神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

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西久保八幡

2014-11-22 07:19:52 | 城西の堀川4

 地下鉄神谷町駅の先で、桜田通りは上り坂に差し掛かりります。坂上は外苑東通りとの飯倉交差点で、この西久保の谷筋もこれまでと同様、外苑東通り手前が谷頭です。上り坂に差し掛かる手前の右手に一帯の鎮守、西久保八幡神社が祀られています。→ 「段彩陰影図」で、谷頭を二分するようにつき出している、小さな舌状台地がありますが、その先端が境内地です。社伝によると。寛弘年間(1004~11年)に源頼信が岩清水八幡を勧請して創建、当初は霞が関あたり(榎坂とも)にありましたが、太田道灌の江戸城築城の際、当地に遷りました。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いを前に、二代秀忠の正室崇源院(お江)が戦勝を祈願、下って寛永11年(1634年)、その遺志により社殿が造営されました。

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    ・ 「江戸名所図会 / 西久保八幡宮」  社殿はその後何回か焼失、再建が繰り返され、「図会」に描かれているのは文政元年(1818年)に再建されたものです。なお、江戸時代には境内で大相撲も行われ、大いに賑わったそうです。

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    ・ 桜田通り  神谷町交差点から二百数十メートル、飯倉交差点への上りに差し掛かるところで、下掲写真の西久保八幡神社の鳥居前からの撮影です。

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    ・ 西久保八幡神社  鳥居前に架かっているのが、前回の最後に触れた熊谷橋の遺構ですが、いつ撤去され移されたのかなど、詳細は不明です。

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    ・ 西久保八幡神社  台上にある社殿は昭和20年(1945年)3月に戦災で焼失し、同28年再建されました。なお、境内には縄文時代の遺跡、貝塚の存在が確認されています。