それでは今日もアシエンダの続きです。
エネケンというのは前にもお見せしたことありますが、
テキーラを作るリュウゼツランと同じ仲間です。
近いうちに植物自体ももう一度お見せしますね。
その葉を切り取り、繊維を取り出し、
縄を綯い、布に編んで、
当時(19世紀半ば)は帆船の帆をはじめとして、
頑丈で貴重なものでした。
「緑の黄金」と呼ばれるほど売れて多額の富を産み出したのは、
昨日もお話したとおり。
もっともその後、ナイロンの台頭ですっかり廃れてしまったわけです。
で、ガイドのおじさんがしきりと主張してましたが、
このアシエンダ「ソトゥート・デ・ペオン」は
唯一、今でもエネケン生産を実際に行っているアシエンダだとか。
他のアシエンダは放置されているか、
ホテルやレストラン、博物館、あるいはマイナーな場合は大学になっているか。
まあ、このアシエンダ、
「エネケン生産で生計を立てている」わけではなさそうですが、
「実際にエネケン生産を続けている」ことは間違いないようです(笑。
ペオン Peon(oにアクセント記号)というのは
アシエンダ時代の下男や労働者、農奴たちのことですが、
当時の写真と同じ格好をした人たちが、ここでも働いています。
↓
これはまず最初に見せてもらった、
手動で縄を綯う(なう)工程です。
エネケン繊維をこうやって、針山(?)に叩きつけては引っ張って、
梳いているところ。
オアハカで見た織物も、羊毛を針ブラシで梳いていた、
アレとおんなじですね。
繊維の太さに伴い、針の太さもだいぶ違いますが。
そしてこのおじさんがまた、とっても典型的マヤ人の風貌。
小柄で丸顔、目も丸くて、
昔のマヤ絵に出てくるおじさんそっくりです。
まだまだいるんだなあ、マヤの血を濃く引く人。
さて、こうやって梳いた繊維を、今度は細い縄に綯うところ。
緑色の鉤爪のところに繊維を引っ掛けて、
左の黄色いハンドルをカラカラカラ~♪と回すと、
右のほうにいる人(写真には写ってませんが)が手にした繊維を
少しずつ繰り出していくことで、
写真に見える細い縄が見る見る伸びていきます。
写真は、そうやって作った細い縄を二本つないだところ。
そして、
二本をねじ合わせるようにもう一度黄色いハンドルを回すと、
お店なんかでも見られる二本縒りの縄の出来上がり~。
なんだかあんまり鮮やかで、写真がうまく撮れませんでしたが、
何となくわかってもらえるでしょうか。
これは、その横に置いてあったサンプルです。
向こう側の細いのから順に、
2本縒り、3本縒り、6本、9本、12本、15本と
太くなっていくわけですね。
一緒に写っているのは、解説をしているガイドのおじさんです。
◆
さて、これは手動なので、実際にはどれくらい使っているのかわかりません。
ちょっとした縄がほしいときなんかだと、これで充分ですかね。
でもさらに見せてもらった大掛かりな機械での縄綯いもあるので、
この手動縄綯い器(?)は、私たちが帰るころには
木箱を被せられてお休みしてました。
でも、捻じって縒ってある縄って、捩じれ方が独特で、
そのままではほぐれないようになってるじゃないですか。
それが、こんなハンドルでくるくる~~♪とできるんだ、というのは
何だか私には新鮮な発見でした。
縄を綯うと言えば、子供のころ読んだ斉藤隆介か松谷みよ子の物語で、
足の指に藁をはさんで、両手に唾を吐きながら
掌で揉んで綯っていく、というようなシーンがあり、
掌が真っ赤にすれてしまったり、
縄が均等にならずデコボコだったり、という話を思い出します。
それに比べれば、この手回しハンドルも立派なもんですね。
そう言えば、これ。
アシエンダのお手洗いの窓なんですが。
これもたぶん、古くなった機械のハンドル部分みたいですね。
窓から見える向こうの小屋も、同じ窓になってます。
