「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

読まずに死ねるか!(書籍紹介) 「『対人援助の現場で使える聴く・伝える・共感する技術便利帖 大谷佳子 著』職場や資料作りの参考文献」

2024年06月21日 00時13分22秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
この本は職場にあって、私が研修で登壇する際の資料として読んでいて、「これは買わねば」と思い購入しました。前回紹介した雑誌「臨床心理学」もそうです。去年やった研修なので同じ原稿でも良いのですが、なにせ「飽き性」なものでマンネリが許せない。
私が担当するのは「コミュニケーションの基本」という所なので良い資料になりました。読んでいると自分のやっていることを再確認できたり、「あぁ、こういう風なやりかたもあるのか」と気付かされることも多々ありました。専門職の方向けでお勉強になると思いますよ。やりとりの具体例も豊富で説明もごく易しい物になっています。シリーズになっていて、計5冊出ていて傾聴や勇気づけなどに分けて出ていて、今回紹介したのは「入門編」みたいなものです。大谷さんは別の出版社からもコミュニケーションに関する書籍を出していますので検索してみてください。その本も解りやすいものになっています。(回し者じゃない)
日常のコミュニケーションにも使えるので、介護している家族や障害者家族にも使えると思います。もちろん、管理職にも。

※サンプル画像より


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読まずに死ねるか!(書籍紹介) 「『臨床心理学第16巻第5号―治療的コミュニケーション(金剛出版)』-コミュニケーション学習」

2024年06月18日 23時06分50秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
病院にいたときから、病院が定期購読していたのを借りてきて職場で読んで「これは良い」と思ったのは買ってたりしてました。で、何冊目かのこれです。
ちなみに2016年9月発行のものです。
内容は医師や心理士などが書いていますが、精神疾患から子供や認知症の患者さんとのコミュウニケーション、それぞれに関わっている方々が別々に書いてありますが、「傾聴」「会話」「観察」「幻聴が聞こえる方とのコミュニケーション」「トラウマケア」「虐待親」「少年受刑者との関わり方」「過去を振り返る」などなどです。
「あぁ、そうだな」とか「はっ!そういうことだったんだ。」と思うことがあって大変参考になりました。
私の考えですがコミュニケーションにはしっかりとした基礎部分が必要で、これはなにも特別な術ではなくて、家族や友人との日々の何気ないやりとりからでも養えるものだと思います。まっ、そういうことをやる仕事であったり、コミュニケーション能力を磨きたい人にとってはと言うことですが…。私のように『病的』に、人のことが気になってドンドン進んでいくのもどうかな?と我ながら思うのですが、なにせ『病的』なのでご容赦ください。初手として「相手に興味を持つ」ということが大事で、そう思うと「どんなことを考えているんだろう?」「どんな人なんだろう?」と知りたくなる。それをするためには、話す環境や話し手の気持ちなどを考えながら接していくことが必要で、ただ「聞きたいだけ」の興味本位では話し手に「なんだよコイツ」と思われるだけです。悪意やいい加減な気持ちは結構見抜かれます。「引く・押す」という術は当然持っていなくてはならないでしょう。
こちらの自己満足=自己満ではなくて、話し手である他人が満足する=他人満でなくてはね。
どんなことでもそうなんだと思います。よく身勝手にものを売りつける店員はまさに自己満。相手がなにを欲しいか考えて、店の中にそれに近いものがあるか、あれば客がそれに納得するための店員の技術は必要でしょう。相手の意向に沿って勧めるとお客さんが「これを買って良かった」と思うでしょうね。ここまで来るには応用的な術が必要で勉強が必要なんだと思います。反面、「なんでこんなの買ったんだろう?」と客が思って、返品したり即ネットで売ったりするようなものしか勧められない店員じゃあプロ辞めた方が良いね、ということです。

話しは大いに脱線しましたが…

この本、読まずに死ねるか!!













