文章を書いていると、文章を書きたくなる。
書かないと、書かなくていいようなムードに流されていく。
これは本当に不思議。
習慣、というものなのか。
だから、私がブログを更新していないと「忙しいのかな」と思う人が多いと思うが、それは逆なのだ。
暇で酒しか飲んでないような時は、何も書く気にならない。
仕事で忙しく、毎日書いていると、いくらでも言葉が溢れてきて止まらない。
たぶん、これからしばらくは忙しいので、ブログの更新も頻繁になると思う。
少し前の話になるが、あんこちゃんと京都の「神馬」さんへ行った。
京都の日本酒好きには有名なお店で、私も前から知っていたのだけど、とにかく場所が行きづらい。
でも、あんこちゃんも知っていて「行きたい」というので、京都駅からタクシーに乗って(贅沢!)行った。もちろん予約して・・・。
こんな歴史ある佇まい。
もうこれだけでおいしそうなものが出そうよね。
入ってみると、なんだかホッとするような暖かい雰囲気のお店で。
奥にテーブルがあって、手前がぐるりと厨房を囲むようにカウンター。
昭和の古き良き時代を思わせる。
まずはビールで乾杯。
美味しいお店というのは、つきだしが必ず旨い。
写真の右横にあるのは伝票。
昔ながらのやり方で、こんな伝票に印をつけていくのだ。
こういうのもなんだが風情があって、たまらない。
二人で壁に貼られたメニューをじっくり見て、料理を選ぶ。
(意外に高いのよ)
まず、意見が一致したのが鱧の焼霜。
私は、鱧は「落とし」よりも「焼霜」が断然好きだ。
今年の夏はまだ鱧を食べていなかったので、どうしても食べたかった。
そして、その選択は間違いじゃなかった!
ベスト!!
いやー、数々、いろんなお店で鱧は食べてきたけれど、びりけんの鱧しゃぶに匹敵するくらい旨いかも。
普段、鱧に梅肉が出てくると、海原雄山(美味しんぼ)のごとく「なぜ、鱧には梅肉なのだ?他のもので試そうという気がないのか、店主?」と言いたくなる私だが、鱧自体がこれだけ旨いと、もう何でもよくなる。
あんこちゃんも鱧にはうるさい人だが、絶賛していた。
それから、また私がうるさい鯖きずし。
自分の好きな「しめ方」というのがあって、皆がうまい、うまいというきずしでも、「確かにうまい。でもなー」といつも思っている。
それは、自分のベストの「しめ方」があるからだ。(こういう人と食事に行くのってイヤね・・・)
でも、こちらはかなりベストに近く、満足した。
それから、天ぷら盛り合わせ
いい揚げ具合で、どれもおいしかったなー。
ここはまた日本酒が小数精鋭で、いいものが揃っている。
いろいろと3杯ずつ飲んだ。
とても居心地がよく、料理もお酒もバッチリだったが、どうせ2軒目に行くので、このへんで・・・と終わりにして、日本酒立ち飲みの「壱」へ。
また終電まで飲んだ。
とても楽しい飲み会だった。
この日、とてもうれしかったことがあった。
それは、私が日本酒冊子の仕事を始めること、そして連載をもてるかもと言っていたことについて、あんこちゃんが
「絶対連載もって、かおりん!」と言ってくれたことだ。
その理由に、じんとした。
「私はいろんなライターを知っている。他にもすごい上手なライターも見てきた。
だけど、かおりんの書くものは、まとめて1冊にして読みたいねん。
かおりんの文章はそういう文章やねん。
連載して、まとめて1冊にして。
それをあんこは読みたい。かおりんは、そういうライターやねん。
だから、ほんまに今回の事はよかったね。ほんまによかった!」
美味しい料理を食べて、美味しいお酒を飲みながら、昭和の雰囲気漂う空間で、あんこちゃんはこんなことを言うのである。
なんだか泣きたいような、恥ずかしいような、そんな気持ちを噛み締めながら、ただただ「ありがとう」と繰り返していた。
単にその言葉そのものが嬉しかっただけでなく、あんこちゃんに言われたことが嬉しかったということもある。
あんこちゃんという人は、まだ出会って3年しか経たない友達だが、それ以前に私が尊敬するコピーライターだ。
出逢ったのは、2010年の初夏。
私が応募した某メーカー(バッグや財布)のコピーライターとして、二人で採用されたのがきっかけだった。
テストコピーを送った後、採用の通知があり、某社を訪れた時は一人だった。
担当者が「あなたともう1人を採用しました」と、たくさんの応募の束を見せてくれた。
自慢ではないが、かなりの数の中から選ばれた二人だった。
