「憲法は最高規範ではなく、上に道徳律や自然法がある。憲法だけでは何もできず、重要なのは具体的な行政法。その意味で憲法学は不要だとの議論もある。(憲法などを)重視しすぎてやるべきことが達成できなくては困る。」
4月21日の東京新聞に掲載された、安倍内閣の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)で、座長代理の北岡伸一(国際大学長)のインタビューである。
4月25日に行われた「立憲デモクラシー」の発足集会で、山口二郎法政大教授が、北岡氏の恐るべき憲法観を、このインタビュー記事を紹介しながら批判し、嘆いていた。
「憲法は最高規範ではなく、上に道徳律や自然法がある」
一体誰が「道徳律や自然法」を定め、決定するのか。私はこのブログでも立憲主義とは、憲法は政府や国家権力を縛るものだと再々述べてきた。まさに立憲主義を真っ向から否定する、こうした学者(?)を活用して、集団的自衛権の行使を解釈改憲によって大転換しようと目論む安倍首相にとってピッタリはまってしまう人物なのだ。
「憲法は最高規範ではなく」「憲法学は不要」ということを、あけすけなく語る人が出す安保法制懇の報告書など、法治国家である日本に生きる私たち国民が受け入れられるわけもない。
日本と日本国民は、憲法9条によって守られ、そして自衛隊も憲法9条によって守られてきた。これは事実である。
戦後日本は、国家として戦争をしてこなかった。戦争によって自衛隊員は1人も死んでいない。他国の兵士を1人も殺していない。まさに平和国家日本の戦後の有り様は、「世界の戦争という常識」がある中で奇跡であり、人類の歴史に残る誇るべき文化である。そして、それを支えてきた憲法9条であることは明白だ。
集団的自衛権の行使のために、解釈改憲を行うことを田中秀征氏は「試験が難しいから裏口から入学するようなものだ」と断じている。憲法解釈を歴代の内閣が軽々しく閣議決定で変更できるなら、裁判所も内閣法制局も国会もいらなくなる。
安倍政権の憲法への振る舞いは、日本国の最高規範であることを無視し、国民投票という憲法改定の手続きを経ることのない国民無視、民主主義、国民主権をないがしろにする暴挙である。
私は1人の市民として、1人の国民として、そして1人の政治家として、これからも日本国憲法と歩み続ける。
安倍政権の立憲主義とデモクラシーを空洞化する蛮行に「今」対決しなければ、対決する時はないと私は考えている。
昨日は会議、あいさつまわり、東京で懇親会。