「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

今日は診察日

2011年01月18日 17時10分16秒 | 日日是佛滅
今日は素直にズバッと言えましたね。

日に日に自死が確固たるものになりつつあることです。

これは、悲観的でなくして、自分で「こんなもんだ」と、

思っているので前向きな自死の意思です。

「駄目だ!」って、いう人は具体的に何が駄目なんでしょうか。

こういう人生も有りだと思いますがね。

それと、ベック式の数値が日に日に高得点を叩いているのです。

なかなか優秀です。

と言うよりは、自死をするときは私は鬱を治して死にたいんです。

これも医師に伝えました。

まぁ、こんなところです。



遠のく薬師寺

2011年01月18日 01時57分02秒 | 日日是佛滅
スタバで書き書きしてたら日付を跨いでしまいました。

さて、ショッキングな題名でありますね。

「遠のく薬師寺」でありますよ。

よくよく考えてみると、今の寺のあり方って、

今の龍谷大学に来ているから解かる部分があるんですけど、

昔は、なんというか、世間から排斥された人たちが駆け込むという

一面があったと思うんですよね。

しかし、今は寺の存続に青色吐息が現実。

そして、僧侶の役目はお寺の宣伝マン、集客マシーン。

そんなところに「鬱」の私が行ってどうするんでしょう。

「駄目なら辞めてもいい」って、言われましたけど、

お寺から見たら、「役立たず」な人間ってことでしょ?

私に「益」は無いわけです。

大火傷を負って、鬱と共存し、生きている事を「看板」にして、

「集客マシーン」になることのどこに私は救われるのでしょうか?

私は「仏教者」ではないので、「薬師寺」にネームバリューは感じません。

同期で真宗の寺に入る人間は、

「薬師寺から声を掛けてもらうなんてめったにないよ」

っていわれますけど、建物は「凄いな」って思いますが、

「他」が、見えてきませんね。

確かに私は今、厭世的になって、大学卒業後は「必ず死ぬ」と

決めている私ですから、そう映るのかもしれませんが、

どうなんでしょう。

今はそんなところですかね。

結論はまだまだ先に置いておきます。