遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『星と龍』 葉室 麟  朝日新聞出版

2020-02-11 11:48:46 | レビュー
 奥書を見ると、初出は「週刊朝日」の連載小説で、2017年4月14日号~11月24日号に掲載されたと記されている。著者葉室麟は2017年12月に逝去した。この単行本が出版されたのが2019年11月である。巻末に「(未完)」の文字が記されている。葉室麟の最後の小説であり絶筆となった。末尾の安部龍太郎氏の解説によると、2017年の初め頃に葉室さんが発病されたと聞いたという。その後小康状態を保ったものの決して万全な状態ではない中で、この作品が書き続けられたという。そして力尽きて、未完となった。葉室麟はさぞかし無念だっただろう。改めて合掌!

 タイトルの星と龍は二人の人物を象徴している。「星」は、徳による治世を実現させる人物の象徴としての後醍醐天皇をさす。「龍」は、その治世の実現のために正しきことを為そうと現実の修羅の世を駈け昇る人物の象徴として楠木正成をさす。
 この小説は南北朝時代の始まりを焦点にしている。それは鎌倉幕府の滅亡と足利幕府の勃興への過渡期にあたる。日本の大きな変革期にあたる時代である。江戸末期から明治への過渡期の象徴的人物を坂本龍馬とするならば、鎌倉時代から室町時代への過渡期となる南北朝時代の象徴的人物は楠木正成ということになる。南北朝時代が始まる契機となった日本の状況と時代を突き動かす背景となった思想を踏まえて、その時代にそれぞれの人物が己の思いを抱いて戦いという場を介して関わり合って行く。それらの人々の織りなす世界を描こうとした作品と言える。著者は、天皇が南朝と北朝に分かれて並存した南北朝という一種異常な時代の存在に目を向ける。万世一系の天皇制という観点にたてば、天皇の並存というのはまざに異常事態だろう。その基を直接生み出すのが後醍醐天皇といえる。後醍醐天皇を星と見なし従うのが楠木正成ということになる。この時の日本の実態、有り様を明らかにしていくことを著者はテーマとしたのではないかと思う。

 手許に高校生向け学習参考書『詳説日本史研究』(山川出版社、1998年)と日本史年表がある。それらを参照し、時代背景をまず概観しておこう。
 鎌倉時代の承久元年(1219)に鎌倉では北条氏による執権政治が確立していた。1221年5月に承久の乱が起こり、後鳥羽上皇の隠岐配流をはじめ関係者が配流される。その後も京の朝廷では院政が続く。北条泰時の指名により即位した後嵯峨天皇は後深草天皇に譲位し、上皇となり院政をしき、ついで後深草天皇の弟・亀山天皇を皇位につけた。だが、後嵯峨上皇は院政の後継者を決めないまま死去した。これが原因で、皇統は後深草上皇の流れ・持明院統と亀山上皇の流れ・大覚寺統に分裂する。両統が天皇位を得ようと画策を繰り返す。1317年の文保の和談で、一旦両統で交互に天皇に即位する両統迭立(てつりつ)という方向が打ち出され、これ以降鎌倉幕府は皇位継承には干渉しないと宣言したという。この和談ののち、後醍醐天皇(大覚寺統)が即位する。後醍醐天皇は宋の朱子学を学び、徳による政治という理念に強い意欲を示し、父の後宇多上皇の院政を廃し、天皇親政を始めた。平安時代の延喜・天暦を範としその再現をめざす。延喜・天暦の治とは醍醐天皇・村上天皇の時代である。この時代を範とする所から、己の死後の諱を後醍醐と自ら決めたと言われている。
 この後醍醐天皇が、真に天皇親政を実現するためには、鎌倉幕府の打倒が必然となる。倒幕計画を立てるが、事前に発覚してしまう。それが1324年10月の「正中の変」である。この時は、後醍醐天皇の側近者の処分で事が納められた。だが、後醍醐天皇は1331年5月、再び行動を起こす。「元弘の変」と称される。だが、8月に後醍醐天皇は京都を脱出し笠置山に潜行する羽目になる。同年9月に悪党と呼ばれる楠木正成が後醍醐天皇に味方して赤坂城に挙兵する。ここから楠木正成が歴史に名を残す一人となっていく。この時、鎌倉幕府は、光厳天皇をたてるという行動に出る。いわゆる北朝である。ここから後に言う南北朝時代が始まる。
 1332年に後醍醐天皇は幕府軍に捕まり3月に隠岐に配流となる。一方、赤坂城は落城し、正成は一旦行方をくらます。同年11月に後醍醐天皇の皇子・護良親王が大和の山間部で挙兵する。悪党の一人、赤松円心が護良親王の味方をして立ち上がる。同時期、楠木正成は河内の千早城で再び挙兵して、独自の戦法を駆使し、縦横無尽の活躍で幕府軍に対峙していく。1333年2月、後醍醐天皇は悪党の支援を得て隠岐を脱出し、伯耆の悪党・名和長年に迎えられ、船上山に籠もる。天皇の下には鎌倉幕府に叛意抱く武士や悪党がはせ参じる。鎌倉幕府は後醍醐天皇軍を鎮圧するために、幕府軍として足利高氏を京都に派遣するのだが、高氏は独自の行動を取り始めて行く。高氏は後醍醐天皇に呼応し、鎌倉幕府を討つ意志を明らかにしていく。1333年5月に、足利高氏は赤松円心らと六波羅を破る。また、高氏の離反を含めてその形勢を凝視していた全国の武士たちは倒幕の軍に加担し、各地の幕府・北条氏の拠点を攻撃していく。中でも、源氏の一門である新田義貞は、大軍を指揮し鎌倉に攻め入り、激戦の上、北条氏を敗北せしめる。北条高時以下北条一族と主だった御内人の自殺により、鎌倉幕府が滅亡する。
 後醍醐天皇は京に還御し、ここに「建武の新政」が始まる。だが、それは徳による治世の始まりには至らない。新政はたった3年であえなく崩れ去ると史実は語る。