テストコピーは、そのメーカーのデザイナーが、自分がデザインした商品についての想いを語るDVDが送られてきて、それを見て商品についてのコピーを書くというものだった。
後でわかったことだが、私とあんこちゃんが採用された理由は随分違った。
私がやったこともないファッション系のコピーに応募した理由は、単に商品コピーを書くのではなく、「デザイナーの想いを取材して、表現してください」というようなことが求められていたからだ。
「人の想いを代弁する」
それは私が得意であり、ずっとやってきたこと。きっとこの仕事でも活かせるはずと思い、応募した。
その考えは的中し、テストもそういう内容だったので、先方の心をとらえることに成功した。
社長が後で私にこう言った。
「たくさんの応募があったんですけど、あなたのコピーは表現が面白かった。他の人とは全く違うのがよかったんです」と。
褒められ、採用にはこぎつけたが、結局のところ、私はコピーライターではなく、取材ライターの域を出ていなかった。
そのことは、採用後、あんこちゃんと仕事を二分し、毎月新商品のコピーを書くようになって気づいた。
最初にあんこちゃんのコピーを読んだとき、自分のコピーとの歴然とした差を見て愕然とした。恥ずかしかった。
決して謙遜して言っているわけではなく、夫に見せたときもこういわれた。
「あんこちゃんのコピーは上手いなぁ。この人はちゃんと“気分”で書いてる。かおりのは、上手な説明書や」
まさにそうで、私のコピーは上手な説明書だった。
そんなのコピーじゃない。
あんこちゃんはもともと広告畑の人だし、お洒落好きで洋服のお店で働いていたこともあるし、とにかくファッション系のことが好きだ。
それに対して私は着る物、持つもの、すべてに無頓着。(と言っても、おかしい!と言われない程度は目指している)
ファッション雑誌など読んだこともほぼない。
「リュクスなきらめきが・・・」
「ラグジュアリーな・・・・」
そんな言葉、使ったことも書いたこともなかったのだ。
あんこちゃんのコピーを読んで、うわー、この人、なんて上手なんだろう!と本当に思った。
そして、いつも勉強せずにポテンシャルだけで仕事をしてきた私が、図書館へ行ってファッション雑誌を読み、使えそうな言葉を書き出した。
サイトもそういうものを見て、使えそうなワードをどんどん拾った。
もちろん、あんこちゃんのマネもした。
とにかくこの人に追いつかないと、私が切られてしまう!
そういう緊張感があって頑張った。
1年くらい経つと、前よりはコピーらしいものになってきた。
あんこちゃんからも「かおりん、最近、コピーうまなったなぁ」と言ってもらえるようになった。
それは、本当にうれしいことだった。
なんといっても、私の尊敬するコピーライターからの褒め言葉である。
私はずーっと1人で仕事をしてきた。
だから、あまり人に教えられるということがなかった。
このコピーの仕事であんこちゃんと仕事ができ、決して直接教えられるということはなかったけれど、彼女のコピーを見ることが何よりの勉強になった。
同じブランドの商品のことを書くので、その対比がはっきりでたのがよかったのだろう。
話が長くなったが、この3年、友達としてだけでなく、常にコピーライターとして尊敬していたあんこちゃんに「かおりんの書いたものを読みたい」と言われ、私は本当に嬉しかったのだ。
「読みたい」と言われること。
それは、私にとって何より嬉しいこと。
残念ながら、連載はもてるかどうか、まだわからない。
というか、その話は今立ち消えている状態。
だから、連載をまとめて読んでもらうということはかなわないかもしれないが、とりあえず「読みたい」「あなたはこういうライターだ」と分析してもらったことが、私を勇気付けてくれた。
かどやも酔っ払うとたまに言うのだ。
「書いてよ、さんちゃん。さんちゃんの書いた本が読みたいわ」と。
それを聞くと、嬉しさを超えてせつなくて、こっちも酔っ払ってるから涙が出てくる。
書きたいけどね、もう何も出てこないんだよ、空っぽなんだよ、もう自分の中には何もないんだよ・・・
そう伝えることが辛いし情けない。
でも、これからも自分が書けるものは、書いていく。
今度の日本酒の冊子をきっかけに、もう少し周りの人に読んでもらえるものが書けるといいのだけど。
何にしろ、「書く」ということからは、絶対に離れることはできないのだ。
それだけは確信している。
