遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『親鸞「四つの謎」を解く』  梅原 猛  新潮社

2015-03-25 09:19:46 | レビュー
 著者は2014年に数えで90歳になったと書く。親鸞は90歳まで生きた。そこで「親鸞とほぼ同年になった私には、年老いた晩年の親鸞の喜びや悲しみを多少なりとも理解できるかもしれない」(p18)という思いを著者は抱く。一方、旧制中学(東海中学)4年の時に、『歎異抄』を読んで以来、70年以上もの間、親鸞の著書を愛読し、親鸞について書き続けてきていながら、「いまだに親鸞がよくわからいのである」(p18)とも著者は記す。
 こんな動機が親鸞についての「四つの謎」の解明に繋がるようだ。

 著者が本書で解明しようとした「四つの謎」とは、次のものである。
 1.出家の謎
  なぜ親鸞は出家しなければならなかったのか。
  なぜ日野有範の長男・親鸞以下兄弟までもがみな出家したのか。
 2.親鸞が法然門下に入門した謎
  なぜ親鸞は比叡山での修行を止めて、法然に入門したのか。
 3.親鸞の結婚の謎
  なぜ、親鸞は公然と結婚を表明したのか。
  研究者が正式な妻と認める恵信尼の前に、九条兼実の娘・玉日と結婚していたか。
 4.親鸞の悪の自覚の謎
  なぜ親鸞は自らを大悪人と同一視するほどの罪悪感を自覚するのか。

 この「四つの謎」の解明のための推論・論証プロセスが実に興味深くておもしろい。何を根拠に、どういう証拠を累積して推論を重ね、己の結論を導き出していくか。先人の論究の成果の何を批判し、何に賛同し、著者が論理・推論をどのようにより強固にしていくか、その結論を導くプロセスの追体験ができる。
 読後印象の強さは、親鸞研究の主流派が信憑性を否定している文献『親鸞聖人正明伝しょうみょうでん』を改めて見直すことから謎が解けたとし、主流派の研究に対するアンチテーゼを提起したという反骨精神のおもしろさにある。著者が独自の仮説を導き出したのではなく、主流派とは無縁の処で、先駆的な提唱がなされている論究視点を上手く援用して、著者独自の探究・推論の展開を図っているな・・・ということに基づく。

 第1章で、著者は先人の親鸞研究を簡略に述べた上で、「厳密なる実証史学の立場に立つ近代真宗史学の開拓者ともいうべき山田文昭ぶんしょう(1877~1933)」(p44)とその系統につらなる歴史学者、赤松俊秀あかまつとしひで(1907~1979)らの研究を批判する。この実証主義的文献研究の学派が、『高田開山親鸞聖人正統伝』並びに『親鸞聖人正明伝』の信憑性を否定して無視している点を取り上げている。彼らが文献至上主義であり、親鸞の遺跡を訪れることもない研究姿勢を批判する。著者は文献研究の大切さと両輪のものとしてフィールド調査の重要性を強調する。そして、本書では著者が親鸞の遺跡を訪ね歩き、各地で見聞した事実を分析・判別し、己の論理を固め、推論を展開していく。
 つまり、『親鸞聖人正明伝』に記載された内容の信憑性についての検証を基盤にしながら、その内容を祖述し、その記述の論拠を推論し、親鸞の遺跡を訪れているのである。

 実証主義的文献研究の主流派が否定する『親鸞聖人正明伝』は、覚如の長子・存覚ぞんかく(1290~1373)が書いたと称される親鸞伝である。著者によれば、覚如と存覚とは真宗の布教のしかたについての考え方に大きな違いがあり、対立関係にあったという。
 一方、真宗高田派僧侶の五天良空ごてんりょうくう(1669~1733)著『高田開山親鸞聖人正統伝』は高田派専修寺に伝わる親鸞伝である。この書の「題名が本願寺派で唯一正統の親鸞伝とされる覚如の『本願寺聖人親鸞伝絵』に対抗しようとしたものであるという理由により、山田文昭らの逆鱗に触れたのである。その『正統伝』に対する怒りの矛先は、文和元年(1352)、存覚作と伝えられる『親鸞聖人正明伝』にまで及ぶ」(p45)と著者は記す。

