戊辰役橋本砲台跡。文久三年(1863)外敵から守るため建設された砲台。鳥羽伏見の戦いでは幕府軍の小浜藩が守備していたが、開戦後対岸の藤堂藩から砲撃を受け応戦した。しかしこの砲台は元々大阪湾からの外敵に対して設計されており、京都側には火薬庫があり北側からの敵に対しての防衛を想定しておらず、防衛陣地としては役に立たないことが分かり放棄され占領された。
戊辰役橋本砲台跡。文久三年(1863)外敵から守るため建設された砲台。鳥羽伏見の戦いでは幕府軍の小浜藩が守備していたが、開戦後対岸の藤堂藩から砲撃を受け応戦した。しかしこの砲台は元々大阪湾からの外敵に対して設計されており、京都側には火薬庫があり北側からの敵に対しての防衛を想定しておらず、防衛陣地としては役に立たないことが分かり放棄され占領された。