仕事になろうが、なるまいが。
書かないと、書かなくていいようなムードに流されていく。
これは本当に不思議。
習慣、というものなのか。
だから、私がブログを更新していないと「忙しいのかな」と思う人が多いと思うが、それは逆なのだ。
暇で酒しか飲んでないような時は、何も書く気にならない。
仕事で忙しく、毎日書いていると、いくらでも言葉が溢れてきて止まらない。
たぶん、これからしばらくは忙しいので、ブログの更新も頻繁になると思う。
少し前の話になるが、あんこちゃんと京都の「神馬」さんへ行った。
京都の日本酒好きには有名なお店で、私も前から知っていたのだけど、とにかく場所が行きづらい。
でも、あんこちゃんも知っていて「行きたい」というので、京都駅からタクシーに乗って(贅沢!)行った。もちろん予約して・・・。
こんな歴史ある佇まい。
もうこれだけでおいしそうなものが出そうよね。
入ってみると、なんだかホッとするような暖かい雰囲気のお店で。
奥にテーブルがあって、手前がぐるりと厨房を囲むようにカウンター。
昭和の古き良き時代を思わせる。
まずはビールで乾杯。
美味しいお店というのは、つきだしが必ず旨い。
写真の右横にあるのは伝票。
昔ながらのやり方で、こんな伝票に印をつけていくのだ。
こういうのもなんだが風情があって、たまらない。
二人で壁に貼られたメニューをじっくり見て、料理を選ぶ。
(意外に高いのよ)
まず、意見が一致したのが鱧の焼霜。
私は、鱧は「落とし」よりも「焼霜」が断然好きだ。
今年の夏はまだ鱧を食べていなかったので、どうしても食べたかった。
そして、その選択は間違いじゃなかった!
ベスト!!
いやー、数々、いろんなお店で鱧は食べてきたけれど、びりけんの鱧しゃぶに匹敵するくらい旨いかも。
普段、鱧に梅肉が出てくると、海原雄山(美味しんぼ)のごとく「なぜ、鱧には梅肉なのだ?他のもので試そうという気がないのか、店主?」と言いたくなる私だが、鱧自体がこれだけ旨いと、もう何でもよくなる。
あんこちゃんも鱧にはうるさい人だが、絶賛していた。
それから、また私がうるさい鯖きずし。
自分の好きな「しめ方」というのがあって、皆がうまい、うまいというきずしでも、「確かにうまい。でもなー」といつも思っている。
それは、自分のベストの「しめ方」があるからだ。(こういう人と食事に行くのってイヤね・・・)
でも、こちらはかなりベストに近く、満足した。
それから、天ぷら盛り合わせ
いい揚げ具合で、どれもおいしかったなー。
ここはまた日本酒が小数精鋭で、いいものが揃っている。
いろいろと3杯ずつ飲んだ。
とても居心地がよく、料理もお酒もバッチリだったが、どうせ2軒目に行くので、このへんで・・・と終わりにして、日本酒立ち飲みの「壱」へ。
また終電まで飲んだ。
とても楽しい飲み会だった。
この日、とてもうれしかったことがあった。
それは、私が日本酒冊子の仕事を始めること、そして連載をもてるかもと言っていたことについて、あんこちゃんが
「絶対連載もって、かおりん!」と言ってくれたことだ。
その理由に、じんとした。
「私はいろんなライターを知っている。他にもすごい上手なライターも見てきた。
だけど、かおりんの書くものは、まとめて1冊にして読みたいねん。
かおりんの文章はそういう文章やねん。
連載して、まとめて1冊にして。
それをあんこは読みたい。かおりんは、そういうライターやねん。
だから、ほんまに今回の事はよかったね。ほんまによかった!」
美味しい料理を食べて、美味しいお酒を飲みながら、昭和の雰囲気漂う空間で、あんこちゃんはこんなことを言うのである。
なんだか泣きたいような、恥ずかしいような、そんな気持ちを噛み締めながら、ただただ「ありがとう」と繰り返していた。
単にその言葉そのものが嬉しかっただけでなく、あんこちゃんに言われたことが嬉しかったということもある。
あんこちゃんという人は、まだ出会って3年しか経たない友達だが、それ以前に私が尊敬するコピーライターだ。
出逢ったのは、2010年の初夏。
私が応募した某メーカー(バッグや財布)のコピーライターとして、二人で採用されたのがきっかけだった。
テストコピーを送った後、採用の通知があり、某社を訪れた時は一人だった。
担当者が「あなたともう1人を採用しました」と、たくさんの応募の束を見せてくれた。
自慢ではないが、かなりの数の中から選ばれた二人だった。
