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「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

精神世界への誘い 「先日、インタビューを受けました。私も有名になったもんだ(笑)」

2023年08月27日 14時33分46秒 | うつせみ 精神・こころ・思考への誘い
精神障害分野で研究、当事者運動をしている知人からインタビューを受けました。大学の研究に使うようです。研究は精神障害だけでなく、様々な障害分野にわたってインタビューしているとのことです。精神障害に関しては私の他にもインタビューしているのかな?
内容はというと、もちろん障害を負うことになった経緯。家族、友人/知人、障害を負って思うことなどなど…。時間としては90分くらいだったかな?喫茶店でICレコーダーを前に置いてでした。こうなると「緊張した?」とか言われそうですが、冒頭はインタビューと言うことで緊張はしましたが、いつものメンバーだったので徐々にほぐれていきました。空手の事故の話しの中で「Q先生が亡くなった」(過去ブログに詳細が書いてあります)の話になったときにウルッとなってきましたが、なんとかこらえました。(たぶん、バレてたと思います)話していて、私の生育環境の段で小学生の時の両親の離婚も話して、そこから現在に至るまで話しをすると「エラい歳になったなぁ」としみじみと思いました。
まぁ、研究の役に立つのか大いに疑問ですが…。

現在は障害者の関係で知人も増えてありがたい話しです。なんと、障害当事者はもちろんのこと、運動家から大学教授まで!最近、京都の「当事者グループ(団体?)入りませんか?」というお話しをいただきます。まぁ、私のことなので「流れるままに」「人生おかませ」ですから、参加することになると思います。
その事も記事にできるかな?





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うつせみ精神世界への誘い 「何度目かの『野垂れ死に』考」

2023年04月29日 20時54分58秒 | うつせみ 精神・こころ・思考への誘い
長く書いていますと「これ書いたっけ?」と思うことはよくあります。
今回書くことも同じです。
ですので、タイトルに「何度目かの~」という言葉を言い分けがましく付けているわけです(笑)

…さて、タイトルが相変わらず穏やかでありません。なにせ『野垂れ死に』ですからね。世の中を捨てたわけではありません。去年は次々に大切な人達が亡くなって、私の身にもいろいろと大変なことが数々ありました。私は今年で50歳。ですが、私の過去の出来事を考えれば「いつ何が起きてもおかしくない」と思うのです。年齢が若くても年老いていても突然事故や病気で亡くなる人は数多くいます。考えてみれば、日常生活にそういう確率は確かにあって、いわば「毎日、棺桶に片足を突っ込んで生活している」といってもいい。よく「悔いの無い人生を…」なんて言いますが、うつせみ的には、「野垂れ死にの覚悟」は日常持っておかなければいけない。結婚していても、可愛い子供が居ても、愛する恋人が居ても、世の中からどれだけ必要とされていても、誰もかまってくれなくても、いつの時もその可能性を秘めているのです。

私は「悔いの無い人生」なんていうことは言いたくもない。どの時点で亡くなっても人間は「もっと生きたい」と望みます。人間は強欲な生き物です。「多くのことをやり残すかも知れないが、いつ死んでもOK」というのは覚悟という力強いものではなくて『その死を優しく受け入れる』という気持ち。それが私が言う「野垂れ死にの覚悟(野垂れ死にを受け入れる気持ち」ということです。その瞬間が例え突然訪れても「まっ、いっか」、「そういう人もいるわな」という気持ちになれたら、その人は『上等な人』だと思うのです。
人間が「死」について考えるチャンスを与えてくれるのが、近親者の死です。考えるチャンスを身を挺して与えてくれていると言えるかも知れません。その死を無駄に看過することはできません。

どのように身近にある『自分の死』について考えるか?
考える時間は「死は突然来る」ということを考えばあまりありません、というか「無い」かもしれません。





うつせみ精神世界への誘い 「うつせみ『老境』を辿る」

2023年04月19日 19時07分35秒 | うつせみ 精神・こころ・思考への誘い
一昨年から身辺慌ただしく、自分も膝や胆のう切除をやって、今は束の間の?一段落といった体です。母の世話(短期間でしたが)と今回の胆のう切除で合わせて13kgほど体重が落ちました。健康的なダイエットではありませんね(笑)
胆のうを取ってからは、以前のような量を食べるとお腹を下すので食事量は減りましたね。ですのでリバウンドはないです。

ずいぶん前にあった事故から最近の手術でドンドン「都合の悪い体」になっています。そんなわけで「いまや老境を迎えた」といっても良いと思います。「え!?いくらなんでも、今年で50歳では『老境』ではないでしょ?」と言われるかも知れませんが、それぞれの「痛み具合」は違うので「この体ではすでに老境』」といったほうがいいですね。あっさり言ってしまいましたが、私は今年で「ハーフ・センチュリー(100年の半分/50歳)」というわけです(笑)

このブログでは何回か言ってきましたが、小学生の時に両親が離婚してからは「虚無感」が頭の中をどんよりと覆って、それがいままで続いているような感じです。爆発事故に遭ったときも「やっぱり自分の人生こんなもんだよね」という「偽達観」になってその後、うつが酷くなったときは、もがきつづけて「なんでオレだけがこんな目に…」と思って、これは「生きることへの卑しい執着」なんでしょうか?うつも徐々に落ち着いてきた状態の今はいろいろ病気をしたりするたびに「やっぱり自分の人生こんなもんだよね」というところに戻るわけです。

