月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

人生は勉強の連続である。

2012-03-11 | 仕事
午前中に家のことを終わらせて、午後からは集中して原稿を書く。
今週はまた取材が始まって、自分の中に抱えきれなくなるから、とりあえず今抱えているものを早く吐き出して形にしてしまいたいと思っている。

最近、日曜日の午後は、夫が英会話に行くので一人で過ごせるのがうれしい。
仕事がなければのんびりできるし、仕事があれば仕事に集中できる。
夫が邪魔するわけではないのだが、自分は人が周りにいると原稿が書けなくなるので、一人のほうが集中できてよい。

たまに平日の昼間、集中しているところに親から電話がかかってきたりして、仕方なく出ると、
「どうしたん?どこか悪いんか?」と言われることがある。
「いや、原稿書いてたんやんか・・・」と、大げさでなく、息も絶え絶え。

物を書いているときの世界と、現実の世界は違うのだ。

あっちの世界から元の世界へ引きずり出されると、しばらく現実感に馴染めなくて、意識が朦朧とすることがある。
本当に、朦朧としているのだ。
寝起きを起こされたところというか・・・
この感じをどう表現したらいいのかわからないのだけど・・・
物を書いたり創ったりする人って、みんなこんな感じを覚えるのだろうか?

面白い小説を読んでいるときも、似たようなことが起きる。
だから、夫が小説を読みながら、気になる箇所に付箋を付けているのを最初に見たときは驚いた。
本を読んでいたら、「本を読んでいる自分」は消滅しているので、そんな理性的な行動はできない。
もちろん、ビジネス書などはまったく別なのだが・・・。

それにしても、最近本を読んでいないなぁ。
アホになりそうで怖い。

なんかこう・・・いろんなことが惰性になっているような気がして。
最近、もっと勉強しないとあかんなぁとか、もっと自分磨きをしないと終わるなぁとか思うことがある。

この間、自分の過去に書いたものを編集者の方に送ったのだが、その時に昔の自分に叱咤されるような文章を見つけた。

  物書きが活字好きなのは前提。
  そこからどれだけ勉強するかで、いいものを創れるかどうかは決まる。

あちゃー・・・と思った。
あの頃は、流通関係の本とかビジネス書とか、毎日読んでいた。
新聞も日経とってたし・・・
そして、ああでもない、こうでもないと討論し合いながら一緒にモノを創る仲間がいた。
本の貸し借りもしたし、いつも刺激があった。
いいものを創るために貪欲だった。

この5年はずっと一人。

5年前、10年積み上げてきたものがいったんゼロになったから、とにかく再生することで精一杯だった。
塾も辞めたところだったし、本当に仕事をもらえる先がほぼゼロ。
とはいえ、最低でも月に20万円は稼がないと暮らしていけない。
意地でも夫の扶養に入ることは拒否した。

夫があの頃の私を振り返って、「この5年、かおりはほんまによう頑張ったよなぁ」と言ってくれることがある。
確かに頑張ったけれど、「運がいいから」と私は答える。
本当に、私は運がいい人間なのだ。

だけど、振り返って考えてみたら、いつも自分には強い「想い」があった。
「儲け」なんて考えずに、「想い」に動かされて、誠実に仕事をし続けた。
そうしたら、それが何倍にもなって返って来たし、今に繋がっていることがたくさんある。
だから、人との出会いは大切にしなければならないと思う。
そして、どんな仕事でも誠実に向き合うこと。結果を出すこと。
結果というのは、相手の期待を超えるものであること。
これが大切だと思っている。

しかし、そう思っているのなら、もう少し勉強しないといけないなと反省。
確かに運はよかったけれど、その運をカタチにできたのは、やっぱり自分のがんばりだったと思うから。

今年はライターとしての自分をもっと鍛える年にしたい。
って、もう3月やけど