かどくら邦良@高崎市議会議員 ブログ

思いをブログに綴ります。

2012.7.15 「至言」再び

2012-07-15 01:35:24 | インポート
山口二郎北海道大教授が、民主党をめぐる状況について私も納得の至言とでもいうべき一文を各紙によせている。

納得しつつ、それでもあるべき理想に向けて、細い道を歩き続け、行動していくしかないと、あらためて決意を固めました。

以下、山口二郎北海道大教授のブログより


民主党という実験の終結
 小沢一郎氏が離党したことは、二〇年がかりの政治改革、政党再編の試みが挫折したことを意味する。ちょうど二〇年前の夏、自民党の金丸信副総裁(当時)が政治資金問題で副総裁を辞任し、それに連動して竹下派の内紛が始まったところから、日本の政党政治を刷新する模索が始まった。
 そして、その中心にはいつも小沢という政治家がいた。皮肉なことというべきか、小沢が負けることによって日本政治は次の段階に進むという繰り返しであった。竹下派の抗争、細川連立政権の崩壊、新進党の瓦解、小沢の仕掛けはことごとく失敗してきた。その挙句に、民主党に合流した。
 二〇〇六年のいわゆる偽メール事件で民主党が危機に陥ったことで、小沢の出番が回ってきた。小沢が代表に就任した前後から、私は彼とたびたび議論し、政権交代への道筋について意気投合した。小沢代表が率いる民主党が自民党政権を倒すしかない、と確信した時期があった。小沢は小泉自民党が構造改革路線によって日本社会を分断したことに危機感を持ち、「生活第一」路線で民主党の政策軸を立て直した。民主党に生活保障を軸とする社会民主主義路線を提唱してきた私は、自民党田中派の嫡子である小沢に最大の理解者を見出した思いであった。
 小沢がいなかったら、政権交代はあり得なかった。しかし、小沢がいたから民主党は分裂した。この矛盾が民主党の限界である。
 小沢が掲げた生活第一も権力闘争の方便でしかなかったところに、民主党の最大の失敗があった。民主党分裂の引き金は消費増税とマニフェスト遵守の矛盾である。そもそも生活第一が理念の次元で共有されていれば、税制など所詮は手段であり、いくらでも妥協できる話である。野田佳彦首相は増税という手段を絶対視し、小沢はマニフェストの形式的遵守に自分の存在意義を求めた。理念不在はどちらも同罪である。
 民主党は小選挙区が作った寄木細工であり、これに理念を求めるのは木によって魚を求めるたぐいの話であることは、百も承知である。それにしても、貪欲放埓の資本主義経済の末路を見て政治が何をなすべきかを考えれば、生活第一を理念として民主党が共有することはできると私は信じてきた。しかし、その夢も破れてしまった。
 野田首相の下で民主党という器が存続しても、それはもはや自民党の複製でしかない。その意味でも、民主党という実験は終わる。我々は、様々な試行錯誤を経て、政党には望ましい社会に関する理念の共有が必要であるという当たり前の真理を、また小選挙区が自動的に二大政党制を作るわけではないという帰結を知らされたのである。
 政権交代の夢を追った民主党の政治家がなすべきことは単純である。自分たちが何をしたかったのかを思い出し、これからどのような選択肢を提示できるかを考えることである。小沢を切ったことで妙な勝利感に浸っている指導部に対して論戦を挑んでほしい。
共同通信配信、琉球新報など7月3日


民主党という実験の終わり
 消費増税法案の衆議院通過の過程で民主党の分裂が露わになった。もはや、民主党という主体が日本の政治を担うことは困難となった。今、我々は政治に対して何を求めるべきか、考えておきたい。
 そもそも、民主党政権を追及する議論には矛盾が目立つ。決められない政治への非難と、政権交代の夢を捨てただのマニフェストを裏切っただのという非難は、絶対に両立不能である。ねじれ国会で物事を決めようとすれば野党と妥協せざるを得ない。だから民主党の旗はある程度下すしかない。純粋に夢を追いかければ、決定不能の政治が長引くだけである。民主党政権を批判することは簡単である。批判する側は、何を求めて批判するのか自覚すべきである。
 民主党の事実上の分裂は、2つのアディクション(中毒症状)の衝突の結果である。先月本欄に書いたように、野田首相は決定アディクションである。何かを決めたいという欲求に突き動かされ、消費税率引き上げなど、国論を二分する争点をわざわざ拾い上げた。国民世論や党内反主流派に反対の声が大きければ大きいほど、決める快感は大きい。そして、だれもが嫌がった増税を決めたことに自己満足している。他方、小沢元代表は闘争アディクションである。権力闘争のためには、マニフェストも道具である。
 小沢グループの離反は、民主党という実験の終わりを意味する。時間軸を広げるならば、90年代初頭以来の政治制度改革による政党再編という企図が失敗したことを意味する。小選挙区制度によって政党の集約を図り、ともかく民主党という政党が自民党に拮抗する政党に成長した。もちろんこの政党は非自民の政治家が小選挙区で生き残るための方便であった。
 そのことは百も承知だったが、私はこの政党に、日本に欠けていた社会民主主義的政策の担い手という役割を期待し、様々な提言を試みてきた。そして、その最大の理解者が当時の小沢一郎代表であった。そこから「生活第一」路線が始まり、政権交代の旗印にもなった。しかし、生活第一というスローガンもまた、方便であった。理念のレベルで生活第一を共有できていれば、つまり、目指すべき日本社会のビジョンが民主党に共有されていれば、税制は所詮財源調達の手段となるわけで、いくらでも妥協可能なテーマとなる。しかし、消費税率を上げないことそれ自体が国民との約束になってしまい、約束を履行したかしないかという二者択一の議論にみんな陥ってしまった。
 野田という政治家は、本来の民主党の理念とは真逆の人である。原発再稼働、オスプレイ配備など彼が意気込んで決断する中身は、自民党でさえ容易に決められないようなテーマばかりである。民主党が拡張する過程で、自民党に属せない保守政治家が入り込み、それが今の中堅を形成しているところに、民主党の不幸がある。野田に首相を辞めてもらいたいのはやまやまだが、その次に起こるのは、自民党の復権か、怪しげな第3極の台頭であろう。
 今、私が民主党に望むのは、解散の前に代表選挙を行い、この3年の総括をもとに民主党の理念と政策の基軸を徹底的に議論し、旗を立て直すことである。消費増税は仕方ないとしても、自民党が金持ち優遇の小さな政府路線を明らかにしている以上、民主党がこれに対抗する政策軸を立てなければ、次の選挙で国民は選びようがなくなる。三党合意で先送りした社会保障本体の設計について、民主党は自民党との対決構図を作らなければならない。それができなければ、二大政党制は翼賛政治に転落する。
 民主党対自民党という二大政党制を持続していくことが難しいのならば、さっさと選挙制度改革を行い、多党制を目指した再編が望ましいという結論になる。民主党の政治家は早急に答えを出さなければならない。
熊本日日新聞7月1日


