今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

名医の条件

2012-09-23 07:16:22 | 

今日もまた、理想の家庭医を求めての続編です。

昨日の記事を書き終えて、良いお医者さんの条件についての一般の考えを知りたいと思い、ネットで検索しました。

すると、私が思い描く理想の姿とほぼ変わらない医師像を、本当のお医者さまが、名医の条件というタイトルで、ブログに綴っておられました。

その文を読み、大変感動した私です。

著作権云々で、そのまま転載することにはためらいがありますが、ブログのお名前もご紹介し、ここに、その文を引用せていただく失礼をお許し頂こうと思います。

          

           

                     相変わらず、写真がPCに取り込めまさせん。一昨年撮った写真です。
                     我が家の居間に飾られた私の好きな絵です。
                     もう一枚似た絵がありますので、またいつか、ご紹介させていただきますね。
                     晩秋の風景でしょうか。
                  
              

長女夫婦の長男のR君が、ひいおじいちゃま同様、お医者さんの道を歩むかどうか何て、まだ分ろうはずがありません。

父親のHさんは、それを望んでいるようですが、R君に押し付けるようなことでは全くありませんものね~

本人が決めればよいこと。

ですから、今のところ、私は期待など全くしていません。

                     

 

けれども、万一お医者さんになると決まった時には、これから載せる名医の条件にぜひ目を通してほしいな~

まだ何ぶんにも、中学生になったばかりのR君。少々気が早過ぎる私の思いですが……(笑)

忘れないために、ここに控えさせていただきます。

名医の条件に、ご興味のある方は、ぜひご一読下さいませ。

Dr.OHKADO's Blog より、引用させて頂きました。

 

「 「あの医者は名医だ」といった言葉をよく聞きますが、「名選手」「名指揮者」「名シェフ」など「名」のつく職業はなじみ深いものが他にもいくらでもあります.また最近は「カリスマ美容師」に代表されるように「名」のさらに上を行くものとして「カリスマ」なる言葉も流行っていて、「カリスマ主婦」などと、なんやそれ?と思うほど節操なく使われているようです.
 「名…」と呼ぶ基準については、例えば野球の「名選手」ならば、ホームラン数や防御率などの優れた選手を呼ぶようですし,「名指揮者」「名シェフ」などは客観的な指標がないとはいえ、演奏のすばらしさや料理の美味しさなど、大多数の人間に認められる何かがあるのでしょう.

 では「名医」とは、どんな医者を意味するのでしょうか.すぐ思い出すのは、例えば外科医ならば手塚治虫の漫画「ブラックジャック」のように,卓越した手術の腕前を持った医師でしょう.週刊誌などにはよく「日本の名医100人」といった記事が特集されていますが,こういった記事の多くは手術数などが基準になっているようです.外科手術や最近流行りのカテーテル治療などは,多分に医師の「腕」が結果を左右するので,優秀な医師を選ぶ基準として経験手術数や成績が重視されるのはある意味当然かもしれません.

 ところで一昔前の医学は経験や勘といった要素がかなりの部分を占めていましたが,昨今の著しい進歩により,多くの病気には理論的な治療法が開発されました.「胃潰瘍」という診断がいったんつけば、私のような平凡な医師でも、大学病院の教授先生でも治療方針にたいした違いはありません.また病気の診断も、聴診器しかなかった昔とは違い、あらゆる高度な診断機器がそろった現代では、通常の病気はどんな医師が診断してもほぼ同じような診断結果が得られます.

 またかつては、たとえば心臓の手術にしても、無事手術室から帰ってくるか否かさえ分からないというレベルでした.しかし今は,手術手技はもちろん麻酔や全身管理などの進歩により、非常に重症なケースは別としても、大半の手術はある一定レベル以上の外科医が行えば成功するようになりました.つまり、多少の巧拙の差はあるにしろ、手術は適切なトレーニングを受けた医師であれば誰でもほぼ問題なく施行できるようになったといえます.むしろ本来、誰もが平等に医療の恩恵に預かるためには、特殊な能力を持った人間だけが施す魔術や手品のようなものであってはならないはずです.マスコミは腕の立つ(これもある意味で語弊がありますが)と言われる外科医を「天才外科医」「ゴッドハンド」などと話題にしますが、「天才」でないと出来ないような手術では困りますし、実際そんな手術も滅多にあるものではありません.