欲や執着から離れる」そんな尊い境地ではなく、あくまでも安っぽい「偽達観」です。

最近は自己嫌悪や自虐的な発言、愚痴が多くなってきて、そんな自分もまた嫌になるという悪循環振りです。

トホホ…









うつせみの精神世界への誘い 「『窪みの時期(スランプ)』に絶望するか、楽しむか」

2023年04月04日 20時58分00秒 | うつせみ 精神・こころ・思考への誘い
生きていると「え~、この先浮かぶことあるの?」というような「窪みの時期(=スランプ/うつせみ創作語)」は誰にもあるものです。
私の経験でいうと、体の痛みは耐えられると思うし、そう生きてきた。ですが、それによってガマンしすぎて精神的に病んだということもあります。そのように『体→心』という経路で病んでいったわけですが、時が経つにつれ心の病みも軽減されて来たのですが…。
経験的に心の傷は一度傷つくと、またその心の傷から出血し、痛みが出ることが非常に多い。また、うつせみ創作語でいうと「同じ穴ぼこに落ちる」と言うことになりがちです。つまりは『再発』というと解りやすいですね。ここからはさらに私の「暴走」ですが、『再発』とは言いましたが、真の意味で言うと『再』ではありません。その時その時の出来事が「初対面」であって「顔見知り」の出来事ではない。
なので過去の経験はあまり役に立たない。せいぜい「頼りないガイド」程度です。
体の痛みによる「live or die(生きるか死ぬか)」は、私は結構その時は楽しんでいました(笑)というか「笑うしかなかった、楽しむ他なかった」と言った方が正確かも知れません。なにせ、かつぎ込まれた病院で管(くだ)や、さまざま機械に囲まれた状態で自分では為す術がなかった。ICUで天井を見上げて「明日の朝、生きてないのかな?」と思ったら、なにか笑えてきましたね。無防備な私にはそうするほかありませんでしたね。
そんなこんなで、問題はその後です、はい。事故後、全ての関連手術が終わった頃からムクムクと頭をもたげてきて、出勤が一番の問題で「今日休みます」と電話すれば体は軽く、その日はいつもの喫茶店で店員のお兄ちゃんをからかったり、店長さんと馬鹿話をしたりしてその日を過ごすことが出来ました。その当時「社会復帰できるのか?」ということでした。
その後に押し寄せたのは「生きていいる価値」「死ぬべきではなかったのか!?」「いや、死ぬべきだ!」・・・
過食、過剰飲酒、過活動、どっぷり鬱、寝たきりや睡眠障害などを繰り返し経験する中で、その渦中では「楽しむ」どころではなかった。精神=心を病むことの深遠・深淵さをおもいしりましたね。これならば体の苦しみのみで死んでしまった方が良かったと思ったほどでした。
そんな過去の経験の中で考えると、自分の「幸・不幸の平均値」を事故後超えていないと思う。で、この先「浮く!」とは到底思えないわけですね。「不幸のトラウマ」ということになるのかな?
そんな経験で私が得た考え、感覚は『すべてはお任せ』ということ。事象にすべてお任せということです。以前、勤めていた病院で『当事者研究』のプログラムで、自己紹介代わりに言っていたのが『人生おまかせ定食』と言っていましたが、それは人生を捨てたわけではなくて「流れに抗わない」ということですね。その前職も「居づらくなったからずらかった」というわけです(笑)多少の舵(かじ)はきります。健康を害してはいけないのでね。
楽観的にはなかなかなれないけど、「窪みの時期に絶望しない」ということです。穴ぼこに落ちないように気をつけてね。





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精神世界への誘い 「備忘録『見てんじゃねぇよ』の原因の巻」

2023年02月25日 20時55分35秒 | うつせみ 精神・こころ・思考への誘い
胆石が痛くってそれに伴って倦怠感もヒドく、一日寝たきりが多くなってきて、でも頭の中では「✕✕に行きたい」「〇〇が食べたい」と思っても、倦怠感や食べた後の痛みで叶わないことも多くなってきています。(おそらく来週あたり入院かと思われます)

そんな中「あぁ久しぶりに銭湯行きたいなぁ」と思っても外出先から帰宅して、また外出するほど元気は無い、自宅で痛い痛いと籠っていたりして行けずじまい…。今日もそんなことを思いながら寝たり起きたりしていてボチボチ夕方に差し掛かってきて「よし行こう!」ということで(思い立ってから出るまで数時間かかりました)、歩いて4~5分のところの銭湯到着(腰を上げるまでの時間と到着までの時間のギャップが凄いな)。服を脱ぐのですが、私の体は相変わらず皮膚移植や去年やった膝の手術跡など大きな傷で覆われていてまるで「パッチワーク状態」。今はすっかり慣れたのですが、移植前は「こってり付いたケロイド」が上半身にはびこっておりました。術後マシになったとは言え、知らない人が見れば「何この人!!!」ってなもんです。約20年前に事故で担ぎ込まれたときから黒焦げになった私を病院内でジロジロ見られていたことを思い出しながら湯船に浸かっていたのですが「今ある私の『被注察妄想』は過去見られ続けた所から来るんだ!」と思ったのですが、リンクを張りましたがここには「あくまでも妄想」であることなので、私にはちょっと当てはまらないような気もします。となると見られて辛い目に遭ったという過去の体験「トラウマ(心的外傷)」の一種なのかもね、これまた「トラウマ(心的外傷)」か…。根が深い。付け足すと火傷を負う前にあった空手での事故後、空手関係者から「好奇の目」で見られて辛い目に遭ったことも関係しているのかな?とも思います。
ここまで書いていて思ったのですが「またカウンセリングにお世話になった方がいいのかな?」とか思ったり思わなかったり、思ったり思わなかったり…(しつこ)

心の傷は深淵です。

追記「You!うちでカウンセリング受けてみないか!?」(ジャニさん風)と感じた方は京都府内に限り(大阪/滋賀もありか?)コメントください_(._.)_
お救いください。






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