月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

神の領域

2012-03-12 | 想い
いい天気だなぁと思っていたら雪がチラつき、寒いなぁと思っていたら太陽が照り始め、穏やかだなぁと思っていたら突風が吹く。
最近の天気は変わりやすい。
でも、この感じが少しずつ春を連れて来ているようで、頼もしくもある。

仕事をしながらドキドキしている。
全部できるのか、間に合うのかというドキドキ。
今のところ、一段落の先は見えず。

ただ、ようやく仕事モード全開。
ペースが早くなってきた。

今はちょっと休憩。

震災から1年が過ぎた。
この2、3日はずーっとテレビをつければどこの局も震災特集をやっている。

なんだかなぁ……とやりきれない。
被災者たちにとっては長く苦しい1年だったことだろう。
人間はそんなに前ばっかり向いていられない。上を向いて歩いたって、涙の量が多ければ零れ落ちる。

個人でできることの小ささと、何の進展もない政治とに、ほとんどの日本人が苛立ちと憤りを抱え続けた1年だったと思う。
大量のガレキを前にして、まだ受け入れ拒否とか意味がわからない。
何が「絆」だか、何が「がんばろう、日本」だか。
この国にはもう真のリーダーは生まれないのか?

義捐金を送る、東北のお酒を飲む、毎日一生懸命生きる。
そんなことしかできない無力な自分にもがっかりするけれど。

それでも時は流れていく。

この1年で一番嬉しかったことといえば、岩手出身の友達に新しい生命が宿ったということ。
愛する故郷が見知らぬガレキの町に変わり、不安と心配で心を痛め、
慣れない大阪と新しい家族の中で1年がんばってきた彼女に
血を分けた人間が生まれるということは、涙が出るほどうれしかった。

私は、人がさびしいのが苦手。
よけいなお世話だけれど、そのさびしさを想像して自分が辛くなってしまうのだ。(やっかい)

もしかしたら、人は自分が思うほどさびしくないのかもしれないけれど。

さびしい、さびしいと思っているのは、いつも自分だけなのかもしれないなぁ。

でも、赤ちゃんが生まれると聞いたとき、「あー、これでもうさびしくないね、よかった」と思ってしまった。
もし私が思うほどさびしくなかったとしても、新しい家族が増えるということは心強いものだろう、きっと。

たくさんの命が奪われたけれど、こうやって新たに生まれる命もある。

昔…というか、ほんの1年くらい前まで、私は少しでも長生きしたいと思っていた(もちろん健康を条件に)。
私の周りは「60歳くらいで死んでいいわ」という友達が何人かいて(それは死にたいという意味ではなく)
「ええっ!あと20年しかないやん!」と思っていたが、
最近はそういう寿命のことを考えること自体、無意味に感じている。
そして、「60歳で死にたい」わけではないけれど、それでも構わないという心境はなんとなく理解できるようになった。

無常観。

死んだら私のこの「想い」はどこへ行っちゃうのかなぁ……なんて、中学生の時に考えていたようなことを思ったり。

人間の手が及ばない、神の領域みたいなものは確かにある。
かといって、ジタバタすることもあきらめてしまうこともなく、ただ毎日一生懸命生きて、日々のキセキに感謝するしかないのだと、そんなことを改めて思う。

そして、できれば人にやさしくしたい。
人生で出逢える人なんてほんの一握り。
じゃあ、出逢った人とできるだけいろんなことを分かち合いたいな。

そんなことを考えていた、私の3.11