 この未完に終わった小説は、正中の変が起こる前段階の時点から始まり、建武の新政がその緒に就き始めた時点までで、擱筆された。室町時代に書かれた軍記物で、南北朝の動乱の全体像を描いたとされる『太平記』の世界のいわば第二ステージ(正中の変~建武の親政開始)を描いていると受けとめることができそうだ。未完であるが、南北朝の一つのステージでの動乱状況と主要な登場人物の人間模様はここに鮮やかに描出されているといえる。そういう意味では、『星と龍』のストーリー展開は、最初の一区切りがついたところで奇しくも絶筆となった作品と言えるかもしれない。
 なぜなら、この未完の書の末尾は、夢窓疎石が楠木正成と茶室に入り、夢窓が清雅な佇まいで茶を点てながら、正成に問いかける言葉で締めくくられているからである。
 「さて、楠木殿は帝と足利が争えばいずれにつかれる」

 このストーリーの構成で興味深い事項を列挙しておきたい。
1.ストーリーは冒頭、南宋の宰相だった文天祥の生き様が語られる。それは楠木正成が見た夢だったというところから始まるのだ。このストーリーに登場する主要人物が、それぞれに夢をみる。その夢を己の行動に結びつけて行くという筋立てがおもしろい。誰が夢をみるのか。楠木正成、後醍醐天皇、足利高氏、北条高時である。どんな夢か。それは本書を開いて、お楽しみいただきたい。正成は複数の夢をみる形で描かれて行く。聖徳太子までも夢に現れることに・・・・。また、正成が高氏から直接彼の夢の話を聞くという設定になっているところもおもしろい。

2.この時代の社会構造として、京の朝廷の世界と鎌倉幕府の世界が並存し、政治力学としては幕府が朝廷を押さえていた。その幕府のやり方に対立するのが朱子学を学び、己がすべての治政の頂点に立つことを願った後醍醐天皇である。後醍醐天皇が己の夢・願望を成就するために取る行動が動乱を呼ぶことになる。興味深いのは、この時点での鎌倉幕府は、一枚岩ではなく、内部に様々な問題を含んでいた。その辺りの状況がわかりやすく描き出されている。また、鎌倉幕府と主従関係を結ぶ武士たちに対し、幕府とは独立していて、独自に活動する悪党と呼ばれる集団が各地に勢力を持ち存在した。楠木正成、赤松円心、名和長年らがそれである。「武」という側面で、武士と悪党は対立構造にあった。一方で、悪党が幕府側に対応するスタンスも様々な色合いがあって興味深い。

