「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

読まずに死ねるか!(書評)「『民衆暴力/藤野裕子 著』、『近代部落史/黒川みどり 著』」

2021年10月07日 21時36分18秒 | 読まずに死ねるか!(書籍紹介)
『民衆暴力-一揆・暴動・虐殺の日本近代史』藤野裕子 著
本書は江戸時代の「一揆」明治時代の「秩父事件」大正時代「都市暴動」などを取りあげて、徐々に寛容さが無くなり、また残虐性も強くなってくる「民衆による暴力行為」の変遷が書かれています。いわゆる「百姓一揆」には『作法』があり、百姓側は鉄砲や刀は用いず鍬や鋤で行動を起こし、治めている幕府や藩も訴えを聞いて、そのまま帰すことが多かった。首謀者を断罪するようなことは無かったようです。幕府や藩は闘争を生むような百姓一揆を起こされると、「悪政」という汚名が付き藩であれば転封か取り潰しになってしまう事があるのでもっぱら「仁政」という穏やで模範となるような治政を良しとしていた。
明治期に入ると「廃止令」が出ると、士農工商の下の身分であった「・」までの全てが「平等」になることに農民が反感を持ち、その事が一揆の際に政府側ではなく、今まで自分たちより身分が下であった「アウトカースト」が虐殺の的になった。例として上がっているのが「美作(みまさか)」現在の岡山県で起こった被差別民への残虐な殺害などもみられた。「四民平等」に腹を据えかねたというわけだ。
最終章の大正時代に起きた「関東大震災」での朝鮮人への虐殺だ。この虐殺は残虐を極め、官民挙げての虐殺であったことが資料に証言として残っている。虐殺された朝鮮人の数も解っていない。それは殺害した後に燃やしたり、埋めたり、証言もまちまちで各調査で230~6661人と大きな開きがある。ちなみに一番少ない数を出しているのは司法省である。「虐殺の罪」に関しても政府が直接手を下したり、扇動したことは不問に付され裁判も行われなかった。大衆が起こした虐殺に関しては、通常に殺人の罪よりも大きく減刑されて懲役2~3年や執行猶予が付くものが多かった。それは当時統治していた朝鮮半島に対する差別的な治政や搾取という「日本人以下」という観念や当時起きた「三・一運動」による日本人による統治への反抗がなおさら印象を悪くしたようだ。
ここからは私が感じたこと。「現在の日本」ではどうか?人間というものはなかなか変化するものでは無いようで、SNSでの誹謗中傷により自殺する人は絶たない。子供から大人まで男女問わず。SNSで誹謗中傷することは身体的暴力と同等であることを利用者は頭に置いておかなければならない。



『近代部落史~明治から現代まで』黒川みどり 著
これまで十冊を超える「被差別民/」関連の書籍を読んできて、最近遠ざかっていましたが、また関連本を読み始めました。
明治政府による「四民平等」、「解放令」により額面上は被差別民は居なくなったことになったが、千年続いてきた差別観念は昨日今日で解消されるはずも無かった。政府の狙いとしては戸籍などを整えることにより税収の増加や徴兵などにも利用できるということがあったようだ。しかし、被差別民への差別観念は「人種」や「遺伝的」な違いがあると当然のように思われている場合もある。佛教などでも被差別にある寺院の地位は低く、宗派内でも差別された。また被差別民の戒名も被差別民と解る戒名がつけられ問題になり改善が求められた。「全国結成」から解散、その一因である共産勢力との関係性などなど、新書であるので読みやすく「明治から現在」の時代の中での流れが解りやすく書いてあります。
黒川さんは偏った被差別民に対する哀れみや間違った身分規定論ではなく、その文化や市井の人たちと変わりない姿の意識と、これまでの歴史的教育をしていくことが肝要であるとしている。
最近裁判になったのが被差別をネットで公開したことを差し止めを求める訴えがあった。一審では公開差し止めの判決が出た。公開したということは需要があるということでまだまだ「社会的弱者」や「マイノリティ」を社会のスケープゴートであり続けなければいけないのだろうか?私も「精神障害者」というマイノリティ、社会的弱者であるので・・・。
困ったものです。







この二冊、読まずに死ねるか!!

















