《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

行基像の兄弟が…

2016年11月11日 | Weblog

奈良・富雄・霊山寺は「この地方は小野家の領有でした。
右大臣小野富人(遣隋使・小野妹子の息子と伝わる)は壬申の乱に関与したため、
弘文元年(672)官を辞し、登美山に閑居しました。
…行基さんや弘法大師が来寺され、登美山に力の強い龍神様がおられると感得された」とある。
僧坊21ケ寺という所説もあるほど栄えた寺だが、境内裏山には朽ちた南大門土塀跡と言われるものが辛うじてある。
近鉄・奈良駅噴水に立つ行基像は当初3体作られるたがその1体がこの境内にある。
ついでながら残り1体は壊れてしまったそうです。