「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

日本の『恥部』を晒す-『被差別部落民と天皇』

2016年03月14日 12時50分55秒 | 日本の「恥部」を晒す
「被差別民」差別解消を唱った本を読むと、必ず「天皇制反対」となる。

反対派に言わせれば、「公職」でもない、憲法に唱っている「象徴」という

非常にあいまいな「地位」に置かれている。



翻って、「被差別民」は、差別の発祥はいわれも無いことからなので、

「差別対象」に無い。

本人の何の努力も無く高貴な暮らしをして終える「天皇(皇室)」と

「被差別民」では180°違うでは無いか!?

という、確かにその通りであるかもしれないが、

「被差別民」の中の『エタ=』も最初は「河原乞食」であったのを

権力者が河原で罪人を処刑した後始末のさせたり、

牛馬の死骸から甲冑の革紐を作る職人としたり()、

一般庶民が『穢れ(けがれ)』と思うことを押しつけてきた、

または職に就かせた。

差別の根源はそれだけに収まらず、

「平家の落人」が暮らす山村も「」と、されてきた。

当初は今の皇室と違って天皇には「実行力」があった為、

「被差別民」も京の町を転々と移動させられたり、

移動の制限、服装・身なりの制限などが課せられた。

天皇や皇室が通る道にや、動物の死骸があってはいけないので、

その行列に先立って「」自身がその排除を行った。

また「天皇の崩御(亡くなること)」の時にの中から数人、

行事に参列している習わしがあるが、

昭和天皇崩御の時はその数を減らしていたらしい。

この様に180°反対の立場かと思えば、天皇の下になって働いたりして、

「付かず、離れず」の立場を保っているが、「」自身の立場が現在に

天皇を中心とした習わしの中に居る以上、「という立場は無い」とも言い切れぬし、

その存在も若干ではあるが欲しているといえよう。

しかし、「差別反対者」は言う。

「天皇制反対と被差別民の地位向上」を。

そして、「・の差別を忘れてはならぬ」と。

それはどういう意味からであるのだろうか?

「日本国史」としてなのか、「民俗学」という学問としてなのか。

「日本には・といういわれもなくて差別視された人たちがいた」

ということをのこすのだろうか?

だが、それを言った後に必ず「天皇は~」というのは宜しくないような気がする。

明治維新後、被差別民の家には「明治天皇の肖像画」が掲げられていたという。

差別問題を前進させるには、「あいつが悪い、こいつが悪い」という

次元ではこの問題は解決しないだろう。

「過去を語らず、現代に生きる」ということに尽きるのではないかと思っている。







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