千川上水がV字ターンする南長崎6丁目交差点から東に2kmほどのところに、「大江戸のしっぽのあたり鼠山」と川柳に読まれ、→ 「江戸名所図会 / 落合惣図」にも描かれた鼠山があります。町奉行所の支配する江戸御府内(墨引き)の北西端に位置し、武蔵野の原野の広がるこの地には、三河以来の譜代大名、磐城平藩安藤家の下屋敷があり、三代将軍家光も狩りで度々訪れたといいます。なお、名前の由来としては、源頼朝、あるいは太田道灌が陣を敷き、寝ずの見張り番をたてたので「不寝見(ねずみ)山」、あるいは、ネズミが多いのでという、そのままのものもあります。
- ・ 「段彩陰影図 / 長崎」(1/18000) グレーの三角が磐城平藩安藤家の下屋敷、二万八千六百余坪、その西の丸い台地が鼠山です。オレンジ線は区境で大半は豊島区、そのほとんどが旧長崎村です。なお、「明治42年測図」に描かれた谷端川を重ねました。
- ・ 徳川黎明会 安藤家下屋敷のあった一角は、のち徳川侯爵家が所有、昭和6年(1931年)に徳川黎明会を創設しました。尾張徳川家所有のコレクションなどを管理、公開する財団法人です。
- ・ 目白の森 鼠山の一角のマンション予定地1000坪弱を区が購入、平成9年に区立公園となりました。 → 園内には邸宅当時の緑が保存され、池も設けられています。