安倍総理の進める集団的自衛権の行使について、内外から強い批判の声があがっている。
「亡国の安保政策」(岩波書店2014年2月)の著者である柳澤協二氏は、「日本にとって最大の脅威は安倍政権だ」とまで言い切っている。
柳澤協二氏は元防衛官僚で、小泉、安倍、福田、麻生政権で内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)として、官邸の安全保障戦略の実施を支えてきた人物である。
その柳澤協二氏が安倍総理の安保政策を、日本を「亡国」にするとまで言い切っている。柳澤氏の「亡国の安保政策」は必読本、ぜひお読みいただきたい。
安倍総理の空論が、いかに日本の「国益」を棄損するのかがよく分かる。長くなるが一部引用する
「安保版アベノミクス・三本の矢」は、議論すればするほど、いずれも目的が不明確なものとなっていく。そこで、「安倍首相は何をしたいのか」という質問に戻れば、「やり残したことがある」から、首相になった安倍氏が「そうしたいから、する」という以外に、論理的整合性がとれる答えはない。それを「国際情勢の変化」によって説明しようとするから様々な矛盾が生じ、安倍政権の安保政策に抽象性・非論理性、あるいはもっと直截に言えば、一種の胡散臭さがつきまとう。
そこで、次の問題は、安倍首相が「そうしたい」と思う理由は何か、ということになる。
安倍首相は、二〇〇四年に出版された『この国を守る決意』(扶桑社)の中で岡崎久彦氏(元駐タイ大使)と対談し、「自分の祖父・岸信介は、日米安保条約の双務性を高めるために60年安保改定を行った。それは、祖父の時代のぎりぎりの努力の結果」であるとした上で、次のように述べている。
「我々の世代には新たな責任がある。それは、日米安保条約を堂々たる双務性にしていくことだ」
「今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊はアメリカが攻撃されたときに血を流すことはない。そういう事態の可能性は極めて小さいが、それでは完全なイコールパートナーとは言えない」
言い換えれば、アメリカと「血を流す」ことにおいて対等な「血の同盟」の構築であり、それによって、アメリカにも言いたいことが言える関係になる、ということである。それ自体、極めて抽象的であり、軍事的には非現実的だが、少なくとも、日本の安全や世界の平和といった政策目的とは別の論理から出てきた発想であることが分かる。
血を流すということは、自衛隊員の命が失われることを意味している。私は、自らの生命の危険に身をさらすことのない立場の人間が、日本人である自衛隊員の命にかかわることを軽々に口にすることに怒りを禁じえない。だが、ここでは、安倍首相が総務性を高めることによって「完全なイコールパートナー」になり、アメリカに何を言おうとしているのか、考えてみたい。それは、はたして自衛隊員の命を危険にさらしても言うべきことなのだろうか。
結論から言えばそれは、歴史認識の見直し、すなわち東京裁判という戦勝国による一方的な断罪を受け入れた「自虐史観」の否定であり、ひいては、日本を破滅に導いた第二次世界大戦における敗戦の歴史のリセットであろう。それが今日の世界に通用するものなのか、そして日本の安全保障上有益なことであるのか、が問われなければならない。
安倍総理は「日本をとり戻す」のではなく、戦後「日本をぶっこわす」ことが明確になってきた。
昨日は企業まわり。
「亡国の安保政策」(岩波書店2014年2月)の著者である柳澤協二氏は、「日本にとって最大の脅威は安倍政権だ」とまで言い切っている。
柳澤協二氏は元防衛官僚で、小泉、安倍、福田、麻生政権で内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)として、官邸の安全保障戦略の実施を支えてきた人物である。
その柳澤協二氏が安倍総理の安保政策を、日本を「亡国」にするとまで言い切っている。柳澤氏の「亡国の安保政策」は必読本、ぜひお読みいただきたい。
安倍総理の空論が、いかに日本の「国益」を棄損するのかがよく分かる。長くなるが一部引用する
「安保版アベノミクス・三本の矢」は、議論すればするほど、いずれも目的が不明確なものとなっていく。そこで、「安倍首相は何をしたいのか」という質問に戻れば、「やり残したことがある」から、首相になった安倍氏が「そうしたいから、する」という以外に、論理的整合性がとれる答えはない。それを「国際情勢の変化」によって説明しようとするから様々な矛盾が生じ、安倍政権の安保政策に抽象性・非論理性、あるいはもっと直截に言えば、一種の胡散臭さがつきまとう。
そこで、次の問題は、安倍首相が「そうしたい」と思う理由は何か、ということになる。
安倍首相は、二〇〇四年に出版された『この国を守る決意』(扶桑社)の中で岡崎久彦氏(元駐タイ大使)と対談し、「自分の祖父・岸信介は、日米安保条約の双務性を高めるために60年安保改定を行った。それは、祖父の時代のぎりぎりの努力の結果」であるとした上で、次のように述べている。
「我々の世代には新たな責任がある。それは、日米安保条約を堂々たる双務性にしていくことだ」
「今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊はアメリカが攻撃されたときに血を流すことはない。そういう事態の可能性は極めて小さいが、それでは完全なイコールパートナーとは言えない」
言い換えれば、アメリカと「血を流す」ことにおいて対等な「血の同盟」の構築であり、それによって、アメリカにも言いたいことが言える関係になる、ということである。それ自体、極めて抽象的であり、軍事的には非現実的だが、少なくとも、日本の安全や世界の平和といった政策目的とは別の論理から出てきた発想であることが分かる。
血を流すということは、自衛隊員の命が失われることを意味している。私は、自らの生命の危険に身をさらすことのない立場の人間が、日本人である自衛隊員の命にかかわることを軽々に口にすることに怒りを禁じえない。だが、ここでは、安倍首相が総務性を高めることによって「完全なイコールパートナー」になり、アメリカに何を言おうとしているのか、考えてみたい。それは、はたして自衛隊員の命を危険にさらしても言うべきことなのだろうか。
結論から言えばそれは、歴史認識の見直し、すなわち東京裁判という戦勝国による一方的な断罪を受け入れた「自虐史観」の否定であり、ひいては、日本を破滅に導いた第二次世界大戦における敗戦の歴史のリセットであろう。それが今日の世界に通用するものなのか、そして日本の安全保障上有益なことであるのか、が問われなければならない。
安倍総理は「日本をとり戻す」のではなく、戦後「日本をぶっこわす」ことが明確になってきた。
昨日は企業まわり。