「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

読まずに死ねるか!(書籍紹介) 「『中先代の乱 鈴木由美 著』&『寺社勢力の中世 伊藤正敏 著』」

2023年11月07日 01時13分06秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
今回は二冊紹介
10月から仕事が始まって、通勤電車読む時間があるんで一気に読み進んだ感があります。とはいえ、以前からもたもた読んでいたのを読み終えたということなんです。ハイ
『中先代の乱』
正直、日本史を少ししかかじっていない私としては知らない話しでした。まず「中先代」って?そもそも「先代」って?という話しですわ。「先代」というの鎌倉時代のことです。では、「中」というのは「先代/鎌倉政権」「後/室町幕府」の間ということです。そうなると、「この政権はだれ?」ちゅうことです。その人は「北条時行(ときつら/ときゆき)-最近は「ときつら」が一般的なようです」という若者です。鎌倉幕府最後の執権である時行パパである北条高時が後醍醐天皇の号令一下、新田義貞が鎌倉を攻めて滅ぼしました。高時とお兄ちゃんは亡くなってしまって、時行(ときつら)は、北条縁故の者に守られながら、信濃(長野)に逃れたといわれています。その後はしばらく力を蓄えて、鎌倉を攻め後醍醐側の勢力を追い出します。源頼朝が鎌倉に幕府を開いて以降は「鎌倉」は武家の聖地で、時行には生まれ故郷でもあるので外せない土地であります。鎌倉を奪還したことにより、一時的に「鎌倉幕府復興」となったわけですが、不幸なことに関東に大地震か起きて鎌倉は動揺し、また鎌倉を失います。この時のエピソードがすごい。北条家の一部が鎌倉で「もはやこれまで」となった時に、自害した人物が特定されないように家来と共に顔の皮を剥いで自決したと言うことです。壮絶...
その後は何年も消息が途絶え、戦っていた相手も後醍醐天皇から足利尊氏に変えて、戦っていた後醍醐天皇と結び戦いを続けますが、敗れて斬首享年二十五。戦い続けた二十年でした。マンガにもなっているみたいですよ。
長野には鎌倉を落ちてきた北条一族が住んでいたという部落もあって、昭和年代まで「北条」さんが住んでいて後は転居していったようです。また、戦国時代に「北条時行の後胤(子孫)」という方も出てきて、後北条(戦国時代の北条氏)が「ウチは鎌倉の北条と結び付きがある家だぞ!」という箔付けのために嫁にしたりという政治利用されたようです。

『寺社勢力の中世』
 「寺社」というとお寺と神社ということですが、本書に書かれているのは、すっごく触れてはいけないエリア、集団という一面やまさに駆け込み寺のような存在。中世というと戦(いくさ)が絶えないというイメージですが、例えば戦いに敗れた皇族や武将が比叡山延暦寺(略:叡山)に逃れるパターンが多く、しかし「100%受け入れます」ということでもないようで、「うちは守りませんし、入れませんよ」というパターンもありです。
また、寺社の領地、荘園は全国に広がっていて、そこからの収入(年貢)で運営していたわけです。そのときどきの政権に「もっと増やせ!」「ウチの荘園が脅かされている!」といって圧力を掛けたり...。もう圧力団体というか一大名ですね。気に入らないことがあれば、天皇が住んでいる都まで神輿を担いでいったいって圧力を掛けます。その際に当時の「治天の君(院政を敷いていた皇族)」であった後白河上皇(法皇※最近は出家していても「上皇」というようです)が、皇族や貴族のしたっぱであった武士を差し向けて、収めさせよして、当時としては「禁じ手」であった神輿に弓を打って退散させた事から、武士が隆盛してきて、結果、後白河が鎌倉幕府を誘引したという因果な話しにもなっています。 
また、寺社勢力のエリアは他の勢力が立ち入ることが出来ない様になっていて、世の中からドロップアウトした人たちが駆け込むような所にもなっていて、それを覆したの平重衡の南部焼き討ち(東大寺の焼き討ち)、織田信長の叡山焼き討ちなど、当時の常識をひっくり返すようなことが武士によって行われていく。粉河寺、石山本願寺などと武士との戦いなど、現在の「お寺さん」「聖地の神社」というイメージを覆すような本になっています。



ん~、読まずに死ねるか!


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