忘却の民意
 小沢グループが民主党を離党して、政治は混迷の度を深めている。新自由主義と原発に反対し、平和を志向する人々の間では、ネットに飛び交う意見を見る限り、小沢人気が高いようである。小沢氏自身、社民党に連携を申し入れたとも報じられている。
 野田首相の政策を批判することには同感だが、反野田の象徴として小沢氏を英雄視することには、私は反対である。以下、その理由を述べる。  1年ほど前、小沢氏は自民党と一緒になって、当時の菅内閣に対する不信任案に賛成する動きを見せ、脱原発路線の菅首相を退陣に追い込んだ。その後の代表選挙では、海江田元経産相を候補に立てた。海江田氏が経産相時代に原子力ムラに手玉に取られたことは、原発に反対する市民なら覚えているだろう。  私は野田首相の政策判断には反対だが、小沢氏のご都合主義の方が有害だと思う。生活第一路線も、脱原発も、所詮小沢氏にとっては権力闘争の道具である。大阪維新の会との提携を模索する政治家が社民党と当面連携しようなどというのは、まさに機会主義そのものである。  
 民主党内で9月の代表選挙に向けて路線論争を徹底的に行い、それでも自民党の亜流路線が治らないなら、再編を起こすしかないのかと考えるこの頃である。
東京新聞7月8日


消費税をめぐる疑問
 消費増税法案が衆議院を通過した。私は増税をやむをえないと考えている。畏友、斎藤貴男さんには怒られるだろう。もちろん、斎藤さんの消費税批判の中には、的を射た指摘が多い。
 最大の問題点は、消費税を価格転嫁できず、個人商店や中小企業など弱者が負担を抱え込むという危惧である。経済界のお偉方は、消費増税を歓迎している。ならば、自らも消費税の納税義務を果たしてもらいたい。
 輸出企業に対する消費税の還付も、税金が価格に転嫁されていることを前提としている。税金分を値切った会社が還付金をもらうならば、不当利得である。
 日本経団連に望む。下請けや納入業者に対して消費税の価格転嫁をすべて認めると宣言してほしい。自分たちは優越的地位を利用して消費税を値切り、増税に賛成するならば、破廉恥としか言いようがない。
 ついでに自民党にも一言。所得税の累進性の強化や資産課税の増税という民主党の提案に対して、自民党は金持ちが海外に逃げ出すという理由で反対した。自民党の言う愛国心とは一体何なのだ。納税は国民の義務である。それが嫌で海外に逃亡する者は、右翼の言う非国民ではないか。
 税金を払った上でどのような社会保障を実現するか、議論はこれからである。
東京新聞7月1日


さよなら小沢一郎
 消費税率引き上げ法案をめぐって小沢一郎元民主党代表は反対の姿勢を明確にし、離党、新党結成の腹を固めたと報じられている。「国民の生活が第一」という旗印を共に作り、政権交代のために戦ってきた者としては、いたたまれない思いである。しかし、小沢という政治家の役割はこれで終わりだと思う。
 政治の世界の最終的な判断基準は、だれが大きな敵かを見極めることである。私自身、原発再稼働、理念なき増税を遮二無二進める野田首相には、はらわたが煮え返る思いである。
 しかし、野田首相は最大の敵ではない。政権交代を起こした民主党にとっては、依然として自民党が最大の敵である。この間、自民党は生活保護の引き締めを要求し、富裕層に対する増税に反対しと、民主党が目指す政策をことごとくつぶしてきた。
 今民主党を割って一番喜ぶのは自民党である。消費税率引き上げは財政健全化の緊急措置として認めざるを得ないと私は考える。しかし、これから目指すべき社会保障のビジョンについては自民党と一致することなどあり得ない。民主党内の政策論議で、少しでも生活第一を実現するよう頑張ることが政治家としての筋道である。
 それができないなら、小沢には別れを告げるしかない。
東京新聞6月24日


昨日は脱原発群馬イベントで終日前橋。