うつせみ和尚のお説教 「最近、気になる言葉『確かにぃ~』そんなに世の中に確かなものなんて無い」

2024年06月15日 15時02分53秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
題名書いたらもう書かなくていいな、と思ってしまいました(笑)
最近気になる言葉は、元々はTV発信なんでしょうが、妙に気になる。というか「そりゃどうなんだい?」なんて思う。

『確かにぃ』
特に語尾の「ぃ~」が気に障る。
テレビを観てるとNHKのアナウンサーも連呼してる。話し言葉って、どんどん移り変わって行くものだから、私がここで踏ん張ったところで、どうしようもないのですが、ちょっと言葉にこだわりがあるので最近の傾向が気になります。本の文章がそのまま話し言葉になるわけじゃないけど、本を読んでいるとそれに近くなる、影響されるというわけです。その意味で言うと「確かにぃ」というのもTVに影響されているのですが、どうもTVのバラエティで話される言葉は崩れすぎているように思えて成りません。本はさすがに話し言葉で書くことは少ない、やわらかい本だと話し言葉に近づきますが、それでもバラエティほど崩れていない。今さら「まろは・・・」という平安貴族のような話し言葉にしなさいとは言いませんが、ここで釘を刺さずにいられなかった。
釘?針?
私がここで書いたって、世の中に影響がないので「無痛針」かぁ…。










うつせみ演芸の時間&奇論、迷論人物評 「桂ざこばさん死去-豪快な語り口で泣き虫だった師匠」

2024年06月13日 13時58分16秒 | うつせみ「演芸の時間」


繁昌亭口上

二代目 桂ざこばさんが亡くなりました。
ここ最近、上方の芸能人が立て続けにお亡くなりになって誠に残念なことです。キダタロウさん、今くるよさん...。
私が若いころ大阪にいたときに「米朝一門会」「桂米朝独演会」「桂枝雀独演会」「桂ざこば独演会」によく行ってました。米朝一門の中では、枝雀さんとざこばさんは異端な感じで、米朝さんの精緻な語り口とはかけ離れていました。それでけに面白かった。感情の起伏が激しくて。
ざこばさんで言えば「豪快な語り口」で、どちらかというと「六代目 笑福亭松鶴」さんのような感じです。独演会に行ったときに「猫の忠信」という噺を最後にやったのですが、ざこばさんにとっては大きな挑戦だったと思います。登場人物や語り口などは、いつものざこばさんというわけにはいかず、細かな描写が必要だったのです。その当時は「ざこば・鶴瓶のらくごのご」という番組をやっていて、これは観客から三つのキーワードをもらって、一旦楽屋に引っ込んでその間に噺を即席で作って落語をするという番組でした。この手法(三題噺)は元々寄席であったものをテレビ番組として作ったものですが、鶴瓶さんはフリートークが得意なので無難にこなしていましたが、ざこばさんは苦手だったようで、練り切れずに舞台に出て泣く日もありました(笑)そんな番組に出ていたこともあって、独演会は盛況でそんな中「猫の忠信」をやったわけですが、本人の思う噺の出来ではなかったようで、幕が下りるときに「あきまへんでした」といって幕が下りたのですが、まだ話していたので一旦幕が止まって「下げておくなはれ」といってまた下がったということがありました。これもまたざこばさんらしいエピソードです。
小さい寄席でGWに一週間落語家が入れ替わり、独演会や一門会をする時があって、その時にも見に行って、その当時「米朝一門会」に出演する落語の出し物はすべて米朝さんが決めていて、先ほど言った「らくごのご」で人気だったざこばさんの出番には米朝さんが「らくごのご」と書いて、ざこばさんが出ていました。「だって、米朝がそう書いたんや」といいながら(笑)
思い出すと、自分は結構ざこばさんの落語を聞いていたんだなと思いました。私の好みは米朝さんなんですが(笑)
今、上方落語は多くの噺家さんがいていいのですが、ざこばさん、松鶴さんのような「型」の噺家さんていないなぁと感じます。
ちなみに「ざこば」というのは、魚市場のことで「雑魚場(ざこば)」が語源です。

ただただ、残念

南無三




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淀長の世界 「遅ればせながら『パーフェクトデイズ・PERFECT DAYS』を観ました。」

