下水道台帳」を見ると、合流先の右岸流も含め「公共溝渠・暗渠」となっています。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 前回から引き続き西に向う路地で、交差する道路ごとに車止めでガードされています。

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    2. 八幡神社の南側です。→ 「段彩陰影図」を見ると、八幡神社は三方を低地に囲まれた台上にあります。

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    3. 藤和橋に出る通りを越えます。近くに幼稚園や保育園があるからでしょうか、1.と同様車止めが重なるように設けられています。 

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    4. かってはこの水路の左右に、幅50m弱の細長い田圃が続いていました。

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    5. 時々姿を現す送電線は北堀線で、しばらく並行したあと神田川沿に和田堀変電所に至ります。