月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

平成8年の私との再会

2013-08-30 | 生活
初めて大阪編集教室のOB・OG会に参加した。
同じく教室卒業生のアンデルさんに声をかけてもらい、彼女がいるなら・・・と、思い切って参加してみた。
最近、「大人数の飲み会苦手」「知らない人たちの中に入るの苦手」を克服しようと頑張っている。
去年も頑張っていろんな集まりに参加して、それが新たな人脈に繋がり、今の日本酒冊子の仕事にも結びついたので。
自分が動かなければ、何も変わらないという事実。
そのことを知ってから、機会があれば動くようにしている。

そして行ってみて、やはりよかったと思っている。
1人、とても懐かしい人に会えたからだ。
それは、私が教室を卒業して最初にもらった仕事先のMさんだった。

Mさんも教室卒業生で、NKCという会社で学参関係の編集をされていた。
Mさんは私のことを覚えてくれていて、「今日、たまたま整理していたら出てきたんですよ」と、当時(平成8年)の私の履歴書を見せてくれた。
卒業生のつながりで、編集教室が私をMさんに紹介してくれたのがきっかけだった。
「え~!こんなの残ってたんですか!」とびっくり。
それを見ていたら、いろんな当時のことを思い出した。

私が平成8年に履歴書を持ってMさんの会社を訪れたとき、最初にもらった仕事は、教科書ガイド(それも中2数学!)の校正だった。
それから、小学4年生向けのポピーという教科書準拠問題集の原稿作成(こちらは国語)。
お金はわりとよかったので、その後10年間、この会社がなくなるまで続けることになるのだが、平成8年の私はそんなことまだ知らない。

私はこの日、Mさんの会社を出て駅までの道で泣いた。
はっきり覚えている。
涙が止まらなかった。
「作家になる」とムチャを言って就職活動も一度もせず、今度は「フリーライターになる」と言って編集教室に通って、とりあえず「フリーライター」になった。
だけど、そんな甘い考えや勝手気ままなことが世間で許されるはずもなく、あんなに文章を書きたかった私は数学や国語の問題集を作っている。
結局、そんな仕事しか私には与えられないんだ・・・
そう思ったら悔しくて情けなくて、涙が止まらなかった。
一体何をしているんだろう、と思った。
周りの友達はみんなちゃんと就職してまともな社会人になって働いているというのに、私は毎日酒飲んで塾で教えて、偉そうにライターになったつもりだったけど、やってる仕事は問題集作り・・・。
「こんなのライターの仕事じゃない・・・」

失望して、泣きながらトボトボ歩いて帰った。

そんな私を救ってくれたのは、ある人の言葉だった。

「手塚治虫だって、最初は4コマ漫画からやってんで」

自分を手塚先生になぞらえるなんておこがましいが、それでも、この言葉は救いだった。
あの天才が、あのすごい作品を描く人でも、スタートは4コマなんだ・・・。
そう思ったら、自分もいつかまともな文章を書く仕事ができるようになるかもしれない・・・。そんな希望が生まれた。

それから少しずつ、ライターらしい仕事も増えていった。
最初にやらせてもらったのは、「るるぶ」や「マップルマガジン」の観光地取材。
これも編集教室の先生が紹介してくれた。
京都市内、福知山、天橋立、宮津、滋賀、九州の久留米や柳川など、いろんなところへ行ったし、ここで初めて「取材」というものをして、記事を書くことを覚えた。

一番の転機は、やはり社内報の仕事だ。
これを10年やらせてもらって、それがキャリアになって、新聞やフリーペーパー、広告、WEB、いろんなことをやらせてもらえるようになったからだ。
この仕事は、飲んだくれていたある日、何かが突然降ってきたように目覚めて、コンビニに走って「とらばーゆ」を買いに行って、そこで見つけた。
あの日、目覚めなかったら・・・
あの日、思い切って応募しなかったら・・・
そういう「もしも」を考えると、怖くて今でも身震いしてしまう。
あの日がなかったら、たぶん今の私はいなくて、ライターをあきらめてずっと塾で教えていたかもしれない。

「正社員募集」のところ、「フリー」でやりたいと応募した。
実はこれも、編集教室の先生が言ってくれた言葉があったから思い切れたのだ。

「仕事がないんです」と先生に相談した。
「そりゃ、そうでしょう」と先生。「世の中の人は、誰もあなたがライターだと知らないんだから」
「仕事が来たら、絶対いいものが書けるんです、私」
「じゃあ、まずは知ってもらいなさい。どうしてもフリーでやりたいんだったら、正社員募集だろうが何だろうが応募して、履歴書を預かってもらいなさい。そうしたら、何かのときに思い出してもらえるかもしれないから」

あの先生の言葉があったから、私は応募した。
本当に履歴書を預かってもらえればいい、というそんな気持ちで。
だけど、「あなたのフリーという条件をのみますので、来てください」と言ってもらえた。
天にも昇る気持ちとはあの時のことを言うんだろうな、あそこから本当の意味で私のライター生活は始まった。

OB・OG会にはいろんな先生も来られると聞いていたので、もしあの先生が来ていたら、絶対にお礼を言おうと思っていたが、残念ながら先生は来られていなかった。

教室時代に、私の書いたコラムを褒めてくれたのもその先生だった。
もんちゃんがくれた「地球家族」という写真集について書いたもの。
「視点が素晴らしい」と皆の前で褒めてくれ、お手本にしてくれた。それが自信になった。
いろんな意味で、私を導いてくれた先生だった。私の恩人だ。

そんないろんなことを思い出したOB・OG会。
Mさんにも再会できたし、他の先生ともお話して、最後は日本酒きき酒大会になって楽しかった。
不思議なご縁もあった。
私が今仕事をもらっている会社の担当者が、なんと教室卒業生で、それもアンデルさんの同期で仲良しだったのだ!
二次会は3人でもう1軒。
「1杯だけ」と言いながら、結局終電まで飲んでしまったけど、楽しい会だった。

「世間って狭い」とよく思う。
どこで繋がっているかわからない。
最近、よく仕事でご一緒しているカメラマンが、あんこちゃんの友達のライターさんの知り合いだったり。
私の友達のダンナさんが営業で行く店舗が、別の友達のご実家だったり。
狭すぎて、悪いことができない(笑)

だけど、「世間って狭い」と感じられるのも、それだけ「世間」と関わりが増えてきたからだと思う。
自分の小さな世界に閉じこもっていたら、狭いかどうかもわからない。
OB・OG会も思い切って参加してよかった。
前までの私なら「もう別に教室なんか関係ないし。知り合いもいないし、そういう飲み会苦手やし。私はいいわー」と断っていたはず。
これからも自ら動いて世間を広げていこうと思う。
自分が動かなければ、私を取り巻く世界は何も変わらないのだ。