遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『新参者』 東野圭吾  講談社

2016-08-04 22:26:47 | レビュー
 『麒麟の翼』という作品を読了し、その読後印象をまとめて載せた。その後、この小説が先に出版されていたことを知った。この本を直ぐに読んでみたい思ったのは、『麒麟の翼』の中で具体的に触れられなかった加賀刑事と彼の父親の関係について、具体的にこちらの小説で触れられているのだろうか、という関心からだった。この点に関しては全く触れられていない結果となった。加賀刑事シリーズが続くなら、今後何らかの形ででてくるのかもしれない。

 それはさておき、この小説はかつて警視庁捜査一課に所属していた加賀恭一郎刑事が、日本橋署に異動となる。日本橋署の新参者として所管区域で発生した殺人事件の捜査に取り組むというものである。
 この小説は数章を読み始めてわかったのだが、興味深い二重構造の構成になっている。日本橋署の管轄内で発生したある殺人事件の聞き込み捜査を加賀刑事が手掛けていく。聞き込み捜査の常套手段として日本橋界隈の商店街の店々を訪れて丹念に聞き込んでいくことになる。各章はその聞き込み先となっている。
 加賀刑事は日本橋署の新参者であり、管内の土地鑑を身につけつつ、店々を聞き込みでまわる。どの家庭もそうだが、一歩中に入るとどの家庭にもなにがしか問題、トラブルを抱えているものである。それは刑事事件になる類いの問題ではなく、ささやかな問題だ。しかしある面ではその家庭に取って深刻な局面をもつという類いの問題・・・。ここでは、それが日本橋署管内の各商店が抱えるここの内輪の問題という訳である。事件の捜査として商店街のお店や事件に関連する対象に対する聞き込みに幾度も訪れる加賀刑事が、事件捜査の職務の傍らで、そのお店などの抱える問題解決の手助けを重ねていくという展開になる。各章は個別に独立した短編とみなすことができる。それら短編に横串をさすのが聞き込み捜査を続けている殺人事件という次第である。そして、個別のお店などでの聞き込み情報の断片がジグソーパズルのように組み合わさせられていき、本来加賀が担当する事件解決のための基礎情報となる。本書は興味深い構成になっている。

 それでは簡単にその構成と要点、感想をご紹介していこう。各章は小説の見出しではなく、加賀刑事が聞き込みをする先、主にお店の名称として記す。
 
第1章 煎餅屋『あまから』 所在地:都営浅草線の人形町駅近くの甘酒横丁
 加賀は新都生命の田倉慎一の足取り捜査で、聞き込みに行く。この章で事件発生の場所が小伝馬町で独り暮らしの女性だとわかる。田倉が被害者宅に立ち寄っている事実も。
 ここでのエピソードは、お店の主の母の病気診断書に関わり、病名を知らせないためのささやかな工作に絡むもの。その解明が、田倉のアリバイ証明にも連動する。日頃の信頼関係のほほえましさが描き込まれる。田倉に関わる空白の30分が解明される。

第2章 料亭『まつ矢』
 加賀は料亭の小僧・修平に聞き込みに行く。理由は修平が餡入り7個、餡なし3個の10個の人形焼を買ったこととにあった。修平は刑事には明かさなかったが、それは店の主人・泰治に頼まれた買い物だった。被害者の部屋には人形焼が残っていたという。
 亭主の浮気にお灸をすえようとちょっとした警告を込めた悪戯を女主人の頼子が行うというエピソード。泰治の事を白状しなかったことで、修平の株が上がることになる。人形焼の出所も判明する。
 現場の遺留品の一つ一つの存在理由を克明に洗い上げるという地道な捜査のエピソードとも言える小品である。

第3章 瀬戸物屋『柳沢商店』 
 柳沢商店は嫁と姑が戦争状態にある。原因は嫁の麻紀が大の『キティちゃん』ファンで関連グッズを集めている。キティちゃんタオルを姑が切って雑巾を縫ってしまったのだ。姑の鈴江に罪の意識は全くない。謝罪は一切しない。間に入った夫はお手上げ状態。
 加賀刑事が聞き込みに来る。ここで被害者がミツイミネコとわかる。被害者はこの店に、お目当ての箸の夫婦セットを買いに来たのだが、品切れだったという。
 刑事が帰った後、柳沢商店では、近くの江戸時代から続く刃物専門店『きさみや』で三井峯子がキッチンバサミを買っていたことが話題となる。鈴江がその店の主人から聞いた話だという。
 ハサミが引き起こすエピソードが嫁・姑の微妙な思いやりに絡んでくるという面白さ。 キッチンバサミという遺留品の意図が解明される。まさに消去法の地道な捜査を反面で描いている。