2024年06月09日 18時47分13秒 | 淀長の世界
退院してすぐぐらいに観に行った映画です。
あっ、膝の手術で10日ほど入院していました。

主人公は役所広司さん
脇には渋い役者さんがそろっております。三浦友和、あがた森魚、石川さゆり、田中泯、柄本時生、麻生祐未、研ナオコ、モロ師岡、片桐はいり、松金よね子などなど、ワンシーンしか出ていない方で「おぉ!」という方もいて楽しいです。
映画の内容はごく平凡な生活を送っている都内の公園の清掃業をしている主人公。毎日変わらぬ生活を送っているが出会いや過去の傷。ささやかな恋心もあるのですが中高年の誰もが通過してきた何気な人生を見せていて「あぁ、こういう人生でこころが満ち足りていていいんだ」「これ以上、望むことは贅沢ではないか?」と考えさせられます。
仕事の昼休みに神社でコンビニのサンドイッチを食べる。その神社で大木の下に生えている木の苗を神職とアイコンタクトで許可をもらって持ち帰って自宅の部屋で栽培するような些細な楽しみ。仕事終わりに地下街の居酒屋でいつものメニューで一杯やる。寝る前に読書をしていて眠気が来たら寝る。現場に向かう車内でカセットデッキで音楽を聴くシーンも良かったなぁ。
なかなか映画通みたいに語れませんが、さまざまな賞を取ったというのもうなづける内容です。

PERFECT DAYS 』←リンクです。






うつせみ和尚のお説教 「医療従事者/福祉従事者のおごり-患者は全て打ち明けていない」

2024年06月07日 00時41分54秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
精神科医や他の治療者、精神療法科、精神福祉職、特に医師が誤解してしまうのは「私には人生の全てを話してくれている。」という錯覚や驕り。
すべて話す人はいるのはいます。少数ではないと思いますが。ですが、そんな脳みそ差し出して「これが私の考えや今までの出来事の全てです」って、当事者側も忘れていることもあるだろうし、全て自分を開け放つ必要は無い。でも、「打ち明けてもらわないと治療が進まない」ということだろう。昨今の精神科医療は所詮、「処方箋書き」が医師の役割で、結局「付け焼き刃療法」でしかない。そんな「処方箋書き業」に自分の過去や考えを全てぶちまける必要は無い。こちらからいうことがあるならば「こんな症状がある」「こんな事があって困っている」ということ。医師はそんな存在に「落ちぶれて」しまっているのに、意識だけは「私に全て打ち明けてくれているだろう」という根拠の無い自信に満ちあふれていて、「今まで言ってなかったのですが、こんな事で困っています」というと、怒ってしまう医師もいる。たかが処方箋書き業ごときに怒られるいわれはないわけです。落ちぶれた貴族が気位だけ高いみたいなもんです。
私は心理職には寛容な部分があるのですが、なぜかというと「知らないけれど、教えてくれますか?/知りたいです」という意識があるように思えるからです。というか、そうでなくてはいけないと思います。医師が大上段に構えて、心理職は下段の構えという感じ。(剣道的に言うと-解りにくいね)
嫌みな言い方をすると、「3分診療」の精神科医は多いですが、そういう医師は「分をわきまえている医師」ということになります。「私が処方箋書き」と自認しているようなものだから。

医師はサービス業なんだから、そこらを解って欲しいね。











うつせみ演芸の時間&奇論、迷論人物批評「今くるよさん亡くなる『漫才ブームの女性コンビ代表的存在』」

2024年05月28日 23時12分31秒 | うつせみ「演芸の時間」

女流漫才コンビ「今いくよ・いくよ」さんのボケ担当の「くるよさん」がお亡くなりになりました。今の段階では吉本は年齢を出していませんが、NHKは野暮なので年齢を出していましたね。(アホ)
「いく・くる」さん以前に女性漫才コンビはありました。漫才ブームの時期では対抗関係にあったのは、春やすこ・けいこで、これ以前には海原お浜・こはま、海原千里・万里(千里は上沼恵美子)の他、音曲漫才(トリオ漫才)では、フラワーショウ、ちゃっきり娘など女流漫才(音曲)がいました。
春やすこ・けいこは結婚があって、自然消滅したものの「いく・くる」さんは、いくよさんのガン闘病に入るまで活動を続けていました。いくよさんがガンで亡くなってからは、劇場では漫談、TVでは中川家と絡んで出ていました。
一時期は会社に勤めたものの吉本に入って「今喜多代」さんに弟子入りした異色のコンビでした。
※今喜多代さんは「島田洋之介・今喜多代」の夫婦漫才師で、島田洋之介さんの弟子にはB&B、島田紳助などがいます。

