遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ヒロシマの空白 被爆75年』  中国新聞社  中国新聞社×ザメディアジョン

2022-07-31 16:46:58 | レビュー
 本書は、2021年6月に出版されていた。私は出版1年後の先月、市の図書館でたまたま本書が目にとまった。それまで知らなかった。表紙の何気ない普通の家族写真と「ヒロシマの空白」という言葉の取り合わせに引き寄せられた。そこに「被爆75年」という言葉が続いていた。

 本書は、2019年11月28日付から中国新聞朝刊に連載された「ヒロシマの空白 被爆75年」を再構成して出版したという。この連載は2020年の新聞協会賞を受賞した。「『空白』を埋めていく」ということ、その追跡調査プロセスが連載報道となり、本書を生んだ。

 「空白」とは何か?

 米軍が広島に原爆を投下したのが1945年8月6日。もうすぐ今年も8月6日が巡ってくる。
 1976年11月、広島・長崎両市は国連事務総長に要請書を提出した。その中に、広島での原爆犠牲者の人数が、14万人±1万人」の推定値で記載された。
 広島市は1969~1976年度に「原爆被災全体像調査」を実施した。そして、これをベースに以降は「原爆被爆者動態調査」を毎年実施している。2019年3月末時点で動態調査の結果は、8万9025人である。
 被爆当日の8月6日の死亡者数  5万4327人
 翌7日~12月31日の死亡者数   3万4698人   合計 8万9025人

 「14万人」という犠牲者数は勿論推計の域を出ない。だが、「8万9025人」という調査結果の実数との間には、未だあまりにもギャップが大きい。2020年現在でも真の犠牲者数すら未解明に留まっている。「どんな名前を持ち、どんな人生を送った人たちが犠牲になったのだろう」(p14)。埋もれた犠牲者名が「空白」のままである。
 その「空白」をどのように調べて把握していけるか。空白を埋めるための手がかりがどこにあるのか。手がかりを明らかにする作業から始まる。そして、その糸口からどのような追跡調査が出来るか。埋もれた犠牲者名を発掘・発見できるか。「8万9025人」から「14万人」への空白を埋める。手がかりを見つけ、そこから地道な追跡調査を開始する。そのプロセスを明らかにしたのが本書である。
 「空白」を埋める作業の中で解明された様々な問題事象、改善必要事項などがここに報告されている。それは「空白」を埋めることを目指して、広島市と国(政府)への問題提起でもある。
 その結果、総論として、「戦後の市の取り組みや国の調査は、十分だったのだろうか」(p16)という疑問を投げかけている。
 被爆の実態について国家的規模での調査を行うことに政府は消極的だったと指摘する。
「国が主体的に被害を明らかにするほど、戦争責任の追及と被害補償の要求が高まりかねない--。被爆地発のうねりが起きて各地の空爆被害者などに波及することを恐れた、ともいわれる」(p17)と。

 本書は広島市や国(政府)に矛盾点の指摘と改善を提起しているにとどまる。
 国(政府)は、どうも本音は正確な実態調査には消極的なようだ。できれば8月6日の実態把握はもう封印して、たとえ相互に矛盾があっても、それぞれの努力と結果を見せる形でパフォーマンスを維持し、その上で抽象化レベルを上げた形で慰霊と平和推進の姿勢を示すだけにとどまりたいのではないかという印象を私は受けた。

 本書をお読み頂き、お考えいただきたい。
 空白の存在。空白を埋める意味。空白の先に何を求めるか。
 「被爆75年」プラス2年となる。あの日のヒロシマ、ナガサキは終わってはいない。ヒロシマ、ナガサキは今も続いている。昭和という「過去の歴史」で語るものではない。未だ「現在」の一部なのだ。ヒロシマで言えば、8月6日の慰霊は重要な機会であるが、それを表層的な慰霊式典の報道だけで終わらせてはならないように思う。

 1945年8月6日に一体何が起こっていたのか。原爆投下の後に広島市に入り、結果的に内部被爆という形で二次被災者となった人々の存在。人々の苦しみ。
 「空白」は埋められるのか。

 本書は7部に再構成されている。
 <第1部「埋もれた名前」編>      <第2部「帰れぬ遺骨」編> 
 <第3部「さまよう資料」編>      <第4部「国の責任を問う」編> 
 <第5部「朝鮮半島の原爆被爆者」編>  <第6部「つなぐ責務」編>
 <第7部「75年後の夏」編>
 一方、原爆投下の一瞬で「空白」となったヒロシマの「街並み再現」というプロジェクトが同時に進行していた。その過程と現状でのその成果が中間報告的にまとめられている。ヒロシマという街の「空白」を埋める作業。こちらは、その「街並み再現」がウェブで公開されている。「ヒロシマ 空白」で検索することができる。
   ウェブサイトはこちらからご覧ください。(https://hiroshima75.web.app/)