エネケンというのは前にもお見せしたことありますが、
テキーラを作るリュウゼツランと同じ仲間です。
近いうちに植物自体ももう一度お見せしますね。
その葉を切り取り、繊維を取り出し、
縄を綯い、布に編んで、
当時(19世紀半ば)は帆船の帆をはじめとして、
頑丈で貴重なものでした。
「緑の黄金」と呼ばれるほど売れて多額の富を産み出したのは、
昨日もお話したとおり。
もっともその後、ナイロンの台頭ですっかり廃れてしまったわけです。
で、ガイドのおじさんがしきりと主張してましたが、
このアシエンダ「ソトゥート・デ・ペオン」は
唯一、今でもエネケン生産を実際に行っているアシエンダだとか。
他のアシエンダは放置されているか、
ホテルやレストラン、博物館、あるいはマイナーな場合は大学になっているか。
まあ、このアシエンダ、
「エネケン生産で生計を立てている」わけではなさそうですが、
「実際にエネケン生産を続けている」ことは間違いないようです(笑。
ペオン Peon(oにアクセント記号)というのは
アシエンダ時代の下男や労働者、農奴たちのことですが、
当時の写真と同じ格好をした人たちが、ここでも働いています。
↓
これはまず最初に見せてもらった、
手動で縄を綯う(なう)工程です。
エネケン繊維をこうやって、針山(?)に叩きつけては引っ張って、
梳いているところ。
オアハカで見た織物も、羊毛を針ブラシで梳いていた、
アレとおんなじですね。
繊維の太さに伴い、針の太さもだいぶ違いますが。
そしてこのおじさんがまた、とっても典型的マヤ人の風貌。
小柄で丸顔、目も丸くて、
昔のマヤ絵に出てくるおじさんそっくりです。
まだまだいるんだなあ、マヤの血を濃く引く人。
さて、こうやって梳いた繊維を、今度は細い縄に綯うところ。
緑色の鉤爪のところに繊維を引っ掛けて、
左の黄色いハンドルをカラカラカラ~♪と回すと、
右のほうにいる人(写真には写ってませんが)が手にした繊維を
少しずつ繰り出していくことで、
写真に見える細い縄が見る見る伸びていきます。
写真は、そうやって作った細い縄を二本つないだところ。
そして、
二本をねじ合わせるようにもう一度黄色いハンドルを回すと、
お店なんかでも見られる二本縒りの縄の出来上がり~。
なんだかあんまり鮮やかで、写真がうまく撮れませんでしたが、
何となくわかってもらえるでしょうか。
これは、その横に置いてあったサンプルです。
向こう側の細いのから順に、
2本縒り、3本縒り、6本、9本、12本、15本と
太くなっていくわけですね。
一緒に写っているのは、解説をしているガイドのおじさんです。
◆
さて、これは手動なので、実際にはどれくらい使っているのかわかりません。
ちょっとした縄がほしいときなんかだと、これで充分ですかね。
でもさらに見せてもらった大掛かりな機械での縄綯いもあるので、
この手動縄綯い器(?)は、私たちが帰るころには
木箱を被せられてお休みしてました。
でも、捻じって縒ってある縄って、捩じれ方が独特で、
そのままではほぐれないようになってるじゃないですか。
それが、こんなハンドルでくるくる~~♪とできるんだ、というのは
何だか私には新鮮な発見でした。
縄を綯うと言えば、子供のころ読んだ斉藤隆介か松谷みよ子の物語で、
足の指に藁をはさんで、両手に唾を吐きながら
掌で揉んで綯っていく、というようなシーンがあり、
掌が真っ赤にすれてしまったり、
縄が均等にならずデコボコだったり、という話を思い出します。
それに比べれば、この手回しハンドルも立派なもんですね。
そう言えば、これ。
アシエンダのお手洗いの窓なんですが。
これもたぶん、古くなった機械のハンドル部分みたいですね。
窓から見える向こうの小屋も、同じ窓になってます。