目を覚まし、さぁ~ブログをそろそろ書きはじめようかしら、と思った矢先のこと。
グラグラ、グラグラ、グラグラ、と大きな地震に、又見舞われました。
震度4~5弱といったところでしょうか。
最近は、多少地震に慣れてきたのか、割と私は冷静で、まな板の上の鯉といった心境です。
慣れは気の緩みとなり怖いことですから、身を再度、引き締めないといけませんね~
備えは一通りのことはしていますけれど、まだ十分とは言えません。
但し家具の転倒防止の対処は、9割方できている、といっていいかもしれません。
それに我が家は、造り付け家具が多いので、助かっています。
私は東日本大震災以来、我が家への信頼が、幾分大きくなりました。
この家は、きっと大きな地震にも耐えられるのでは、と。
その理由は、玄関ホールのガラスの花瓶が倒れなかったことによるもの。
四本足の40センチ幅ほどの、長方形の小さな飾り棚の上に置かれたガラス製の細長い花瓶が、震度5強にびくともしませんでした。
これには、とても感動した私です。
その他でも、倒れたのは、お雛さまが数体くらいだったでしょうか。
他にも、自分を安心させる拠り所が、我が家には二つあります。
ある時、異なる業者さんに、我が家を二点で褒められました。
床下と屋根裏です。
これぞ、まさに床下、これぞまさに本当の天井裏といったような褒め方をされたことがあります。
材木が多く使用され、非常に丁寧な造作のようです。
でも上に挙げたことは、恐ろしい地震の恐怖を多少でも和らげたいと、私が心のよりどころにしているに過ぎません。
大きな窓がやたらに多い我が家。
それに吹き抜けの箇所もいくつかあります。
私の見た目には、地震には、非常に弱い家に映るのですね~
さらに一番不安なことは、この家は、1年がかりで私が夢ばかり追い、勝手に図面を引き、その通りに建築された家だからです。
意外にも、修正箇所がほとんどなく、OKがでました。
お世話になった設計士さんから、大層なお褒めの言葉を頂き、設計士になることを夢見たほどです。
とは言え、地震対策のことなど、ひとかけらも頭にはありませんでした。
夢実現に向けまっしぐら、といった感じで建てた家ですから。
お正月、家族が揃って団欒を過ごしている時にも、大きな地震に見舞われましたが。
その時、義息子たちが、我が家の揺れ方、或いは地震で発生するみしみしという材木の軋む音に、大変驚いていました。
長女家の家は、コンクリート住宅。次女家はマンションですから、地震の反応が多少緩やかなのでしょう。
と言うことは、老夫婦の方が数倍恐い思いをしているということになりますね。
前面道路も4メートル以上ある住宅地で家も密集していませんから、火事の心配もなさそうです。
丘陵地帯ですから、津波の心配は皆無。
とは言え、震度7位の地震が襲うと、何が起きるかわかりません。
でも私は、この年になると、命を惜しむ気持ちは然程ありません。
夫にも、私はどんな事態になっても、この家は離れない、なんて言っています。
私にとり、一番の恐怖は、若夫婦家族の身の危険です。
皆、都心のど真ん中で働いています。
昨日、数日前の新聞に目を通している時、悲しい写真に見入り、もらい泣きをしてしまいました。
奥様をなくされた方が、小さなお子さん共に、花束を手向け冥福を祈る悲痛な姿。
教師の若いお嬢様を失ったご両親の悲しみに耐えかねた後ろ姿。
海を見つめるお父様の手は、無念を抑え難いかのように、手を拳にしてコートを握りしめておられました。
大切な家族を失った方々の、今も諦めきれない嘆きが、とても他人ごととは思えない、日本の置かれた、今の現状です。
何にいらついているのか分からない、大いなる自然。
どうかなりを鎮め、穏やかになって下さい、と心からお願いしたい気持ちですが、素直な応答が有る筈がありません。
これからは、ひたすら日本国民と、我が家族の身の安全を祈る暮らしを、日々送るしかないような、そんな気持ちでいます。
また最近の私は、先日このブログでご紹介した言葉を、幾度も噛みしめています。
自分の心に言い聞かせるために、、再度ここに載せることに致しました。
人生で大切な諦めと覚悟
諦めとは、運命は避けられないと知ること。
覚悟とは、与えられた時間の中で最善をつくすこと。
今日は、こんなこと書くつもりでは全くありませんでした。
結構強い地震に見舞われ、キーボードを打つうちに、このようなお話しの流れになってしまいました。
皆さまも、くれぐれもお気を付けてお暮らしになられますように。
今日の歩数 6047歩
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