 そう考えてくると、いったい名医とは何なのでしょうか?少なくとも人間を相手にする臨床医にとって、医療側やマスコミ側ではなく,患者側から「名医」だと認められる条件は、確かな知識や技術もさることながら、多くの人生経験とそれを自分の糧とする能力、そしてそれを彼らのために還元できる能力ではないかと私は思います.つまり、名選手がそのプレーを、名指揮者がその音楽を通じて人々を感動させるように、名医とは医療を通じて病める人々を感動させられる医師なのだと思います.

 患者さんが病気の治療を求めて医師にかかるとき、医師とは病気以外の様々な側面でも接点を持ちます.彼らは普段他人には見せない肉体のみならず、他人には言えないような弱い面、恥ずかしい面もさらけ出さなければならないこともあるからです.問診にしても、患者さん自身の訴えだけで簡単に診断をつけられることもありますが、より正確な診断のためには、その人の過去や、必要ならば親や子供のことについてさえ,さながら警察の取調べのように細々と聞き出さなくてはならないこともあります.

 当然ですがこんなことを可能たらしめているのは、両者の間に医師と患者という関係が成り立っているからです.しかもそれは医師がたとえほやほやの研修医であっても、何十年もやってきたベテランの医師であっても同じなのです.考えてみればこれは恐ろしいことで、「最近陰部にかゆみを感じることはありませんか?」なとどいった際どい質問を,普通の人がすれば「何でそないなこと、あんたに教えんとあきまへんのや?」とでもいわれそうですが、医師という肩書きだけで、「はあ、そういえば時々かゆくなりまんなあ」などと比較的ためらわずに答えてくれるのです。

 それでも一般的にあまりに若い医師に対しては患者さんが不安を隠せないことが多いのは、知識や技術もさることながら、彼らに対して安心感,信頼感や癒しを与えられる能力がまだ足りないからなのかもしれません.
 そういった意味では医師も様々な人生経験を積み、艱難辛苦をなめたような人の方がよいわけです.恋愛経験のひとつもない医師や,勉強ばかりでエリート街道まっしぐら、何の苦労もしたことのない医師に病人の苦しみや痛みがわかるでしょうか?

 私は勤務医時代,いつも研修医に「この患者さんが君の親だと思って治療をしなさい」と教えました.自分の親が病気になった時、いったいどんな医師に診てもらいたいかを考えればわかります.やはり、患者さんの病気を頑張って治療しようという一生懸命さ、真面目さなどが彼らや家族の心を打つのではないでしょうか.ある意味あまりにスマートな医師よりも、不器用(といっても程度がありますが)でも真摯な態度の医師のほうが安心感があるでしょう.そうであれば、万が一不幸にして治療がうまくいかず望まない結末になっても、家族は「ここまで一生懸命やってくれたのだから言うことはない.本当に良い先生に出会った」と言ってくれるかもしれません.

 私とてまだ医師になりたての頃は、プライドばかりが常に頭をもたげて,いかにして患者さんに馬鹿にされないかと思いがちでした.彼らの前で薬の名前が分からなくても、その場で本を見ることなどできなませんでした.けれどもある程度の人生経験を積み、身をもって分かったことは、医師は決して天才なんかでなくても良い、その前に正直であり、真摯であれということです.だから患者さんに薬を処方するとき、使用法がわからなければ遠慮なくその場で本を調べてもよいし,そんなことは何ら医師の評価を落とすものでもないと思っています.

 私は自分がマスコミの言う「名医」などになれるとはこれっぽっちも思っていません.しかし患者さんやその家族の人たちが「本当に先生に診てもらって良かった」と感じてくれるような医師になれれば医師冥利に尽きるというものです.

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