 著者が自説の推論を展開していく基盤は存覚作と伝わる『正明伝』に置かれている。その裏付けを様々な文献や遺跡・史料で行っていく。
 一方、4つの謎解きに重要な役割を担っている先駆的な本がある。一つは、佐々木正著『親鸞始記 隠された真実を読み解く』(筑摩書房)である。平成9年(1997)に市井の研究者である著者が偽作説を覆し、存覚の著書と断定する提唱をなした書だという。もう一つは、第3章で紹介される。同じく市井の研究者・西山深草にしやましんそう著『親鸞は源頼朝の甥-親鸞先妻・玉日実在説』(白馬社)。こちらは平成23年(2011)の出版。「西山深草という人物は現実には存在しない。その名は浄土仏教について共同研究を行う数十人からなるグループのペンネームである。そしてこのグループの代表が、・・・・吉良潤氏なのである。」(p94)という。
 本書の著者が四つの謎を解明できたと論証する上で、この2つの先行書がかなりその推論を展開する上で強力な材料になっているようだ。ポイントとなるところでうまく援用している印象を受ける。極論すると、この2つの先行書なしに、本書が著者数え90歳で出版されていただろうか・・・・という気もする。

 「四つ謎」について上記でかなり推測できるかもしれないが、本書の構成と結論に触れておこう。

序章: 著書の積年の「四つの謎」の問題提起。上記のとおり。

第1章・第2章: 『親鸞聖人正明伝』を謎解きの鍵だとし、その重要性を論証する。
 上記で触れているように、主流派の見解に対するアンチテーゼとして見解が展開されていく。

第3章: 『親鸞は源頼朝の甥』を援用し、第1の謎解きの論証。
 日野有範の迎えた嫁が、源氏の総帥、義朝の娘であった可能性が十分あり得る。親鸞の出家は以仁王の乱の時期。この乱の計画が露見して失敗する。平氏政権に対し、源氏の縁者であることから、親鸞らは身の危険を感じる立場だった。そこに出家の謎がある。慈円は頼れる存在だった。

第4章: 第2の謎解きの論証。
 師の慈円が政治僧であり、身近にその姿と有り様を親鸞は見聞した。師慈円に従い叡山にとどまれば「名利の衣」を得る実力が親鸞にはあった。しかし、師慈円の代理として朝廷と関わることへの危険性を自覚する。政治に関わる慈円の傍で無く、信仰そのものへの希求と「第二の夢告」が法然へと向かわせた。

第5章・第6章: 第3の謎解きの論証。 
 阿弥陀の教えを理念だけでなく、それを真実として具現化するものを九条兼実が要求した。僧が公然と結婚を実行する実例である。それが兼実の娘玉日と清僧との結婚である。親鸞は法然の指名を受けたのだ。それを最終的に受け入れた。それが親鸞にとっての「第三の夢告」に直結する。

第7章: 『正明伝』に描かれた親鸞の東国時代を描き出す。
 著者は覚如が本願寺にすべての浄土真宗門徒を統合し、親鸞教団の統合という強い意志を持った人ととらえる。一方、存覚を親鸞の教えを継ぐ教団それぞれが発展すればよいと考えた認識の人ととらえる。この父子の性格の違いが激しい相克を生んだとみる。それ故、存覚が親鸞の東国時代を事実に沿って記述しているものと解して、それを論証できるか『正明伝』を祖述し、フィールド調査の成果を加えながら親鸞像を描き出していく。
 「親鸞は現世利益を重んじ、念仏の教えは、あの世での往生を保障するばかりか、現世に安穏をもたらすものであることを強調している。念仏の教えは極楽往生の教えであると同時に、現世利益の教えでもある」(p254)と著者は記す。さらに、「東国での親鸞の布教にはこのように怨霊の鎮魂という仕事があり、その成果が東国に住む人間に高く評価され、念仏の信者が増えたのであると思われる」(p255)とすら解釈を展開している。興味深い。

第8章: 第4の謎解きの論証。
 親鸞は加害者である極悪人を如何に往生させられるかを己の課題とした。それは親鸞が己の血の中に、父を殺した祖父、義朝の血が流れているという自覚にあったのではないか。悪人への共感が親鸞の根底にある。

 最後の第8章では、親鸞が説いた「二種廻向」の説を近代の真宗学がほとんど語らなくなっていることに論及している。そして、著者は親鸞の説く「二種廻向」が日本人の死生観に根強く存在する「生まれ変わり」の思想に影響を受けたのではないかと論じ、遺伝子の継承の神話的解釈へと論を展開していくのは壮大であり、おもしろい。

