遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『福沢諭吉伝説』 佐高 信  角川学芸出版

2012-01-21 01:13:22 | レビュー
 「福沢諭吉」+「伝説」というタイトルに興味を抱き読み始めた。「伝説」って何だろう、おもしろい話でもあるのか・・・・
 読み進めて行き思った。福沢諭吉に関わった人々が自らの目や心に映じた福沢諭吉を「伝え」ている。その局面・内容を著者は「説きあかす」形で間接的に福沢諭吉を浮彫にしようとしている。一方で、福沢人脈に連なる人々そのものの列伝を書き留めているのだと。
 本書末尾の「おわりに」を最後に読んだとき、「私は最初から、福沢の思想の解釈をするつもりはなかった。福沢の思想は現実的にどう働きかけ、どう生かされたか。そこに焦点を絞って、『紀行』を続けようと思った」と書いている文が目に入った。当初抱いた印象は的を外れていなかったなと思った次第である。「どう働きかけ、どう生かされたか」ということは、生かした人を語ることになり、そのことは思想の発信者を間接的に描くことにもなる。(「紀行」という言葉が出ているのは、当初『夕刊フジ』に「福沢諭吉紀行」というタイトルで連載されていたことによるようだ。)

 本書では、福沢人脈の様々な人名が出ているが、列伝という意味では、増田宋太郎、中江兆民、馬場辰猪、北里柴三郎、松永安左衛門、池田成彬、早川種三、犬養毅、尾崎行雄、金玉均といったところが中心人物になっている。本書を読むまで、私は増田宋太郎、馬場辰猪、金玉均の3人を全く知識がなかった。また適塾の雰囲気が描かれていて興味深かった。

 列伝という意味合いではこんな印象を抱いた。
<増田宋太郎>
 著者はこの人物の評伝、松下竜一著『疾風の人-ある草莽伝』を読んだことが福沢諭吉についての連載を始めるトリガーになったと記している。福沢諭吉のまたいとこにあたる人物だが、尊皇攘夷思想を奉じ、西洋文明導入の先鋒を切っていた福沢諭吉を仇とし、暗殺しようとすら考えた人物だったようだ。思想的には福沢の対極に居た。自由民権運動に近づき、西南戦争に参加して西郷隆盛に殉じて死ぬという形で、疾風の如くに人生を駆け抜けたようだ。著者は最初の三章を費やして、増田宋太郎と福沢諭吉の思想的なシーソーゲームの側面(世間のもてはやし方の変転)を描いている。その増田が福沢から送られてきた『文明論之概略』全6巻を真剣に読書し、自らの考えを変え、慶応に入塾し聴講生になったという。著者は、増田を福沢の反面鏡として捕らえている。そしてこのように書く。
 「またいとこの増田が、なぜ、福沢をねらったかに私がこだわるのは、それが、福沢が何と闘ったか、あるいは何とたたかわなければならなかったかを、くっきりと浮かび上がらせるからである。思想的なものだけではなく、日常の生活まで、福沢の『革新』は及んだ。それだけに、反発も激しく、そして強かった。」(p35)
 
<中江兆民>
 兆民は福沢を尊敬していたが、親愛感は抱かなかったようだ。福沢がベンサム流の功利主義、現実主義に立ったのに対し、ルソーの民約論の立場を以て批判したという。道理(理想)を論じたようだ。著者は、医学に関心を寄せ続けた「英学」の諭吉と、哲学に重きを置いた「仏学」の兆民を対比している。兆民はルソーの『学問芸術論』を明治16年に『非開化論』という書名で翻訳発刊して、明治新政府の主導した「文明開化」に批判的な態度をとったという。
 兆民が近代化の可能性を仏学に見出そうとしたころ、フランス語の辞書がなかったという。「兆民は、和蘭、和英、英仏対訳などを突き合わせて解読に努めていた」というから驚きである。兆民が福沢を「明治の俊傑」と讃えたようだが、その兆民もまた「俊傑」の一人だったと思う。

<馬場辰猪>
 土佐出身で慶応義塾に17歳で入学。師・諭吉は馬場を最も愛したという。明治6年(1873)に「英語採用論」を展開した森有礼に対し、馬場は『日本語文典』を著し、直ちに反駁したらしい。また、『日本における英国人』『日英条約論』という2つのパンフレットを書き、「日本が国際社会において平等な取扱いを受ける権利があることを主張し、当時の大国、イギリスを告発したという。不覇独立の精神を説き、官途につくことはなかった。「福沢伝来の自由主義とナショナリズムの内面的結合」を馬場は主張し、自由民権の理論家としてラディカルな方向に突き進んでいった人物のようだ。『三酔人経綸問答』を書いた中江兆民はこの本で馬場辰猪をモデルとした洋学紳士を登場させているという。兆民は辰猪を友としていた。
 「圧制主義」を取る幕藩政府に対し、「論理の直線」に循がう馬場は、大衆から孤立し、師・福沢とは異なり過激になっていく。そして明治21年晩秋、フィラデルフィアで客死する。