第4章 時計屋『寺田時計店』 所在地:小舟町
 加賀は時計屋の主人・寺田玄一に三井峯子と出会った時間、場所の聞き込みに来る。犬のドン吉の散歩時間で出かけた折りに挨拶程度の顔見知りになっていたようなのだ。加賀の質問した日時頃に、浜町公園で挨拶を交わしたと玄一は答える。
 加賀は3日連続で時計屋を訪ね、この日主人が留守のため、弟子の米岡がドン吉を散歩に連れて行くのに同行する。人形町通りを渡ったところドン吉が止まり、きょろきょろと迷う素振りをした。米岡は「あれ、どうしたのかな」とつぶやくが、いつものコースを散歩させる。
 三井峯子はパソコンに「いつもの広場で子犬の頭を撫でていたら、今日も小舟町の時計屋さんと会いました。」と書き込んでいたのだ。
 寺田時計店の内輪の問題を加賀は弟子から聞く。高校を卒業した娘が親の反対を押し切り、2歳年上の幼馴染みと恋愛結婚してしまったことにある。両国に住んでいることはわかっている。玄一は娘を勘当扱いにしているという。
 加賀は玄一のささやかな秘密に気づく。それをそっと玄一の妻に教えてやるが、その秘密をそのままにしておくことを助言する。それは娘に対する玄一の思いを端的に示すものだから。時計屋の親子問題もほほえましく互いの秘密の保持で収まることに。
 実はこのエピソードの裏に、事件解決に繋がる時間と場所と意図の一コマがぴたりと埋め込まれることになる。章を追う毎に消去法の成果と空白部分の穴埋め、理由の解明がさりげなく進展するというおもしろさがある。
 この章にちょっとしたオマケが付けてある。最初の方で各面に文字盤がある三角柱の時計のことが書き込まれている。3つの文字盤の針が一緒に動くという。止まるときも一緒。加賀は不思議に思う。その種明かしがこの章の末尾に記されているのである。

第5章 洋菓子屋『クアトロ』 所在地:大伝馬町の交差点の近く
 この章で殺人事件の被害者三井峯子の家族関係が点描される。峯子は熟年離婚。息子の弘樹は家を出て、音信不通の状態。劇団員となっている。青山亜美というデザイナー専門学校に通う女性の部屋に転がり込み同棲している。そこは浅草橋にある。亜美は掘留町にある喫茶店『黒茶屋』でアルバイトをしている。亜美は身籠もっていた。
 勿論、加賀は弘樹と亜美にも聞き込みに行く。『黒茶屋』に出向き、この店に三井峯子が来たことがあるかという質問もした。店のマスターも見覚えがないという。
 洋菓子屋『クワトロ』には、三井峯子は何度も訪れていたのだ。加賀は、小伝馬町に引っ越した三井峯子がこの店を訪れることで、黙って見守る歓びに浸っていたかもしれないと推測する。そして、弘樹にこの店に行けばわかると繰り返す。そこには三井峯子が錯覚したことから自らの心の中に育んだ至福の時間が刻まれた場所となったのだ。
 結果的に、峯子に優しくしてもらった『クアトロ』の店員は、それが何故だったかの疑問が解ける。弘樹に母親の思いが伝わることにもなる。

第6章 翻訳家の友
 この章は日本橋付近とは関係がない。三井峯子が熟年離婚をし、若いときに目指したかった翻訳家の世界に足を踏み入れるトリガーを与えてくれた峯子の友人・吉岡多美子の話である。多美子は翻訳家。峯子に翻訳の仕事の世話をする形でサポートする。峯子が殺されているのを発見したのは、峯子のマンションを訪れた多美子だったのだ。
 多美子は峯子に会う約束の時間を1時間後にずらせた。そのずらせた時間帯に、峯子が殺害されたのだ。また、峯子に対し翻訳家として独り立ちできるまで面倒を見ると約束していたのだが、映像クリエイターのコウジ・タチバナにプロポーズされ、ロンドンに一緒に行ってほしいと望まれていたのだ。
 多美子は、約束を破る形になること、また、待ち合わせの時間をずらせたことで、峯子が被害者となったことに、ショックを受ける。責任を感じ、心を病み始める。
 加賀は多美子とタチバナにも勿論聞き込み捜査をした。その加賀は、多美子を『柳沢商店』に連れて行く。それには理由があった。加賀は多美子の心のケアまで行う。
 こんなキャラクターの刑事がいるだろうか。実に楽しくなる。