テストコピーは、そのメーカーのデザイナーが、自分がデザインした商品についての想いを語るDVDが送られてきて、それを見て商品についてのコピーを書くというものだった。
後でわかったことだが、私とあんこちゃんが採用された理由は随分違った。
私がやったこともないファッション系のコピーに応募した理由は、単に商品コピーを書くのではなく、「デザイナーの想いを取材して、表現してください」というようなことが求められていたからだ。
「人の想いを代弁する」
それは私が得意であり、ずっとやってきたこと。きっとこの仕事でも活かせるはずと思い、応募した。
その考えは的中し、テストもそういう内容だったので、先方の心をとらえることに成功した。
社長が後で私にこう言った。
「たくさんの応募があったんですけど、あなたのコピーは表現が面白かった。他の人とは全く違うのがよかったんです」と。
褒められ、採用にはこぎつけたが、結局のところ、私はコピーライターではなく、取材ライターの域を出ていなかった。
そのことは、採用後、あんこちゃんと仕事を二分し、毎月新商品のコピーを書くようになって気づいた。
最初にあんこちゃんのコピーを読んだとき、自分のコピーとの歴然とした差を見て愕然とした。恥ずかしかった。
決して謙遜して言っているわけではなく、夫に見せたときもこういわれた。
「あんこちゃんのコピーは上手いなぁ。この人はちゃんと“気分”で書いてる。かおりのは、上手な説明書や」
まさにそうで、私のコピーは上手な説明書だった。
そんなのコピーじゃない。
あんこちゃんはもともと広告畑の人だし、お洒落好きで洋服のお店で働いていたこともあるし、とにかくファッション系のことが好きだ。
それに対して私は着る物、持つもの、すべてに無頓着。(と言っても、おかしい!と言われない程度は目指している)
ファッション雑誌など読んだこともほぼない。
「リュクスなきらめきが・・・」
「ラグジュアリーな・・・・」
そんな言葉、使ったことも書いたこともなかったのだ。
あんこちゃんのコピーを読んで、うわー、この人、なんて上手なんだろう!と本当に思った。
そして、いつも勉強せずにポテンシャルだけで仕事をしてきた私が、図書館へ行ってファッション雑誌を読み、使えそうな言葉を書き出した。
サイトもそういうものを見て、使えそうなワードをどんどん拾った。
もちろん、あんこちゃんのマネもした。
とにかくこの人に追いつかないと、私が切られてしまう!
そういう緊張感があって頑張った。
1年くらい経つと、前よりはコピーらしいものになってきた。
あんこちゃんからも「かおりん、最近、コピーうまなったなぁ」と言ってもらえるようになった。
それは、本当にうれしいことだった。
なんといっても、私の尊敬するコピーライターからの褒め言葉である。
私はずーっと1人で仕事をしてきた。
だから、あまり人に教えられるということがなかった。
このコピーの仕事であんこちゃんと仕事ができ、決して直接教えられるということはなかったけれど、彼女のコピーを見ることが何よりの勉強になった。
同じブランドの商品のことを書くので、その対比がはっきりでたのがよかったのだろう。
話が長くなったが、この3年、友達としてだけでなく、常にコピーライターとして尊敬していたあんこちゃんに「かおりんの書いたものを読みたい」と言われ、私は本当に嬉しかったのだ。
「読みたい」と言われること。
それは、私にとって何より嬉しいこと。
残念ながら、連載はもてるかどうか、まだわからない。
というか、その話は今立ち消えている状態。
だから、連載をまとめて読んでもらうということはかなわないかもしれないが、とりあえず「読みたい」「あなたはこういうライターだ」と分析してもらったことが、私を勇気付けてくれた。
かどやも酔っ払うとたまに言うのだ。
「書いてよ、さんちゃん。さんちゃんの書いた本が読みたいわ」と。
それを聞くと、嬉しさを超えてせつなくて、こっちも酔っ払ってるから涙が出てくる。
書きたいけどね、もう何も出てこないんだよ、空っぽなんだよ、もう自分の中には何もないんだよ・・・
そう伝えることが辛いし情けない。
でも、これからも自分が書けるものは、書いていく。
今度の日本酒の冊子をきっかけに、もう少し周りの人に読んでもらえるものが書けるといいのだけど。
何にしろ、「書く」ということからは、絶対に離れることはできないのだ。
それだけは確信している。
仕事になろうが、なるまいが。