日々是仏滅 「中高年、大いに悩む『私の働き方改革?』」

2021年10月07日 01時54分33秒 | 日日是佛滅
現在、私 満四十八歳でございまして、孔子の論語に「四十にして惑わず」とありますが、それを八年過ぎてもなお大いに悩んでおりまして、なにに悩んでいるか?それは「お仕事」でございまして、高校を卒業後、薬品会社に就職して四年間大阪勤務、その後田舎へ転勤になって「彼女も出来たしちょっと安定したかな?」と思った矢先に事故が遭ってそこからがケチの付き始めで、TVでいう「転落人生」でございまして、大怪我をした体で大学入学中に精神疾患が悪化、在学中に入退院をして、なんとか「義理」で卒業したものの2年間無職というか仕事できるような病状ではなくモグリで大学の講義受けたり、大学図書館で文献漁ったり・・・。その当時通院していた病院で心理プログラムの進行役をボランティアを2年くらいやって主治医の勧めで病院で働くことになったと言っても週/1日出勤から週/4.5日にやっと・・・。その病院勤務も「良い調子になってきたな」と思った途端に✕✕✕✕(当事者の名誉のために書きませんが・・・)で退職・・・。1年足らず就職活動の末、現在の「福祉図書館」になんとか辿り着きましたが、今の主治医が「障害者年金の更新はしません」と言い出して、今の仕事の収入だけでは喰っていけなくなって「さてフルタイムの仕事を探さねば!」と思いましたが心や体はそんな事に堪えられる状態ではなく・・・。
前置きがずいぶん長くなりましたが・・・(^0^;)
今の「福祉図書館」今年度から「相談業務」を行うことになって、病院でピアカウンセリングをかじっていたことが私が採用された理由の一つとなっていると思います。(多分)それがこの『コロナ禍』です。だーれも来ません。図書館利用者さえも「0名」の時があるほどです。現在「緊急事態宣言 解除」の現在も人出は戻っておりません。(コロナ禍以前の利用者数はわかりませんが)一応、市の広報や各施設などを通じでお知らせしていくことのことですが、さてどうなることやら。今日もそうですがほとんど「ひま」なわけです。それが八時間半(休憩一時間を含む)連日続くわけです。これはもう「罪悪感」でしかありません。「充実感がない」と言ってもいいでしょう。最初に就いた仕事は化学反応をさせるとは言ってもほとんどが「肉体労働」でした。空手の稽古や水泳に仕事終わりに通っていて充実感もありましたしね。今やこの「体たらく」です。無理なことは出来ませんが、それにしても・・・って感じです。通勤にバス・電車2路線乗り継いで往復二時間。これだけでも結構シンドイ。「コロナ禍」で求人は激減。障がい者など雇う余力があるところは「大企業の事務員」くらいで事務経験が無い私は応募も出来ません。その上、無資格なので尚更です。まぁ資格持っていても「週/5日」に堪えられませんがね・・・トホホ。問題は「働いてるぅ!」っていう充実感です。今の状態では「無駄に疲れている感」がありますよねぇ。唯一の救いが京都府のお仕事の手伝いをさせていただいていることでしょうかね(無給ですが)。このお陰で横のつながりも出来ましたし、少しは慰めになっています。
問題は症状の改善の進捗でありまして、これがその「亀の歩み」でして、弱ったものです。死ぬくらいになって「寛解」するんじゃないかと思っています(笑)。
いろいろ身の回りのことや空手など積極的にやっていきたいのですが、難しいのが現状。十数年前まで「空手が無くては俺じゃ無い」くらいに思っていたのですが、この雲泥万里の差です。自分と周りの環境が一変するとこんなもので人間というものは、もろく弱いものです。平時においてはそんなことは想像もしなかったり、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で大変なことが起きても一時的なものであれば時間と共に忘れてしまう。もろく弱く愚かな生き物ですね。
私の精神疾患の症状が弱まりながらも長い時間継続していることは、その「人間がもろく弱く愚かな生き物」と言うことを忘れないためにあるのかも知れません。
毎回、竜頭蛇尾なブログですみません。_(._.)_

次回は書評の予定です。