第7章 清掃屋の社長
 三井峯子が熟年離婚した相手、清瀬直弘に焦点があたる章である。
 清瀬は清掃会社を30歳そこそこで起業し、70人規模の会社まで成長させてきた社長である。今、経営の採算性を考えると、50人規模にすることを迫られている状況である。起業時点から経理を見てきた税理士事務所の岸田要作がそう説明する。
 一方、清瀬は行きつけのクラブのホステスをしていた女性を最近雇い入れていて、彼女に手作りのの銀の指輪や小さなダイヤのついたネックレスを贈ったりしているという。
 そんな背景の中で、最近被害者の三井峯子は、自ら離婚を言い出していた立場だったが、改めて財産分与の額について、清瀬直弘と交渉をしたいと考えていたようなのだ。
 この章は、清瀬直弘と三井峯子の過去に目を向け家族関係を明らかにしていく。
 ここである種の誤解により、峯子が被害者となる伏線が生み出されることになる。

第8章 民芸品店『ほおづき屋』 所在地:人形町
 日本の伝統工芸品を扱い、オリジナル商品も作っている店である。加賀はこの店で独楽を買った客について聞き込みを行い、自分も独楽を一つ買って帰る。6月12日に1つ売れているが、その時は店主ではなくてバイトの女の子が店番をしていたという。翌日その子が来る予定だと聞き、加賀は翌日も『ほおづき屋』を訪れる。バイトの子に質問をした後、12日以降に加賀が購入した以外は売れていない聞き、店頭の独楽をすべて加賀が購入するという。店主の質問に加賀は答える。「いえ、こちらの独楽は関係ありません。関係ない、ということが重要なんです」と。加賀が独楽を買い占めたのには深い意味があった。 この章で、被害者は紐で絞殺されていたことが明らかになる。だがその紐は鑑定の結果、ほおづき屋の独楽に使われている組紐とは別の種類のものと判明していた。それも、加賀が独楽を買い占める以前に既に解っていたことだった。
 また、加賀は人形町通りに面した玩具屋にも、木製の独楽を売っているのを見つけていた。逆に『ほおづき屋』でも木製の独楽が売られていることを、この玩具屋の店主から聞いていたのである。
 『ほおづき屋』には、内輪の問題はなかった。玩具屋の方には、万引きに遭ったという問題は起こっていた。
 事件の関係者は全て聞き込み対象になる。清瀬直弘の会社を担当する税理士の岸田要作については、その息子克哉の家にも要作が訪ねていることから、加賀は聞き込みを行っていた。まさにしらみつぶしに聞き込みが行われるのである。

第9章 日本橋の刑事
 最終章「日本橋の刑事」はこの小説の見出しそのままである。
 加賀が日本橋署の管轄区域で聞き込み捜査を丹念に行って来たプロセスが、この章で殺人事件の視点から状況の整理がなされていく。そして三井峯子が殺害された理由と状況が明らかになる。勿論犯人が確定する。
 加賀は警視庁捜査一課の上杉刑事と組んでいた。そして、犯人の自供を引き出せるのは上杉しかいないと取調を讓るのだ。それはなぜか? この小説、最後の最後まで、加賀の正確な読みが貫き通される。最後の落とし所が後味の良い作品でもある。

 最後に、加賀刑事の信条を書き込んだ箇所を引用しておこう。
*捜査もしてますよ、もちろん。でも、刑事の仕事はそれだけじゃない。事件によって心が傷つけられた人がいるのなら、その人だって被害者だ。そいう被害者を救う手だてを探しだすのも、刑事の役目です。   p220
*俺はね、この仕事をしていて、いつも思うことがあるんです。人殺しなんていう残忍な事件が起きた以上は、犯人を捕まえるだけじゃなく、どうしてそんなことがおきたのかってことを徹底的に追及する必要があるってね。だってそれを突き止めておかなきゃ、またどこかで同じ過ちが繰り返される。その真相から学ぶべきことはたくさんあるはずです。 p339

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この小説の背景情報をネット検索してみた。一覧にしておきたい。フィクションの背景にあるリアルな情報事例である。
人形町界隈の地図(mapion)
人形町商店街お散歩マップ  :「人形町」
甘酒横丁の由来  :「NISSHINBO」
甘酒横丁     :「NISSHINBO」
甘酒横丁界隈を歩く  :「あの町この街歩こうよ」
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浜町公園  :「公園へ行こう」
浜町公園  :「人形町ぐるりお散歩ガイド」

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『麒麟の翼』  講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社


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