「いく・くる」さんは京都出身でソフトボール部のチームメイトで、それが漫才のネタにもなっていました。
いくよ:「私(いくよ)がピッチャーで、くるよちゃんがボールで...(ホームベースの時もあった)」
くるよ:「それどうゆうことやの?自分ばっかり良いとこ取って!」

また、くるよさんの体格をいじったネタでは
肩を出したくるよさんの腕を掴んで
いくよ:「くるよちゃん、いややわぁーこんなところから足出して!」
くるよ:「腕やっ!」

他にもいくよさんの細身をいじって、浮いた首筋でギター?ができるとか、ツッコみに肩をパンッ!と叩いたり、思い出せばいくらでも場面が浮かび上がります。他にも、漫才ブーム後期からは、くるよさんの衣装が目を引くようになりましたね。お二人の衣装の収納にマンション一部屋借りていたそうです。

いくよさんとくるよさんの命日が一日違いというのもなにかの縁のようにも思えます。

南無三

今いくよ・くるよ(お笑いネットワークより)

今いくよ・くるよ「わたしの魅力」(1982年)




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うつせみ和尚のお説教 「専門が細分化され過ぎる学問」

2024年05月10日 11時08分29秒 | 「うつせみ和尚」のお説教
これもおそらく前に書いたと思います、思います…。(頭の中で考えていて書かなかったのかもしれません)

いろいろな分野の学者や研究者、野良学者なんかと話をしたり、専門書なんかをつまみ読みしますと、内容がまー細かいね。深掘りはいいけど他の専門分野の学者も理解できないようなものになってたりします。
専門性を高めることにより自分の「売り」を打ち出しているのだと思いますが、反面その分野を網羅しているような書物に会うことが難しくなっているように思います。昔は一人の学者が網羅するような本を出していたりするのですが、あとに続くよう学者は少なく本も出版されない。いつまで経っても50年以上前の「大御所学者の大金字塔的書物」を講義のテキストとしてつかっていたり…。近年、見るのはそれぞれの専門家が共著して何巻組かで出版されることが、多いようです。
正直、深堀りも結構ですが網羅した書物は必要です。あとに続く学生がより専門化されていって堀にほってブラジルにまで到達するころには一般人が興味を惹かないものになっているのが現状でしょう。奇特な一般人がしたり顔で酒の肴に話すだけではもったいない。その学問分野からそれぞれがエッセンスを抽出して今後の生活に活かしていけるようなものでないと、いずれその学問分野は社会との距離が離れすぎて、なくなってしまうかもしれません。支援するのはマニアではなく政府であったり、それを指示する国民だったりするのだから。
偉い学者さんなんかは大学を退官した後に市民と車座になって話をすることがありますが、若い学者にもそれをやって欲しいとおもいます。
(現役大学教員が大学の事務に忙殺されているのはよく聞く話ですが)
まぁ、自己満学者ではなくて、市井の人あっての学問ということを頭の中に置いて研究を深めていってほしいものです。


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うつせみ精神世界への誘い 「高齢、障害を嫌う一理由を考える」

