わたし、空蝉の空蝉たるものを形成したものは、
内向的な性格であったり、両親の離婚、空手、二件の事故、その影響による障害、
障害者雇用、生活苦などの経験が自分を『色付け』していったと思われる。
まぁ、それまでの苦しみは大変なものであったが、
その先に何があるのか、何もないのか、このまま続くのか、
おそらく誰にも誰にもわからないだろう。
それは「空蝉の人生」だから、誰の経験論もあてはめることも出来ないことだから
あまり、「運命論」は好きじゃない、
受け入れれば「仕方ない」という言葉も甘受してしまう。
かと言って、今の自分が「悲劇のヒーロー」とも思っていないし、
「不幸のどん底」とも思っていない。
さすがに、空手の事故の時は「どうしてだ!?」と、思って悩みまずいスパイラルにはまっていた。
爆発事故の時は、被爆したのが自分だけという気軽さもあって楽観的であった。
空手の事故の罪悪感もひきずっていたので、「このまま死んでも」と思っていた。
この思いは、去年まで思っていた。
そんなこんなもわたしの『色』なのだろう。
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内向的な性格であったり、両親の離婚、空手、二件の事故、その影響による障害、
障害者雇用、生活苦などの経験が自分を『色付け』していったと思われる。
まぁ、それまでの苦しみは大変なものであったが、
その先に何があるのか、何もないのか、このまま続くのか、
おそらく誰にも誰にもわからないだろう。
それは「空蝉の人生」だから、誰の経験論もあてはめることも出来ないことだから
あまり、「運命論」は好きじゃない、
受け入れれば「仕方ない」という言葉も甘受してしまう。
かと言って、今の自分が「悲劇のヒーロー」とも思っていないし、
「不幸のどん底」とも思っていない。
さすがに、空手の事故の時は「どうしてだ!?」と、思って悩みまずいスパイラルにはまっていた。
爆発事故の時は、被爆したのが自分だけという気軽さもあって楽観的であった。
空手の事故の罪悪感もひきずっていたので、「このまま死んでも」と思っていた。
この思いは、去年まで思っていた。
そんなこんなもわたしの『色』なのだろう。
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今日は、どす黒い赤。悲しい。
毎日、色を変えていきませんか?
毎日、同じじゃ面白くない。
サクラ、まだ咲いています。
薄い桃色、きつい色じゃない。
もう少しサクラ、やさしいサクラ
見ていたい。
そうです、桜は散る為に咲いています。
川は止まっていては、体を成さない。
私はキリスト教徒じゃないけれど、
十字架を背負ってゴルゴタの丘を
登っているような気がします。
それは大事な人の一生を奪ったという
「十字架」です。
これはどんなに楽しいことがあっても
一生心底笑えないような重いものです。
ひとは「事故」と言いますが・・・
重たい過去を持った私に いっときですが、
休みをくれます。満開時期だけ。
そして、この先、私にも「記念日」が
やってきます。あの時のあの場所に
行こうかと毎年考えます。しかし、
行動に移したことはありません。
今年こそは、行けるのか。その日1日が
終わるまで悩み苦しんだあと、
後悔しか残らないのが、今までです。
そもそも、行かなければならないのか。
わからないままです。
事故の後、葬儀に行ったのですが
居たたまれなくて、逃げ出したくなりました。
稽古をする気ににもなかなかなれませんでしたが、
責任ある立場だっただけに、
逃げるわけには行きませんでした。
そして私は壊れました。
ちょうさんは行かずに済むのであれば、
行かない方が私は良いと思います。
シュチュエーションは私と違うでしょうが・・・