数日前の事です。
懐かしい友から、突然電話がありました。
そのお名前はIさん。
これは旧姓です。
旧姓しか思い出せないほど、高校を卒業してからは、会う機会は殆どありませんでした。
彼女は、小学校の六年間、担任だった先生のご長女。
中学になりクラスが一緒に。
成績も優秀で、大人びた雰囲気。
卒業後は、国立の広島大学に入学されました。
心優しくて、楚々とした雰囲気の彼女は、私には憧れ的な存在でした。
家も割と近かったので、もっと親しくなりたいと、強く願ってもいました。
ネモフィラ
ピンボケですね。
新しいカメラ、未だに苦手意識が強くて、前のカメラが懐かしい。
今なお、そんな気持ちでいます
ところがその内、彼女は四人組の仲良しグループを結成。
そのグループに名称までつけて、その結束ぶりを周りの人にも感じさせていました。
そのグループの一人に、小学校時代、とても私が苦手とする人も入っていました。
きれいで、成績も優秀でしたが、その人は何故か私を強く意識しているのが分かりました。
一種のライバル意識だったのでしょうか。
小学生時代、その人の態度に、何かと傷つくことが多かった私です。
ですからそのグループに彼女も入っていたことで、私はかなり落ち込み、次第に自信を失っていきました。
この心の痛手は、思春期の私には大きな影響を与えました。
それだけが原因ではなかったでしょうが・・・。
私は次第に情緒不安定になり、中高は私の人生で一番暗い時期だったような気がします。
体力にも欠け・・・。
親にも随分心配を掛けました。
私の親友の男友達。
このブログにも時々登場いただいた、郷里の市政で大活躍したH君には、
「小学校時代は、とても元気だった~さんが、別人のようにおとなしくなり、びっくりしたよ」と、
よくからかわれたものです。
彼の言う通りでした。
前回の記事でご紹介したエリゲロンです。
今の時季、長年咲き続けてくれる宿根草です。
しかし大学入学後から、今日に至るまで、思うように過ごせなかった幾分暗い思春期が嘘のように、良き多くの友人に恵まれるようになりました。
その後の半生は、その素晴らしい友達の薫陶に与かり、私はみるみる成長できたと思っています。
結婚した夫も、大した理由もなく私を絶対的に信頼し、育児家事全般すべてを任せてくれたことも、私が逞しく変貌した大きな理由でした。
私達姉妹は、お互いに時期を同じくして、夫の海外赴任で外国暮らし。
さほど変わらない時期に帰国しましたが・・・。
数年振りに会った妹には、私がまるで別人のようと言われたものです。
恐らくこの度、声をかけてくださった中学時代の友、Iさんも、私に妹が感じたのと同じ印象を抱かれたのかもしれません。
十数年前の事。
彼女のお父様、すなわち小学校の担任だった先生のお墓詣りに、有志で一泊旅行を兼ね出かけた時の事。
彼女にも久し振りに会い、お墓に案内してもらい、夕食も共にしました。
それからしばらくして彼女からお礼の手紙をいただきました。
そこに下記のような文面がありました。
「貴女がどんなに幸せな人生を送ってこられたか、一目で分かりました」と。
私には何にも替え難い嬉しい言葉でした。
中学時代に少々苦い思い出のある人からの言葉でしたから、なおさら嬉しかったのかもしれません。
その言葉を目にした時、誰よりも、既に病床に臥していた夫に感謝したい気持ちになったものです。
そう言えば、数年前、ご近所の人に、「~さんはいつも本当に幸せそうね」とも。
そんなオーラ―を私に感じてくれる人が居るなんて、とても嬉しい事です。
全てやはり、主人と家族のお蔭だと思っています。
そして数日前の事です。
突然中学時代のその友人から、「お会いしたい」と。声を掛けられました。
恩師のお父様のお墓参りをしてから、もう十年以上経過。
その後、都内で開かれたミニ同窓会で、二度お目にかかりましたが、個人的に二人で会うのは初めて。
とても楽しみでしたが、何だか会うまでは気がソワソワして・・・。
心の片隅が何時も緊張しているような感じで、精神的に疲れてしまいました。
自分の思いがけない心理状態に、戸惑うばかり。
声をかけていただいたけれど、その理由がよく分からなかったからでしょうか。
高齢になると、お友達のお付き合いは、長年気心の知れた親友と会い、おしゃべりするのが気楽で一番愉しい。
そして数日前、二人で我が家の近所の和食レストランで昼食を共にしました。
コロナ禍以降3~4年ぶりに駅で再会したのですが、彼女の変貌繰りにびっくり。
これまでお会いした時は、割と地味な印象でしたが、服装もあか抜けて見違えるように美しくなられ、本当に本当にびっくり。
私も割と若く見られがちですが、彼女はもっと若々しくて、
50代と言ってもおかしくないほど
ご主人様は大学の教授、息子さのお一人は弁護士さん。
伊豆にセカンドハウスがあり、横浜市内の本宅と半々でお住まいとか。
伊豆の住まいからは毎日富士山が望め、でも周りにお店がなくてとても不便。
コロナ禍の時だけは、助かったわ、と。
裏千家のお師匠さんをなさっていて、大学で教えてもおいでのようでした。
今お会いしても、非の打ちどころがないような本当に素敵な方。
恐らく彼女は、中学時代、私の心が彼女の態度で痛手を受けたことがあるなんて、知る由もないでしょう。
その頃の私は、まだあまりに未熟で世間知らずの子供でしたから、既に大人っぽかった彼女には物足りなかったのでは。
とてもよく分かります。
ですから数十年ぶりに会った時、私の雰囲気の変わり様に驚かれたのかもしれません。、
もっといろいろお話ししてみたいと思い、声をかけて下さったのでしょうか。
楽しいひと時を過ごすことが出来、嬉しかったのですが・・・、
少々、疲れもしました。
この撮影をした時は、まだエリゲロンは咲いていませんでした。
今は満開です。
その翌々日、大学時代の親友から電話があり、二時間ほどおしゃべりしたのだけれど、姉妹のように気の置けない人なので、疲労は全く感じませんでした。
ご主人さまはまだ現役の開業医。
友も、医療事務を一手に引き受け、やり甲斐をとても感じるものの、スタッフの方達への気苦労も多いとのこと、
Iさんもやっこちゃんも、高齢なのに、お仕事に従事され、まだ活躍の最中。
只々感心するばかりの私です、
でも友は、高齢になると、何十年もお付き合いの続く親友が、会っても一番心が疲れないで楽しく話せる、と。
改めて思ったこの数日間のの出来事でした。
その内、都内で催される同窓会の声がまた掛かるでしょう。
今迄は、出席率は皆勤に近かったけれど、今度声が掛かったらどうしようかな。
楽しいだけでなく、疲れも感じてしまう場所ですから。
やっこちゃんはじめ、親友達とはいつでも会いたい。
今はそんな心境です。
花のように泉のように
お立ち寄りくださいまして有難うございました。