2024年05月06日 06時16分05秒 | うつせみの精神世界への誘い
若者なんかのSNSの投稿などを見てみると、例えば「あぁ、30歳になってしまった。爺です。」という感じののものが目立ちます。こういうのを見ると「50で悪かったな」なんて思ってしまいますが、私の年齢から見ると「たかだか30歳ごときでなにを嘆く?」と思います。考えるに20歳の人間から30歳を見ると「あんなふうになりたくない、カッコ悪い」という人を見ているのかもしれない。「私も30歳になったらあんな風になってしまうのか」と。厭う、蔑む、嫌う対象になっているのではないかと…。アンチエイジングなんかは、そのことを端的に表している単語ですね。意味は『アンチ=反抗、反対、排斥』ということですからね。私なんかから見ると「どうせ年取りゃ、体が不自由になったり、外見が醜くなったり、考えが回らなくなってしまうのだから、なぜ悪あがきするのか?」と思ってしまいます。やはり忌み嫌う存在なんでしょうね。格好いい高齢の方は崇拝の対象になっているということは稀有な存在だからなんでしょう。
障害を抱える人を見て、同様の感情を抱くは「あんな風になりたくない」という思いからなんでしょう。相当斜めな見方をすると、看護や介護、支援を職業とする方は恋愛や結婚対象が患者や障害者であることは稀有な存在でしょう。あるとすれば、完治しやすい外傷患者ぐらいでしょう。忌み嫌う対象との間に一線を引くのは人間の正直なのは感情なのかな?と思います。となると、「差別」も自然な感情なのか?さらに考えると「差別をなくす」というのは越えるべき壁ではなくて、叶えられない目標なのではないかと考えます。なので差別する人間とは一線を引いてしまうのも正直なのは感情、行動なんでしょね。


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淀長の世界 「『オッペンハイマー』を観てきました。」

2024年05月05日 15時21分50秒 | 淀長の世界
この映画は世界の映画賞をとっているという触れ込みでした。なんと、上映時間は3時間!ん〜疲れました。
オッペンハイマー博士は言わずと知れた『原子爆弾の父』と言われる方で、第二次世界大戦中でドイツと核開発競争がありアメリカは当時最先端の科学者を世界から呼び集めて作ったものですが、蓋を開けてみれば完成前にドイツは降伏、核開発はアメリカと比べると周回遅れ。お試しで日本に使われたと言われても仕方ない。広島と長崎に投下されたわけですが、地形の違いを試して被害を比較したかったようです。
以上はNHKのドキュメンタリーのネタです。

あい変わらず、前段が高いですがオッペンハイマー自身は開発途中から「こりゃ、マズいもん作っちゃったな」と気付き、軍部に掛け合いますが、当然軍人でもなけりゃ政治家でもないオッペンハイマーの意見は聞き入れられません。また、オッペンハイマーが集めた優れた科学者たちも「世界的発明」「世界大戦を終わらせるため」という意欲は強くオッペンハイマーの意見は聞き入れられません。オッペンハイマーの気持ちとは裏腹に原爆は投下されてしまいます。そして、世界大戦終戦。ルーズベルトが死去した後の大統領であるトルーマン大統領が「原子爆弾の父」であるオッペンハイマーをホワイトハウスに招き称えますが、オッペンハイマーは、世界規模での核管理を訴えますが当然受け付けてもらえず、やんわりと退室を促されます。そのあとは、トルーマン大統領は側近に「あの泣き虫を二度といれるな」といいます。戦後、核開発以前に関わりがあった共産党について様々な委員会などで吊るし上げられます。映画ではオッペンハイマーを陥れた人間を後半で改めて登場させますが、それはご覧になって下さい。

余談ですがアメリカでの核開発はルーズベルト大統領が推進していたわけですが副大統領であったトルーマンには一切知らされておらず、ルーズベルト死後このことを知らされて驚愕したとのことです。
また、戦後のアメリカはソ連との緊張状態から国内での『赤狩り』が吹き荒れるのですがオッペンハイマーだけでなく、後に大統領になるレーガンを委員会に呼び出されて質問をされています。さらにチャップリンも委員会に呼び出されて、潔白を訴えたのですが映画のキャンペーンで国外に出て帰国をした際にアメリカへの入国を拒否されます。そして、アメリカ映画界からも追放されます。後に入国は許されますが、このアメリカに吹き荒れた『赤狩り』を皮肉った「ニューヨークの王様」という映画を制作しています。

また、映画にもどりますが映画の冒頭でオッペンハイマーとアインシュタインが何かしら立ち話をしているシーンがあって、最後の方に何を話していたか種明かしが観られます。
観て損のない映画だと思いますが体調を整えて観ることをオススメします。