<北里柴三郎>
 コッホの下で研究した細菌学者・北里を文部省や東京帝大医学部は受け入れなかった。伝染病の研究所を日本につくりたいという考えは受け入れられない。それを福沢が助け、芝御成門近くの借地を北里に提供し、在野の伝染病研究所の開設を支援する。東大一派の北里イジメはかなりひどかったようだ。学問の発展とそれに必要な自由を求めた北里。その情熱が福沢を動かしたようだ。この間の経緯が具体的に描出されている。紆余曲折を経て、大正7年に「社団法人北里研究所」が発足する。
 福沢の死後、十数年後に慶応義塾の大学部に医学科が設置されると、北里は初代医学部長と病院長を務め、福沢の恩に報いたという。
 北里の業績は親炙されている。北里は常々「医者は医学的に患者を引きずる者・・・全面的に患者と取り組んで万事を患者のためにやるべきもの・・・はたから雑音が入ってそれに引きずられる幇間医者になるような、そんな卒業者をつくっちゃならん」と言っていたという。人柄があらわれているように感じる。
 第6章「北里柴三郎を助ける」の末尾に記されている「不潔なミルクビン事件」は福沢が北里を詰問したエピソードだが、福沢の精神を表出しているように思う。

<松永安左衛門>
 著者は福沢精神を体現した門人の筆頭として松永を取りあげている。戦争中は電力の国家統制に反対し、「電力の鬼」といわれた人物として有名だ。 
 慶応に入学した松永が校庭で出会った教師に丁寧なおじぎをする松永を見た福沢が、教師に途中で逢ったぐらいでいちいちおじぎをするな、また福沢に対してすら自然な会釈だけでいいという。このエピソードは時代背景を考えるとなかなかおもしろい。
 松永の波瀾万丈の生涯の一端と、福沢との濃密な師弟関係、松永から見た福沢評が具体的で面白い。松永が近衛文麿を嫌ったエピソードも秀逸である。
 松永の反骨精神は本人の個性であるが、その背景には福沢の思想がやはり色濃く心底に存在すると感じる。

<池田成彬>
 福沢の門下生で、三井銀行に入りその中核として活躍し、後には三井財閥の総帥になった人物だが、彼が福沢を嫌っていたというのを本書で初めて知り意外だった。「君たちは巧言令色をしなければならん」と福沢に言われ、その表層にとらわれて当初反発した。その真意は後年になってわかたという。慶応からハーバードへの留学、卒業し帰国後、「時事新報論説委員」になったとき、三井銀行入行のとき、三井のリーダーに推されるとき、などのエピソードで著者は池田の人物像を描いている。これが結構おもしろく、池田成彬を彷彿とさせるものになっている。池田の合理主義精神の影に、やはり福沢の影響をみる。

<早川種三>
 早川は「企業再建の神様」として名を残す。著者は短い文章の中で、早川の親和力と巨きさを端的に記し、再建過程で「思想というものは放っておくべきだ」という早川の考えを表す逸話を抽出している。そして、「思想を絶対視せず、それを極めてプラグマティックに捉える」早川の思考に、福沢精神を重ねている。

<犬養毅>と<尾崎行雄>
 二人は「憲政の神様」と呼ばれる。慶応の塾生当時、尾崎行雄が「協議社」、犬養毅が「猶興社」を組織したという。それを福沢が「民権村の若い衆」とみていたというのがまず面白い。あるときは福沢に怒鳴られ、また諭され、影で支援されていたというエピソードが、それぞれが「福沢を語る」として引用されていて、福沢像に彩りを添えている。
 塾生時代、犬養・尾崎の二人の仲が悪かったというエピソードが結構おもしろい。
 この第10章では、「明治14年の政変」や、当初仲の悪かった犬養、尾崎その他が改進党を結成したこと、そして、この二人が大正に入って憲政護憲運動の先頭に立っていくことが描かれている。本書で、尾崎行雄が「廃国置州」というユニークな考えで世界の変革を説いていたというこを知った。世界連邦という発想を持っていた人が居たのだ。
 