 最初に述べたが、この結論の至る著者の論理の展開、推論プロセスが読ませどころである。今までその存在を無視されてきたという『正明伝』の内容に触れる機会となるとともに、新たな視界の広がりを得られる書である。親鸞に関心を寄せる人が、主流派の定番的親鸞像を受容することにとどまらず、親鸞を多面的に理解し、それぞれに親鸞像を形成することが必要だろう。親鸞に肉迫するうえで重要な一書がここに加わわったことは間違いないと思う。
 本書から著者の取り上げた先行書2冊にも関心を喚起されている次第である。

 ご一読ありがとうございます。

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本書に出てくる語句関連でネット検索してみた。一覧にしておきたい。
山田文昭遺稿、第5巻(恵信尼公文書) :「国立国会図書館デジタルコレクション」
赤松俊秀  :ウィキペディア
赤松俊秀  :「東京文化財研究所」
九条兼実  :「浄土宗」
九条兼実  :ウィキペディア
慈円  :ウィキペディア
慈円ーーまめやかの歌よみ  :「院政期社会の言語構造を探る」
日野有範(1) デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 :「コトバンク」
日野有範 :「textream」
九条兼実と親鸞上人 :「平安時代の陰陽(平安時代中心の歴史紹介とポートレイト)」
玉日姫夜話。-親鸞妻帯異聞-
     :”京都生まれの気ままな遁世僧、「今様つれづれ草」”
【10】六角堂参籠と「女犯の夢告」 :「真宗史学研究所」
   「その3」までのシリーズ記事の1回目です。リンクで続きが読めます。
  上掲抽出の元は「親鸞上人伝~そこに見える信仰」 こちらから。

真宗高田派本山 専修寺 ホームページ
真宗高田派  :ウィキペディア
真宗文献のページ 書架  :「光輪」
 「書架」の「真宗伝記類叢」に、「解題 親鸞聖人正明伝」ほか、及び 
  正明伝・正統伝その他のファイルのダウンロードが提供されています。
恵信尼  :ウィキペディア
恵信尼文書 :「ゑしんの里記念館」
  「原文と現代語訳のデータ」や「恵信尼伝絵」などが「恵信尼資料室」に。
末木文美士氏インタビュー  :「親鸞仏教センター」
親鸞の妻玉日姫再考  松尾剛次氏  『宗教研究』84巻4輯(2011年)


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大変興味深く愉しく拝見させて戴き、感謝です♪ (ゆうこ)
2015-03-29 11:29:16
 夢中で読みました。とりわけ
「4.親鸞の悪の自覚の謎 なぜ親鸞は自らを大悪人と同一視するほどの罪悪感を自覚するのか。」
 は、以前、中日新聞での氏の連載中、法然の罪意識についての記述と重なり、本当に楽しい思索のひと時を与えていただきました。ありがとう、です。
 またお邪魔させてください。
返信する
お立ち寄り、感謝! (茲愉有人)
2015-03-30 09:04:29
ゆうこさん

ご一読ありがとうございます。
ぜひ、梅原先生の本文をお読みください。

また、お立ち寄りいただけると、うれしいです。
返信する
親鸞に学ぶ (小西 勲)
2022-07-05 15:53:59
はじめまして、浄土真宗の一般の門徒です、もう80歳を超えていますが、60歳ごろから親鸞聖人に急激にその生き様に興味をもつようになりました、しかし本願寺派は覚如と恵信尼消息で出来上がっていることに、少し現実とは離れているのでは思うようになり、木辺派や高田専修寺、佛光寺等親鸞聖人血脈以外にも調べることにしました、そこで現在出会ったのが、梅原猛先生(今は亡き残念です)「親鸞四つの謎」です。早速佐々木 正先生の「隠された親鸞」を買ってみようと検索中に先生のブログにたどり着き、関心がありメールしてみました、詳しく説明有難うございました、吉良 潤先生の「親鸞は頼朝の甥」を読んでしすが、難しくて理解に苦しんでおります、
返信する
ご一読ありがとうございます (茲愉有人)
2022-07-05 21:44:13
小西さま
拙文をお読みいただきありがとうございます。

私は門徒ではありませんので、浄土真宗内の宗派の違い、考え方の差異は分かりません。
親鸞その人の生き様に関心を持ちつづけています。
『親鸞は源頼朝の甥』という本は手許にありますが、未読のまま書架に眠った状態です。
いずれチャレンジしたいと思っています。

共同研究者グループのペンネームを「西山深草」として、著者名にされていますね。吉良潤先生は、代表執筆者だったのですね。今、本を取り出して見て気づきました。
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