3. このストーリーの中心人物は勿論楠木正成である。正成は周りの者から夢兵衛と呼ばれていると描かれる。「わたしは正しきことをなしたいのだ」と己の夢を追いかけようとする。この正成の抑制力となり、一方で、行動の支援力なるのが弟の正季である。正成と正季があたかも一対の存在として描かれて行くところもおもしろい。そして、正しきことをなすという夢を実現する上で、後醍醐天皇が正成にとってめざす星となっていく。興味深いのは、正成が後醍醐天皇を星と仰ぎつつ、後醍醐天皇の心の裡・考えを突き放して客観的に眺めている姿である。そこに著者の批判的視点が重ねられているように感じる。

4. このストーリーの中で、二人の人物が黒子的存在として登場する。このストーリーの中で人間関係の仲介役を果たす一方で、重要な立ち回りを行う形で描かれていく。その一人は、旅の僧、無風である。正成は少年時代に観心寺の塔頭中院で学僧龍覚から仏法を学び、その中院で無風から朱子学を学んだという。その無風が成人した正成の許に再び現れる。それも山伏の姿の公家、日野俊基を正成に引き合わすためである。それは正成と後醍醐天皇との関わりの端緒として描かれる。無風は、要所要所で正成の前に現れることになっていく。無風の出現は正成が己の夢を果たすための行動への推進力となっていく。これを傍でながめる正季の反応と行動がおもしろい。
 もう一人は、鬼灯(ほおずき)という女商人である。正成が京に上るとき、父の正遠入道から楠木家の家業である水銀に関係し、海外に商売を広げる上で宋銭がいる故に、鬼灯に会い宋銭を入手するようにと指示を受ける。だが、鬼灯には己が所有する宋銭を使って果たしたい宿望があった。その達成のために、鬼灯の方から正成に会う機会を作っていく。鬼灯は既に悪党赤松円心とも人間関係を築いていた。その宿望は何か? 本書でのお楽しみに。

5. このストーリーの背景に、著者は中国の元と南宋の影を投げかけ、関与する人物を織り込んでいく。これが史実を踏まえたものか、著者が歴史の文脈、空隙を繋ぐフィクションなのかは定かではない。だが、ストーリーの展開の上で、一つの要となる役割を担わせていく。
 それは元の使者として日本に渡来した禅僧の一山一寧に端を発する。彼は弟子の夢想疎石に遺言を託す。一山一寧は正和2年(1313)に後宇多上皇の懇請に応じ、上洛して南禅寺三世となっている。夢窓は鎌倉公方の菩提寺として、嘉暦2年(1327)に鎌倉に瑞泉寺を創建している。その夢窓が師の遺言を実現するための役割を担おうとする。夢窓と正成の人間関係の仲介をするのもまた無風である。夢窓と無風の間にはある因縁があるものとして描かれている。実に興味深いところである。

 未完で絶筆となったこのストーリー、もし著者が書き継ぎストーリーを完了させるとすると、どこまでの展開として描くのだろうか。星と龍というタイトルから想像すると、少なくとも星(後醍醐天皇)と龍(楠木正成)のその後の生き様とその死まで描き切ったのではないだろうか。
 日本史の年表に記される史実をいくつか列挙してみる。
   延元元年(1336) 5月 湊川の戦(楠木正成敗死)
           12月 後醍醐天皇、吉野還幸
    同 3年(1338) 8月 足利尊氏、征夷大将軍 幕府政治を再興
    同 4年(1339) 8月 後醍醐天皇没
   正平 3年(1348) 1月 四条畷の戦
   観応元年(135)~   観応の擾乱(→全国的な争乱に発展)

 点情報としての史実を踏まえて、著者の想像力がどこまでどのよに羽ばたいただろうかと考えると、興味が尽きないところである。未完で終わるのは惜しい。嗚呼。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、関連項目をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
太平記    :ウィキペディア
楠木正成   :ウィキペディア
後醍醐天皇  :ウィキペディア
護良親王   :ウィキペディア
足利尊氏   :ウィキペディア
新田義貞   :ウィキペディア
北条高時   :ウィキペディア
赤松則村   :ウィキペディア
名和長年   :ウィキペディア
赤坂城の戦い :ウィキペディア
千早城の戦い :ウィキペディア
千早城・千早神社  :「千原赤坂村観光案内」
千早城 : 太平記で有名な “大楠公” 楠木正成公が築いた難攻不落の山城跡:「お城めぐりチャンネル」
湊川の戦い  :ウィキペディア
四条畷の戦い :ウィキペディア
一山一寧   :ウィキペディア
夢窓疎石   :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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こちらもご一読いただけるとうれしいです。
葉室麟作品 読後印象記リスト(著作の出版年次順)


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