淡い粉雪が舞う中、余りの寒さに身をすくめるようにして玄関を出た私は、迎えに来てくれた妹の車に乗り込みました。
車内は、暖かく、妹の元気な声がお出迎え。
年末に会って以来の久しぶりの再会です。
電話、メールのやり取りは数知れず交わしている私達ですが。
私からの発信は、いつも電話。
妹とと違い、メールは大の苦手。
使用しても一言、二言。
長い文章は、一切打ちません。
私が乗車すると、妹の第一声は、「シートベルト締めてね」でした。
去年の悪夢が忘れられないようです。
命日より1日遅れの昨年のお墓参りの日。
車を走行中、突然おまわりさんに呼び止められました。
私がシートベルトをしていなかったため、無違反で通してきた妹が一瞬でアウト。
どんなに申し訳く思っても、後の祭りでした。
それ以来、今日に限らず、シートベルト締めてね、は妹の口癖です。(笑)
今日の命日も、もちろん向かうは、両親が眠る菩提寺。
我が家から、車で7~8分です。
墓前に着き、まず二人で、たわしと雑巾を使用してお墓のお掃除。
その手は、余りの寒さにかじかんで、感覚がなくなってしまうほどでした。
そういえば、母がなくなった夜からも、しんしんと雪が降り、お通夜の朝は、信じられないような豪雪。
純白の清らかな雪景色が、私の目には、母の一生を昇華してくれたように映り、とてつもなく切なく悲しい朝ながら、その景色に感激したものでした。
入退院を繰り返していた母とは言え、医療ミスとしか言いようのない、突然の死でしたので、心の準備がまるで出来ていなかった私です。
主治医の許可もなく、病室での気管支切開の処置中の急逝。
お別れの言葉を述べる間もありませんでした。
ゆえに、その悲しみは、あまりに深く、辛く、涙が止まらなくなってしまった私。
母を連れて帰宅後も、涙にくれ、そのショックで高熱を出し、寝込んでしまいました。
その間も、妹は実に気丈に振る舞ってくれました。
母の棺の前で、悲しみをこらえ、母の思い出話を語り、歌を口ずさんだりして、大変なおばあちゃん子で、慟哭止まなかった私の娘達や我が子を慰めてくれたのです。
その時の光景が、今なお、なぜか胸に焼き付いて離れません
妹と子供達の歌声は、母にとり、何によりの供養だったに違いありません。
私は、高熱で倒れたままで、妹と家族任せ。
何とも情けない有様でした。
それから16年が経過し、私も母がなくなった歳に近づいています。
今のところ、私が多少長患い中とはいえ、姉妹ともに、大きな病にかかることもなく、今日に至りました。
昨日も昼食を取るために入ったファミレスで、数時間喋りまくり、まだまだお互いに意気軒昂。(笑)
いくらファミレスとは言え、長居にさすがに気がとがめた私は、昼食にコーヒーとケーキ。
さらにおぜんざいまで注文してしまいました。
母のこの年に比べると、体はともかく、頭も気力も比較にならないほど、まだしっかりしている私達ですが・・・・・・
死に時は親に似るといいませんでしたでしょうか?
今、断捨利に燃え、家の中をくまなく整理中の私。
すっきりした家で、残された余生を、妹と支え励まし合いながら、精一杯生きようと、母の命日にあたり、改めて思いました。
それが、何よりの供養と感じています。