かどくら邦良@高崎市議会議員 ブログ

思いをブログに綴ります。

2009.2.22 あれから30年-高校野球    桐生高、前橋高との戦い。

2009-02-22 04:26:16 | インポート
     
        シリーズ にっぽんの高校野球 (ベースボールマガジン社・刊)

前橋の本屋さんで1冊の雑誌を買った。「シリーズ にっぽんの高校野球 関東編Ⅱ 栃木・群馬・埼玉・山梨」です。

特別対談では、私と同世代で春のセンバツ甲子園で大活躍した前橋高・松本稔投手と桐生高木暮洋投手が30年前を振り返りながら高校野球談議をしています。

私たち富岡高野球部は、昭和52年秋季大会で木暮投手の桐生高に準決勝で3対2で敗退しました。

9回ウラ、3対1から1点を取り1点差に追い詰め、尚1死1・2塁で私に打席が回ってきました。

東野威監督にベンチに呼ばれて両肩をたたかれて「力を抜け」とアドバイスを受け打席へ。

1球目カーブでストライク。2球目カーブ、ハーフスイングでストライク。とても打てそうにない鋭いドロップでした。

そこで私は打席から木暮投手に向かって「直球で勝負しろ」と大声を出しました。木暮投手は「何だコノヤロー」という顔をしてきました。

これはチャンス、直球勝負でくるかなと思っているところ、3球目は直球で外角へボールを大きくウエスト。

そして勝負の4球目は、またも鋭いドロップ。完全にボールでショートバウンドでしたが、思わず手が出て三振。

その後、後続のバッターも三振でゲームセット。今でも鮮明に憶えている。本当に悔しい三振でした。チームのみんなに本当に申し訳ない、そして情けない三振でした。

その後、桐生高は前橋高を破り優勝し、関東大会で準決勝まで進出し、センバツへ。そして前橋高もセンバツへ。

私たち富岡高も3位決定戦で前橋工に1対0で勝ち、関東大会に進んだが川口工に1対3で1回戦敗退しました。

前橋高とは翌年の昭和53年春の県大会の準決勝で対戦しました。センバツベスト4の桐生高と完全試合の松本稔投手目当ての大観衆で城南球場はいっぱいでした。とりわけ女子高校生は、前橋高応援一辺倒で完全にアウェー状態でした。

確か6回の1死1塁で私は代打で打席に立たせてもらいました。

初球、松本投手のカーブに思わず体が反応して(まぐれで)ライトにライナー性の当たり。よしヒットだと走り出したところ、ライトライナーでアウト。ランナーも飛び出してゲッツーチェンジでした。

結果は前橋高に4対0で富岡高は敗退しました。敗退後は我がチームは逃げるようにバスで帰路へ。私たちを見る女子高生たちの冷たい視線。さらにショックだったのは、富岡東高校の女子生徒たちも前橋高の応援をしていたことでした(笑)。

バスの中でチームメイトのみんなと「バカヤロー」とか言いながら帰ったのを憶えています。

桐生高、前橋高とは、我が学年のチーム力は相当劣っていましたが、先輩のみなさんが10期連続ベスト8以上の戦績を挙げていただいたことと東野監督、吉田監督の指導力、伝統の富岡高ユニフォームのおかげで強いチームと互角に戦うことができました。

全てを高校野球にかけ、甲子園を本気で目指した30年前。苦労を共にしたチームメイト、先輩、後輩は私にとって最も貴重な財産として今も残っています。

昨日は北海道函館市で非核平和条例をめぐっての意見交換会。寒いです。