140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

名古屋フィル#111ブルックナー交響曲第5番

2021-09-16 20:53:24 | 音楽
第493回定期演奏会〈小泉和裕のブルックナー〉
ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調[ノヴァーク版]

愛知県に緊急事態宣言が発出されていることに伴い、
会場収容率の50%を超えるチケットの販売はできないということだった。
その影響か、ホールの手前で「チケット譲ってください」と書いた紙片を持った人がいた。
ドームでコンサートがある場合はよく見かける風景だが、名フィルのコンサートでは初めて見た。
コロナ禍という特別な事情はあるが「ブルックナー」も関係しているのではないかと思った。
この街に住むクラシックファンにとって名フィルでブルックナーを聴くのは、かなり楽しみなことに違いない。
大編成のオーケストラが十分に力量を発揮できる曲であり、曲の真価を体験するに相応しいオーケストラである。
あの貼り紙を持っていた人はその後、どうなったのだろうか?
何か救済措置があれば良いと思った。

言語の壁があって日本ではオペラは人気がない。
その反動かも知れないが、日本では交響曲の人気が高いのではないかと思う。
交響曲では旋律が様々な形式や音色で展開され、言葉がないにもかかわらず直接私たちの感情を揺さぶる。
そして同じ曲を何度も聴いているとそこにストーリーがあるのだと思うようになる。
音の並びで構築された緻密なストーリーを把握できたと思った時の喜びは大きい。
そしてコンサートホールにその確認をするために訪れる。
スピーカーやヘッドフォンで再生される音には音色や音量や広がり方にどうしても制限がある。
把握したストーリーを制限のない音で体験してみたいと心から願う。
そのためであれば「チケット譲ってください」というのも有りかもしれない。
ブルックナーの曲には特にそうしてみたい曲が多いと思う。

私が時々考えること。言葉を持たない音楽がどのようにしてこれほど雄弁であり得るか?
その部分はこうなるはずだという必然を音楽は持っている。
それは小説の中の文章がこうあるべきだという必然と共通しているように思える。
人間はその必然性を理解できないが、作曲家や作家はその必然を探り当てて作品にしてしまう。
私はいつもそういうものを求めている。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。