 上記のデータ以外に、本書から抽出したデータを列挙してみよう。
*広島県警察部 遺体の検視済み犠牲者数 7万8150人 1945年11月末時点
*原爆供養塔内の遺骨 7万体(1976年記事から、広島市も採用)裏付けは困難
  遺骨のうち名前が分かっている数 814人
  各地で発見された骨を供養塔に移す(似島、坂町、善法寺、学校・町等)
*原爆慰霊碑 原爆死没者名簿 2019年8月5日までの人数 31万9196人
*国立広島原爆死没者追悼平和祈念舘 遺族申請 2020年3月末現在 2万3789人
*交付申請し被爆者健康手帳を持つ人 2019年3末現在 14万5844人
*被爆者健康手帳を持つ在外被爆者 2019年3末現在 29ヵ国・地域に2966人
 (韓国2119人、台湾15人、オーストリア12人、米国640人、カナダ31人、ブラジル93人)
このようにそれぞれの観点で収集されているデータがあるが、「空白」を埋めるという目的から追跡すると、それぞれのデータ間に十全のリンクが出来ていないという障壁が分かってきたという。データがどこかでタコツボ化しているようだ。リンクさせる発想がもともとないようにも思え、本書を読んでいて腹立たしい思いすら味わう。

 本書では、それぞれの事例について、地道な追跡調査を繰り返していく。その中で「空白」を埋めにくい原因に気づいていく。その事例レポートが本書の主体となっているとも言える。具体的事例が説得力を増す。事実認識を深めさせる。追跡調査の切り口は上記した本書の構成にリンクする。

 なぜ存在が把握されにくい原爆犠牲者が生まれているのか。具体的事例は本書をお読みいただきたい。様々な原因がわかってきている。
 *一家が全滅した世帯 生存者がいないと被爆死を証明する人がいない。
 *妊婦は動態調査上は犠牲者「1人」にみなされている。
 *応召により全国各地から単身「軍都」広島に来ていた軍人、軍関係者の情報が不明
 *朝鮮半島出身者の犠牲者 徴用・徴兵の資料が乏しい。帰国者の実態把握が困難
 *学童疎開した間に「原爆孤児」になった子供の家族全員が犠牲者の場合  
 *就学前の乳幼児
 *お年寄り
 *広島に居た諸外国人(亡命者、米兵捕虜、市内の修道院にいた人など)
ほかにも、「空白」を生んでいる原因があるのかもしれない。

 当時被爆し生き延びた人々、並びに被爆しなかったが原爆被害者と何等かの関係がある人々、彼ら全員が高齢化してきている。被災体験者を通じて「空白」を埋めるということすらできなくなる状況が迫っている。また、被爆に関わる資料が「さまよう資料」になりつつあるという深刻な問題があるという。
 
 普段はなかなか知らされることがない事実・状況を本書で学ぶことができた。
 ヒロシマ、ナガサキの被爆は過去の歴史的事象ではない。「現在」「現実」の生きた進行形の事象なのだという認識をあらたにした。
 ヒロシマの空白、さらにナガサキの空白は、国家レベルで総合的に取り組むべき課題ではなかろうか。それは2021年1月22日に発効した核兵器禁止条約との関わり方にリンクしていくことになるのだが。
 被爆75年をすぎた現状に一石を投じる一書である。まず、手に取って開いてみてほしい。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する事項を少し検索してみた。一覧にしておきたい。
広島平和記念資料館  ホームページ
国立広島原爆死没者追悼平和祈念舘  ホームページ
原爆被害の概要  :「広島市」
原爆ドームについて  :「広島市」
原爆ドーム      :「Dive! Hiroshima」
広島の平和記念碑   :「日本の世界遺産」
長崎原爆資料館  :「ながさき歴史・文化ネット」
ながさきの平和 トップページ  :「長崎市」
日本への原子爆弾投下 :ウィキペディア
【戦後70年】原爆投下はどう報じられたか 1945年8月7日はこんな日だった
:「THE HUFFINGTON POST」
【戦後70年】雲一つない広島に、原爆は落とされた 1945年8月6日はこんな日だった
  :「THE HUFFINGTON POST」 
原子爆弾投下の理由~広島・長崎~ :「BeneDict 地球歴史館」
核兵器の開発  核兵器開発・核軍縮の歩み :「広島平和記念資料館」 
軍縮-核廃絶へ 核兵器開発・核軍縮の歩み :「広島平和記念資料館」 
原爆投下(その1)なぜ広島・長崎に  沢田昭二の反核ゼミ :「日本原水協」
爆縮式となったプルトニウム原爆  沢田昭二の反核ゼミ   :「日本原水協」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』  堀川惠子  文藝春秋 
『決定版 広島原爆写真集』「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版
『決定版 長崎原爆写真集』「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版
『第二楽章 ヒロシマの風 長崎から』 編 吉永小百合 画 男鹿和雄 徳間書店
『神の火を制御せよ 原爆をつくった人びと』パール・バック 径書房



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