かどくら邦良@高崎市議会議員 ブログ

思いをブログに綴ります。

2018.1.26 上野三碑パン

2018-01-26 20:25:53 | 日記
上野三碑の世界記憶遺産登録を記念してできた上野三碑パン。我が吉井町のパン屋さんのパリジャンにて発売中。美味しい味を堪能したランチでした。

2018.1.25 明治から150年、近代日本を見直す時

2018-01-25 21:55:00 | 日記
東大全共闘議長であった山本義隆さんが岩波新書で「近代日本150年-科学技術総力戦体制の破綻」を上梓しました。今年は明治から150年となり150年にまつわることがメディアで露出し始めています。明治から平成の終わりの150年は富国強兵から始まり大東亜侵略戦争の敗北を経てひたすら経済発展を目指した日本の近代化一直線の道でした。

山本義隆さん達、全共闘が50年前に提起した問題は明治以降の日本の近代化と近代合理主義に対する疑うことだったと思う。ひたすら豊かさを求め続けてきた1つの結末が絶対安全と言い続けた3.11の原発事故でした。夢のエネルギーと言われた原発は近代化と近代合理主義そして、その終わりの科学技術総力戦体制の破綻の象徴となりました。

全共闘1968年は明治100年であったが故に日本の近代化一直線を疑うムーブメントでありました。山本義隆さんは、この本を通して改めて日本の近代化を見直し新たな日本の方向性を考えてもらうことを我々後輩に訴えてくれていると思います。

高野孟さんが明治150年を1868年から73年、大東亜戦争侵略戦争に突入し敗北する1941年から1945年を4年、そして1945年から2018年までの73年を150年を3つに区分していました。明治から73年は富国強兵、昭和20年からの73年は経済大国、間の4年は破滅の日本でした。

富国強兵、軽武装日本はいずれも近代化により豊かさを追求してきました。現在の日本は経済成長は止まり成長から成熟に向かうべきですがグローバル経済競争の下で格差と貧困が拡大しています。工業化、情報化で産業社会優先の日本から自然と共生、人間優先の定常社会への産みの苦しみの過程にいると考えたい。しかし新たな階級社会が現出している中で社会を変える人間の闘争は不可避です。社会運動とは社会と自分を変える様々なムーブメントです。山本義隆さんの問題提起を現実の政治の中に政策過程としても生かしていきたいと思います。

2018.1.24 県議会産経土木常任委員会視察

2018-01-24 21:23:01 | 日記
本日は県議会産経土木常任委員会の1日委員会で群馬県桐生市の伝統的建造物群保護区を視察しました。桐生市は戦国時代末期から江戸時代、明治、大正、昭和経て街中に歴史的建造物立ち並んでいます。しかし中心市街地が衰退する中で歴史的建造物や街並みを生かして観光にも力を入れはじめています。

歴史的建造物を歴史を生かした街並み再生にNPOや市民が立ち上がり粘り強く活動を進めてきました。観光と言えば群馬県は温泉ですが平地で歴史的建造物などを生かした観光は群馬県にはこれまでなかった。最近は桐生市は観光客が増加しつつIターン、移住者も増えています。群馬県に新しい観光モデルをと意気込む桐生市を群馬県も街並み再生事業で支援していきます。

桐生市出身の篠原涼子さんも故郷桐生市を支援しています。この視察は群馬テレビで3月下旬に放映されます。私のインタビューも放映されるようです。とにかく寒ーい本日の群馬県です。

2018.1.23 函館の人、渡部正一郎さん

2018-01-23 23:44:12 | 日記
除雪の朝でしたが思ったより降雪は少なく私のまわりでは交通不能道路はありませんでした。除雪に朝早くから対応してくれた建設業者や行政の皆さんに感謝です。

雪と言えば函館です。私が金田誠一元衆議院議員秘書時代に選挙区である函館に長期間お邪魔をしていたので群馬県で雪が降っても驚きはありません。そんな函館から残念な連絡がありました。金田誠一さんと函館市職労で同い年で共に活動をしてきた渡部正一郎さんがお亡くなりなったことです。

渡部さんは函館市職委員長、連合函館会長などを経て退職後もお亡くなりになった70歳まで函館道南地域の労働界のリーダーとして活躍した方です。私も金田誠一さんの秘書時代に本当にお世話になりました。

渡部さんは労働組合用語で言えば函館道南地域の最後の民同とでもいうべき人でした。選挙闘争の進め方、大局観など卓越した判断力を持っていました。もう、こういうタイプの労働組合指導者は函館道南に出てこないだろう。

選挙の現場でスタッフをなだめてすかして使う手法はまさに民同そのもの。責任の線引きもしたたかで微妙な立ち位置を絶えず維持していました。これまた、まさに絶妙なのです。そして最後は渡部さんだから許される愛嬌がありました。

渡部さんとの1番の思い出は金田誠一さんの初めての小選挙区選挙であった2003年の衆議院選挙で金田当選に向けて最も重要と思われた密命の結果を金田さんの自宅に夜遅く渡部さんと2人して報告に行った時でした。

渡部さんは金田さんに、あの話し駄目になったとポツリと告げ金田さんも、ああそうか、とだけ答えて密命の話しは終了、2人はビールを1杯2杯と飲んで渡部さんが、この選挙勝つぞと言って金田さん宅を出ました。車中、渡部さんはキンタは全部わかってくれてるいると言って後は無言でした。渡部さんは金田さんのことをキンタと呼んでいたのだがその後の無言は私にとって重い時間でした。

結果、選挙に大勝しましたが悲愴感の漂う渡部さんの金田衆議院選挙でした。もう15年前のことですが昨日のように思い出されるシーンです。

函館も雪ですかね、渡部さんの早過ぎるお別れです。お葬式に行けずにお別れでした。渡部さんに奢っていただいたイカ刺し、渡部さんがガツガツ、イカ刺しを食べながら角ちゃん、やっぱり函館のイカ刺しが最高に旨いとメガネを外して食べる姿が忘れられません。渡部さん、さようならそしてありがとうございました。

2018.1.22 除雪要請の予感

2018-01-22 23:18:24 | 日記
関東一円が雪、群馬県も雪。午後は仲間の高崎市議会議員との挨拶まわりでしたが雪が降り始め途中で切り上げました。

夜の信用金庫の新年会も雪のために中止となりました。明日の朝は雪は20㎝にはなりそうです。道路の除雪要請がたくさんありそうです。朝からパトロールをします。

昨日の高野孟、小林節両氏のお話しに刺激を受けました。夜の新年会も中止となりました。本日の夜は読書タイムにします。