今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

いじめの問題について

2012-07-12 07:57:09 | 教育

最近、新聞の紙面で一番痛ましい報道と言えば、大津の中学生二年生のいじめによる自殺でしょう。

この事に触れてみたい、と、数日前から思っていました。

しかし、近い年頃の孫がいる身では、あまりに切なく可哀そうで、言葉にならない気がして、書くことができませんでした。

でも、やはり、私なりの感想を、今日は述べたいと思います。

          

 

まずはじめ、涙なくして想像できなかった事は、

その子が追い詰められ、自宅マンションの屋上から飛び降りる寸前の、心の悲痛な叫びです。

きっと、もっと生きたかったでしょうに。

父母とも別れたくなかったでしょうに。

それを振りきってまでも、死を選ばざるを得なかった、彼の地獄の苦しみと孤独を思うと、私は堪りません。

 

新聞の報道によると、その子は涙ながらに、電話で、担任の先生に訴えたというではありませんか。

市教委はアンケートの回答から、いじめの実態をある程度把握しながら、事実関係の確認ができないということで、調査を打ち切った、と言うではありませんか。

いじめの現場を目にしながらも、いい加減にしろよ、の一言で見過ごした先生のこと。

電話での、生徒への応対も、推して図られます。

 

何という大人の非情さでしょう。

私はいじめた子供以上に、大人の責任を痛切に思います。

教育とは、子供達に知識を与える前に、いかに誠実に子供達と向き合えるか、先生の心が問われてしかるべきです。

 

しかしそれをいくら願っても、理想に過ぎず、すべての学校の先生方に通じるとは、到底思えません。

聖職とは言え、先生も人間ですから、人柄は様々。

とても投げやりな物言いですが・・・・・・

 

しかし学校を監督すべき、教育委員会の無様は、なんということでしょうか。

お役所仕事の域でしか対応できない、冷淡さは驚くばかりです。

教育の要であるはずの教育委員会が、この有様ですから、どうしようもありません。

学校と教育委員会の責任逃れの態度を知って、私は慄然とします。

こんなことでは、私達は、学校の教育に何をを期待すればよいのでしょう。

途方に暮れるばかりです。

せめて、今回のことは、特殊なケースと、思いたいものです。

 

子供の心はガラス細工のように繊細で、もろいものです。

中学生になると、思春期を迎え、一層その傾向は強くなるものかもしれません。

いじめる子も、いじめられる子も、心の叫びには似たところがあるような気がしてなりません。

もちろん、いじめられる子のフォローの方が、遥かに大切であることは言うまでもありませんが。

          

             ポーチ側に咲き乱れている、清楚で可憐な花ですが、花の名称が思い出せなくなってしまいました
       クラスの生徒は一人ひとりが、この花のように、輝きをそれぞれが、持っているはずなのですけれど。

 

いじめの理由は、単純ではないでしょう。

人は誰しも、心に原罪のようなものを持ち合わせています。

ごくごく普通の子が、単なるゲーム感覚で、他人を傷つけ、日ごろのストレスを発散することだってありえるでしょう。

 

しかし私が思い当たる一番大きな原因は、家庭教育の不毛だと思います。

両親や周りの大人たちから十分な愛情を注いでもらえない寂しさのはけ口が、他人へのいじめとなるのではないでしょうか。

そう考えますと、すべて責任は大人にあり。

そんな思いに駆られます。

 

しかしこの問題は、途方もなく暗く、深く、簡単に解決が付くようなことでは、毛頭ありません。

極論するなら、解決不能といってもいいようなこと。

親の心を改めること等、教育者でも、不可能だからです。

逆に、親も、教育者の心を改められない、とも言えます。

 

厳しい今の社会では、貧困にあえぎ、その日暮らしの家庭が、一層多くなってきているに違いありません。

やっとの思いで、子育てをしていることでしょう。

そいった状況下にいる両親は、心の余裕を失い、子供に冷たくあたったり、まれに虐待の行為へと走ることもあるやもしれません。

しかし第三者には、そいった家庭状況を見抜くことはできません。

知ることも、まず不可能です。

 

学校の先生も、授業以外に雑多な務に忙殺されているのが、現状のようです。

一人ひとりの生徒に、きめ細やか配慮が行き届かないのも、無理からぬところがあるかもしれません。

 

ですから、いじめによる痛ましい報道が出るたびに、育児や教育の理想論がいくら謳われても、それは、ほとんど効果を発揮しないのでは。

聞く耳を持たない人たちに、いくら訴えてものれんに腕押しだからです。

 

理想論ではなく、いじめ防止の具体策が、なぜもっと真剣に検討されないのか、不思議でなりません。

子供の命に関わるような重大な問題ですのに。

それを守ることすらできないなんて・・・・・・・

家庭の不毛と同時に、教育の不毛にも思いが至り、悲しくなります。

 

明日は、生意気にも、私が思い付いた具体策を綴りたいと思っていますので、宜しければ、またお訪ねください。

それほど新しい提案でもなく、すでに実行している学校は多いかもしれません。

期待など、なさらないでくださいね。

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