「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

うつせみ精神世界への誘い 「宣伝『11月11日京都滋賀メンタルヘルスを考える会』開催!!」

2023年10月12日 23時16分27秒 | うつせみの精神世界への誘い
11月11日に京都滋賀の精神医療、福祉関係者と共にイベントがあります。なんだか「キックオフイベント」ということで、これを契機として運動?していくみたいです。そのイベントには当事者としてパネルディスカッションの中の一人として登壇する予定です。実のところ会議には途中から参加していて今ひとつ理解していないのですが…。
ポスターと申し込みに関しては画像を張っておきます。

『京都滋賀メンタルヘルスを考える会 』
11月11日(土)13:00~
同志社大学新町キャンパスにて行われます。
参加には事前申し込みが必要です。詳しくは以下のリンクからお申し込みください。
「京都滋賀メンタルヘルスを考える会」 ※私は多分本名で出ると思います。
気軽にお声を掛けてくださいませ。
参加資格はありません。専門職でなくても関心があればどなたでも!
「ちょっと、寄ってみるか?」程度で結構です。











精神世界への誘い 「柄にもなく、名刺交換の日々」

2023年09月23日 01時26分17秒 | うつせみの精神世界への誘い
最近、府内の精神だけではなくさまざまな障害者が関係するような場に出るようになって、当然のように名刺交換が行われます。本業では名刺交換はしませんし、そもそも職場の名刺なんて存在しません。全国規模の研修会でも同じグループになった人とは障害者、健常者問わず交換してましたが、そんな場から離れていく数年…。最近また「My 名刺交換ブーム再来」です。どこかの大学の先生だったり、病院の偉い人だったり、役所の人だったり、私のような障害当事者で支援をやっている人だったり様々です。この前もZoom会議が続いていた会の会議が久しぶりに行われて、実際に会っているつもりだったのが実はオンラインでしか顔合わせしていなかったと、「あれ?この人とはオンラインのみ?以前に会った?」と考えながら顔をつきあわせたり(笑)私はあまり覚えが良くないのでなおさらです。物覚えが良い人はなんでも紐付けて覚えると聞いたことがありますが、そんな気も起こりません。

最近あまり調子が良くなくて…トホホ





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うつせみ精神世界への誘い 「先日、精神障害者の家族会でお話しをさせてもらいました」

2023年09月08日 05時50分58秒 | うつせみの精神世界への誘い
知人からのお誘いで「精神障害者家族会(正式名称ではありません)」でお話しをさせていただきました。当初は二人で一時間お話しをする予定だったのですが、その方がコロナに罹ってしまって急遽私一人だけとなりました。一時間私からのお話で、後半の一時間は質疑応答と参加された方の感想などをお話しする時間でした。遠くは隣県滋賀からおいでの方もいました。過去には悩んでいたけど今は考えを変えた方、障がいを持つ家族(主に子供)の接し方など、話されました。私の家族である両親や兄弟はあまり積極的に障がいを持つ私には接してこなかったので、私からはそのような話しと障害当事者と家族の考えの違い、互いの思い違いなどを話させていただきました。話しているときは大きく首肯されたり、身を乗り出して聞いていただいたり、それぞれの家族の興味の深さを感じました。京都府の研修会などでは4年前ほどから年に一度程度話しをさせていただいていたのですが、去年の11月くらいから研修会のメンバーからお誘いを受けて話す場が増えてきました。良いのか、悪いのか…。障害者のさまざまなケースの一つである私の経験をお話しすることで、気づきや切っ掛けになれば良いのかな?と思って話しをさせてもらってます。ちょっと、準備がいります。原稿にスライド(パワーポイント)ね。以前の職場では業務の一環で仕事中に出来たのですが、現在の職場ではそうもいきません。家の戻ってからの作業になるのでなかなか準備が進まないのが現状です。作業も遅いので(キャパシティー的な問題です)。自分の無能さと毎日戦っているところです。




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精神世界への誘い 「先日、インタビューを受けました。私も有名になったもんだ(笑)」

2023年08月27日 14時33分46秒 | うつせみの精神世界への誘い
精神障害分野で研究、当事者運動をしている知人からインタビューを受けました。大学の研究に使うようです。研究は精神障害だけでなく、様々な障害分野にわたってインタビューしているとのことです。精神障害に関しては私の他にもインタビューしているのかな?
内容はというと、もちろん障害を負うことになった経緯。家族、友人/知人、障害を負って思うことなどなど…。時間としては90分くらいだったかな?喫茶店でICレコーダーを前に置いてでした。こうなると「緊張した?」とか言われそうですが、冒頭はインタビューと言うことで緊張はしましたが、いつものメンバーだったので徐々にほぐれていきました。空手の事故の話しの中で「Q先生が亡くなった」(過去ブログに詳細が書いてあります)の話になったときにウルッとなってきましたが、なんとかこらえました。(たぶん、バレてたと思います)話していて、私の生育環境の段で小学生の時の両親の離婚も話して、そこから現在に至るまで話しをすると「エラい歳になったなぁ」としみじみと思いました。
まぁ、研究の役に立つのか大いに疑問ですが…。

現在は障害者の関係で知人も増えてありがたい話しです。なんと、障害当事者はもちろんのこと、運動家から大学教授まで!最近、京都の「当事者グループ(団体?)入りませんか?」というお話しをいただきます。まぁ、私のことなので「流れるままに」「人生おかませ」ですから、参加することになると思います。
その事も記事にできるかな?





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うつせみ精神世界への誘い 「何度目かの『野垂れ死に』考」

2023年04月29日 20時54分58秒 | うつせみの精神世界への誘い
長く書いていますと「これ書いたっけ?」と思うことはよくあります。
今回書くことも同じです。
ですので、タイトルに「何度目かの~」という言葉を言い分けがましく付けているわけです(笑)

…さて、タイトルが相変わらず穏やかでありません。なにせ『野垂れ死に』ですからね。世の中を捨てたわけではありません。去年は次々に大切な人達が亡くなって、私の身にもいろいろと大変なことが数々ありました。私は今年で50歳。ですが、私の過去の出来事を考えれば「いつ何が起きてもおかしくない」と思うのです。年齢が若くても年老いていても突然事故や病気で亡くなる人は数多くいます。考えてみれば、日常生活にそういう確率は確かにあって、いわば「毎日、棺桶に片足を突っ込んで生活している」といってもいい。よく「悔いの無い人生を…」なんて言いますが、うつせみ的には、「野垂れ死にの覚悟」は日常持っておかなければいけない。結婚していても、可愛い子供が居ても、愛する恋人が居ても、世の中からどれだけ必要とされていても、誰もかまってくれなくても、いつの時もその可能性を秘めているのです。

私は「悔いの無い人生」なんていうことは言いたくもない。どの時点で亡くなっても人間は「もっと生きたい」と望みます。人間は強欲な生き物です。「多くのことをやり残すかも知れないが、いつ死んでもOK」というのは覚悟という力強いものではなくて『その死を優しく受け入れる』という気持ち。それが私が言う「野垂れ死にの覚悟(野垂れ死にを受け入れる気持ち」ということです。その瞬間が例え突然訪れても「まっ、いっか」、「そういう人もいるわな」という気持ちになれたら、その人は『上等な人』だと思うのです。
人間が「死」について考えるチャンスを与えてくれるのが、近親者の死です。考えるチャンスを身を挺して与えてくれていると言えるかも知れません。その死を無駄に看過することはできません。

どのように身近にある『自分の死』について考えるか?
考える時間は「死は突然来る」ということを考えばあまりありません、というか「無い」かもしれません。