<金玉均>
 著者は『福沢全集』に収録された明治18年(1885)年3月16日発表の「脱亜論」について、平山洋の分析を踏まえてその経緯を論評している。福沢の思考・意図でない論調の混入を説く。福沢の行動の証として、福沢が金玉均を支援していたことを述べている。金玉均は朝鮮の独立運動について福沢の指導助力を乞い、福沢は独立助成の目的を達するための助力をしていたのだという。金は「独立党」の主役として改革の道を模索したが、清の袁世凱が朝鮮軍の兵士を買収したために、「金玉均の乱」は不成功に終わったとのこと。日本に逃れてきた金に対する支援は福沢門下の犬養や尾崎も含めて続くが、紆余曲折の後、洪鐘宇の言葉巧みさに金は上海に連れ出され銃殺されたそうである。
 著者は最後に書く。
 「最後に金の話をもってきたのは、金を支持し、助けたという事実をもって福沢の『脱亞論』への悪評を葬りたいと考えたからだった」と。


 本書で様々な人々が点描的に伝えた福沢諭吉の人物像を抽出・要約すると、ほぼこんなところか。
*在野に徹したと言っても、無政府主義に共感を寄せてはいなかった。あくまでもイギリス流の「コモン・センス」の思想家である。フランスが嫌いだった。 p58-59
*西洋啓蒙思想を信奉しながらも、日本在留の白人の行動には批判的になり問題視している。「我日本を抑圧せんとせり」を怒っている。「白人」批判の手紙も残す。途中からナショナリスティックにすらなる。「独立」の意識の高さ。 p62-65、p115
*酒こそ飲むが、遊里の巷に足をふみいれたことのない人物  p69
*福沢には西郷への親近感があった。西郷の「抵抗の精神」を礼讃した。  p70-71
*常識の通じない世において、諭吉は偉大な常識家だった。 p86
*西洋文明を取り入れるために合理主義に徹した。国民の意識革命を率先してやった。卑近な文明の輸入という任務を天職としていた。 p115、p121
*福沢の執筆態度は、論語に謂う『辞達而已矣』であった。平坦素朴な文字の間に飄逸な雅致が感じられる文を書く。  p120-121
*福沢の著訳が平易を以て終始する姿勢は適塾の師・緒方洪庵に負う。 p170
*福沢の自由平等思想は適塾において、師緒方洪庵によって育まれた。 p172
*福沢は自由にこだわった。 p192
*つまらないことには盲従しない。人がやらないから、やれないからこそ、敢えて自分でやって見せる。「我天下に一人在り」の気概を感じさせた。 p187
*衣服の流行には無頓着で、夫人の着せるものを着ていた。間に合えばいいという考えかた。 p192
*のびのびと丸腰で生きられる世の中に、一日も早くすることをめざす。 p192
*福沢は「大意地の人」(松永安左衛門の見方)  p195
*「年若くしては、つとめて老人と交われ。年老いては、つとめて若い仲間と語り合え」と教えた人  p207
*人間をひとつの団子にまるめ、欠点も美点も一丸とすると、まるめて一番おおきいのが福沢諭吉。 p209-210
*終始一介の在野人に徹した。 p210
*一度目をかけた人は、終わりまでどんなことがあっても決して見捨てなかった。p210
*自分の子供に対しては甘く、普通以上の子煩悩。子供を呼び捨てにしないことを原則とした。p212-213
*「岩崎弥太郎は船士をつくり、福沢諭吉は学士をつくる、その内に軽重あるべからず」(福沢諭吉の言) p224
*逆説的なものの言い方をする傾向がある。 p227
*経済経済と福沢は唱えたが、自身は割合に不経済な人だった。金銭蔑視という武士の風潮を排し、殖産の途を講じ国利民福を計る必要性を主唱した。 p277
*慶応義塾では教育勅語を読まなかった。 p278
*福沢の本当の精神は、古い形式の破壊だった。 p292
*清から朝鮮の独立をめざす金玉均を支持し助けた。←アジア蔑視主義者ではない。p295-305

 本書からは、福沢諭吉を多角的多面的に眺めることができて興味が深まる。

 著者は、「諭吉は”平熱の思想家”だと思う。時代がどんなに異常で高熱、もしくは狂熱になっても、諭吉は平熱を保ちつづけようとした。それは決して容易なことではない。絶えず、暗殺の恐怖がつきまとったことだけでも、その困難さはわかるだろう。」と評している。
 本書を通読するとこの見方に共感する。
 ちょっとおもしろい福沢諭吉へのアプローチを楽しめた。

ご一読、ありがとうございます。

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福澤諭吉  :ウィキペディア
Fikuzawa Yukichi :From Wikipedia, the free encyclopedia
Fukuzawa Yukichi
:UNESCO Prospects: the quarterly review of comparative education

増田宋太郎 :ウィキペディア
増田宋太郎 ( ますだそうたろう) :大分歴史事典
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