月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

入院再び

2016-05-23 | 癌について
人は、未知なるものに対して、恐怖を抱くのだなぁと思う。
経験してみれば、こんなものかと胸を撫で下ろす。時には拍子抜けすることもある。
いつか何かの本で、人が想像で心配している物事の94%は現実にならない、という文章を読んだことがある。
この数値がいかなる検証により示されたものなのかはわからないが、おそらく「それくらい人は無駄に心配する生き物だ」ということなのだろう。
それはなんとなくわかる。

抗がん剤治療のために入院した。
手術のときと同じ病棟の、同じような個室のドアを開けた時、ああ、戻ってきてしまった!と思うと同時に、心のどこかでこんな日が来るような気がしていたことも否めなかった。

入院当日は何もない。
抗がん剤治療について看護師さんが説明してくれるだけ。
早寝して、体を休めておくだけ。
心の準備をしておくだけ。

やってみれば、ああこんなものかと思うのかもしれないが、副作用の説明を聞いていると、恐怖でしかない。
まだ若い看護師さんが一生懸命に言葉を選んで説明してくれたが、途中で思わず「細胞を破壊するので」と言ってしまい、慌てて「影響があるので」と言い直した。
気を遣ってくれているのがわかり、こんなときでも何か微笑ましい気持ちになった。

この恐怖感が何かと考えたら、副作用の症状そのものに対してではなく、自分の健康な細胞を破壊する、ということに対してなんだなぁと思った。
本当にしていいのかと、病院のベッドの上でもまだ思う。
健康な細胞はそのままに、私は再発を待って、寿命を全うすべきではないのか?そんな気持ちになるのはなぜなんだろう。
やはり未知なる恐怖に支配されている。

友達の中には親をガンでなくされている人もいて、自分の親の時はこうだったよと話をしてくれたが、昔と違って、今は「吐き気」はほとんどないらしい。
抗がん剤治療の間もしっかり3食出されるし、吐き気に関してはそれを抑える薬があって、多少むかむかするくらいみたいだ。

抗がん剤治療の薬もいろいろあるので、その違いにもよるのだが、私が一番心配すべきは、手足のしびれのようだ。
注意しようもないのだけど、この症状が重いと、治療中の仕事はできない。
キーボードも叩くのが難しいらしいし、正座の後みたいになって、歩くこともままならないとか。
個人差があり、これは一番重い例なので、なんとか歩けて、なんとかキーボードが打てればそれでいいのだけど。

脱毛はもう仕方がない。
髪をすでにバッサリと切った。大人になって初めてのショート。
夫は大絶賛で、私も気に入っている。
伸び始めても、ショートのままでいようかなと思う。
いろんな意味で、新しい自分だ。

いろんな人が心配してくれている。
強い気持ちを持って乗り越えよう。
あと一時間で治療が始まる。