月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

書きながら自分の気持ちを整理してみた。

2013-08-19 | 仕事
なんだか急激に忙しくなってきた。(いつもこれ。差が激しすぎ!)
9月の取材はものすごい。あちらこちらへ飛びまくり。

2、3日は東京八王子
5日は石川県
6、7日は奈良の酒蔵
9か10日どちらかは三重県伊勢市
11、17~19日は奈良の企業めぐり(この期間に17社!)

ひぃ、と嬉しい悲鳴。

仕事が詰まって先が見えなくなってくると、ワクワクして仕方がない。
やり遂げた後の1杯を考えると、さらに興奮する。

これからまたしばらく、「人」と「言葉」に向き合って生きられる。

そう思うだけで、胸がいっぱいになって、神様ありがとうございます!と手を合わせてしまう。
仕事がポツポツで余裕があると、未来が真っ暗に感じて、自分の存在価値がゼロに思えて、毎日酒を飲むしか気分を立て直す方法が見つからないというのに。

人と言葉と酒と。
この大好きな3つがバランスよく生活に存在しているときが一番幸せ。

お盆休みは夫とよくケンカした。珍しくよくケンカした。
理由はわからないが、ずっとカリカリしていた。更年期障害か?

なんだか不安で、漠然とした寂しさがあって。
積み上げてきたいろんなものが音を立てて崩れていくような、そんな不安感。
あれ、幸せだと思っていたけど、やっと幸せになれた、「こっちの世界の住人」になれたと思っていたけど、夢だったんじゃないのか?
何も変わってないんじゃないのか?
そんな想いが何の理由もなくこみ上げてきて、わぁっと泣き出したいようなそんな気分でいた。

だから、夫のちょっとした言葉に反応してキレたり。被害妄想に襲われたり。
自分の存在がグラグラして、ああ、また「あっちの世界」に戻るのかと思う瞬間があったり。

理由はわからない。
仕事はもうほとんど決まっていたし、暇すぎて不安になっているわけでもなく、どちらかと言えば忙しかったし。

昔、よく思っていた。
「大人になるって、孤独になるってことだ」と。
今も少しそんな気分なのかな。

だけど、そういう憂鬱に負けてはいけない。もう負ける自分でいてはいけないのだ。
ちゃんと目を開ければ、本当はわかっている。
「こっちの世界」も「あっちの世界」も最初から存在していないということくらい。
どちらも私が作り出した幻想でしかない。
怖がりで臆病者の私の逃げ道。私が作り出している架空の世界。

世界はあっちもこっちもない。
いつも1つで、これが現実だ。
そのことをしっかり目を開けて見られるような、強い自分にならなければ。

孤独や人の視線に怯えているのは、自分がブレているからだ。
自分を好きになれない、自信がない、疑いを持っている、根性なし。
「自分」というものを本当に愛せたら、誰の、どんな言葉にも、怯えることはないし、自分の周りから人が去っていくことも必要とされないことも、こんなに淋しくないだろうに。

ああ、もしかしたら、この間の酒蔵見学の日からかもしれない。
劣等感でいっぱいの子供の頃の自分が顔を出したのに気づいてしまったのだ。
「怖い」と思った。
通用しなかったらどうしよう、と思った。
もしそうなったら、自分が積み重ねてきたものが、一気に崩れてしまう気がして。
何の自信もとりえもなかった自分が、唯一こだわり続け、大切にし続けてきたもの。
「書く」ということが、通用しなかったら?これからどうやって生きていけばいいんだろう?

私はあの日、ブログに「早く通用することを知りたい」と書いた。
そんなことを書くということは、よほど怖かったのだろう、と後で読み直して思った。
いつも「書く」ということだけには自信があって、不安など持ったことがなかったのに。

「言葉が出なかった」と夫に話した。
気後れして、皆がいろいろ質問しているのに、頭が真っ白になって声が出なかったんだ、と。
その後、挽回しようとして、別の場に移動してからは必死に話したんだ、と。

夫は「そんなこと」と言った。
「そんなこと、よくあること。そんなもんや。気にするな」と。

私は、自分が、(この自分が!)仕事の場で言葉が出ない、ということにただただ驚いて、ショックだったのだ。

たぶん、私は久しぶりに「チャレンジ」しているのかもしれない。
最近は、「できる」とわかっていることを積み重ねるばかりで、何の挑戦もなかった。
新しい仕事であっても、結局は自分の得意分野の企業取材や流通関連ばかりで。
自分のポテンシャルだけで仕事をしてきた。
でも今回はそれでは通用しないようだ。専門家ばかりの中で、ド素人が闘うのだから。

自信の裏づけは努力しかない。知識は何よりの武器になる。
とりあえず、日本酒の本を山ほど買ってきた。
もう一度、一から勉強だ。

珍しく、漫画ではなく山と積まれた本の前にいる私を見て、夫が言う。
「いいことや。勉強したほうがいい。勉強しないやつはあかん」

夫はいつも私が勉強しないことを気持ちよく思っていなかった。
取材もライティングもコピーも何一つ勉強したことがない私。
「かおりって、ほんまにそういう本読まへんよな」と言っていたこともあった。
私は、実践がすべて、と思っていた。
思い上がりもいいところだ。
それは、私が、「それで通用する世界」でしかやってこなかった証だ。

「勉強しないやつはあかん」
いつもどんなに仕事が忙しくても、マーケティングや広告の本を積み上げて、上へ上へと認められてきた夫の言葉だから、重い。

私も変わろう。
これは変われるチャンスなんだ。
人生には、リムジンが目の前に止まることが誰にでも数回はあるという。
乗り込むことを躊躇したら、どこにも行けない。
私は、乗り込むことを選択した。
そして、やるからには、「周りに必要とされるまで」やる。