「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

精神世界への誘い 「『死に際』について考えるのこころだぁーっ!」

2021年11月22日 22時35分29秒 | うつせみの精神世界への誘い
ひとりの人間が命の灯火を運命というそよ風に消えそうなほどに揺れております。
誰であろう、私の母親であります。
「生命を終えるのは歳の順」でありまして、母よりひとつ上の父は健在ですが
母の方が一足早いみたいです。健康のときは「死に際はいさぎよく」っと
思いがちです。しかし、世の人間のほとんどは「欲の塊」でそう綺麗に
散れないものです。特にまだ満足に話せる程度、少しは身体が動かせるうちは。
「まだ出来る、まだ死ねない」というわけです。
でもですね、我が母です「早っ死ね」という思いは湧きません。「もっと話したい一緒に居たい」というのが親子の情というものでしょう。
かの良寛さんが「うらを見せ、表を見せて、散る紅葉」というのが辞世の句
だそうですが、なかなかです。良寛さんは禅宗の僧侶、
しかしながら聞くところによると、かの一休宗純さんは死に際に
「死にたくねぇ~」と言ったとか言わなかったとか(どっち?)
一休さんも禅宗の僧侶ですが破天荒の僧侶だったようで、女、酒は当然で
帯刀もしていたとか・・・。

思うのですがね、「私の人生、どれくらいで腹一杯?」というメドというか
「欲求の自己管理」というのを修行で身につけておかなければいけないのでは?
と、思ったり...。

私自身、意識はありましたが死んでも仕方ないような目に遭って
「翌朝、生きているのか?」と天井を仰ぎながらICUで過ごした事もありました。
でもですね、その時の私はベッドから一歩も出られなかったし、
心拍数、点滴、導尿、身を包む包帯でどうにもなりませんでした。
とどのつまりが、その晩寝る間際になると「まっ、仕方ない」のであります。
そんなわけで、今なんの因果か生き残っておりまして、そのかわりBlogや
講演でぶっちゃけ過ぎな後遺症は強烈に残っているのですが...。

事故から、もう18年過ぎましたかな?
死生観は変わったのか?死に際にジタバタするのか?
開けて見るまで解らないのか、微調整が聞くのか?
追々、ご報告しまぁーす!