遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ヘーメラーの千里眼 完全版』 上・下  松岡圭祐  角川文庫

2022-12-07 16:26:47 | レビュー
 千里眼クラシック・シリーズの第8弾。2005年4月に小学館文庫で刊行された後、修正を加え、「完全版」として2008年12月に刊行された。

 このストーリー、最終ステージで岬美由紀が航空自衛隊に復帰する。そして「オペレーション・ヘーメラー」と称される作戦が始まる。この作戦の事実上の指揮官が岬美由紀である。「ヘーメラーの千里眼」というタイトルはそこに由来する。作戦開始後、F15DJに搭乗した美由紀たちの編隊が敵と壮絶な空中戦を繰り広げる様相を100ページあまりの中で描き出していく。
 なぜ美由紀が自衛隊に復帰し、ヘーメラーの実質的指揮官になり、戦わねばならないのか? そのプロセスがこのストーリーである。
 
 岐阜基地で航空自衛隊の演習が行われた。目的は、新型空対地ミサイルの発射実験および射撃訓練。訓練機F4EJ改に伊吹一尉と宮島三尉が搭乗し訓練を実行した。森林内を低空飛行し、移動標的(段ボール製の一辺1.5m、立方体の形状)を発見し、ミサイルを発射して破壊するというもの。標的は見事に破壊されたが、なぜかその標的の立方体の中に、岐阜基地近くに住む少年が入り込んでいたという。重大な過失事故が発生してしまったのだ。その少年が基地内に入り込み、その立方体の中に入るのを、同じ小学校の子供たちが目撃していたという。子供たちは止めようと呼びかけたが聞こうとしなかったと証言した。監視カメラもその時の状況を記録していた。

 この発射訓練で伊吹がミサイルを発射するまでに操作手順や確認手順にミスがあったのかどうか。本当に移動標的内に少年が存在していたのかどうか。徹底的な現場検証や訓練機の記録データ解析などが実施されていく。一方、伊吹に対して幕僚監部が実質的な査問会議を開く。伊吹はその査問において、己の過失、確認ミスを認める。搭乗パートナーの宮島は伊吹に過失はなかったと信じている。伊吹は己の精神鑑定を幕僚監部に求める。
 伊吹の精神鑑定について、防衛庁側の官僚は、最近めざましく知名度がたかまっているアルタミラ精神衛生への委託を考え始めた。それに対して航空自衛隊幹部は岬美由紀に伊吹の精神鑑定を強引に委託するという行動に出た。美由紀は伊吹の精神鑑定という課題に関わらざるを得なくなる。
 美由紀にとっては、この重大な過失事故とされる事態の事実、その真相を把握しなければ精神鑑定はあり得ないという問題意識につながっていく。まず事実解明への行動を始めていく。
 美由紀の前に、アルタミラ精神衛生の第一秘書と名乗る見鏡季代美が自社の領分だとして対峙してくることに・・・・。

 この頃、日本の領海域では別の問題が発生していた。麝香片麻薬の密輸問題である。中国では麝香片は麻薬と認定されていず、マフィアグループが中国で精製したものを日本に密輸出していた。密輸船は海上保安庁や海上自衛隊の包囲網をかいくぐり、すでにのべ100回以上も日本海側の港に接岸していると考えられていた。その密輸を山東省のマフィアグループが指揮していることがわかっていた。密輸船の護衛には金塗装したミグ31戦闘機と銀塗装したF8戦闘機2機が関わっているという。
 航空自衛隊もこの麝香片麻薬密輸問題に対処を迫られる立場になる。

 つまり、このストーリーは、異質な問題事象がパラレルに進行しながら、接点が見え始めるという展開である。その巧妙なストーリー構成が読ませどころと言える。

 美由紀は、伊吹が引き起こした重大な過失事故の真相を究明する一環として、少年の両親の家を自衛隊での同期・早園鮎香三尉と訪れることから始める。そこには、フェラーリとアルタミラ精神衛生の商標を付けた白いワゴン車が駐まっていた。少年(篠海悠平)の事故の件で母親が強い精神的ショックを受けたことに対して、アルタミラ精神衛生が即応し、母親の介護を名目にビジネスとしてくい込んでいたのだ。美由紀はその状況に違和感を感じ始める。
 事故の調査結果の分析情報が累積され、篠海家との接触が深まる中で、美由紀には糸口が見え始める。
 美由紀による事実の究明行動は、いつしか伊吹の問題に関わりを深めようとするアルタミラ精神衛生並びに麝香片麻薬密輸問題の双方に関わる立場に進展していく。

 このストーリーのおもしろいところは、やはり、様々な個別事象に見える問題がどのようなことが契機で接点を見出していくかというその展開にあると思う。併せて、重要な過失事故が発生した段階で幕僚監部クラスがどのような行動をとるかという側面も批判的視点で描き込まれている。
 ストーリーの中で、どのようなフェーズが現れていくかを列挙しておこう。
*篠海家で発生する問題事象
*重要な過失過失問題の調査結果はデータの分析結果の累積でその解釈が変転する局面
*幕僚監部ら自衛隊、防衛庁トップ層の思惑と行動
*伊吹一尉の心理
*岬美由紀が伊吹の精神鑑定に対して取った行動
*美由紀に対峙してアルタミラ精神衛生が企てる隠謀と行動
*伊吹の精神鑑定が美由紀からアルタミラ精神衛生へ転移
*麝香片麻薬密輸問題
大凡このようなフェーズが錯綜しながら状況が進展していく。その最終ステージが空中戦闘ということになる。

 このストーリー、もう一つパラレルに進行するフェーズがある。それは岬美由紀の防衛大学校時代の青春が回顧され、ストーリーの進展の中に織り込まれていくのだ。そこで、伊吹、鮎香を含めて様々な人々との関わり、美由紀の青春の姿が鮮やかに描き込まれていく。美由紀の青春時代が、克明に回顧されていく側面が、このシリーズを読み継いできた読者には、特に興味深いことと思う。このストーリーのもうひとつの魅力である。
 これまでのシリーズのストーリーにおいて、記述された文の意味を字面で論理的に解釈するレベルの奥に美由紀の心理的側面をさらに補完して奥行を拡げて解釈できる箇所がありそう・・・・・ふとそう思う。
 千里眼と人から称される岬美由紀を主人公としたシリーズを、この「ヘーメラーの千里眼」から読み始めるというのも、一つの方法かも知れない。

 最後に、特に印象深い箇所を引用しておこう。
*争いごとは不可避の問題として残りつづける。どこにその原因があるのだろう、美由紀は熟考する毎日を送った。やがてそれは、すべて心の問題だと気づいた。人々を嫌悪するにしろ、なにかしらの問題に頭をわずらわせるにしろ、結局は先方の事情ではなく、自分自身の心にこそ悩みを生じる理由が潜んでいるのだ。裏を返せば、この世のあらゆる諸問題は、人の心あってこそ生じることになる。  下・p155-156
*若き日の時代の終わりに、無謀からの卒業があるわけではない。無謀のなかに意味を求めて、生きることの意味を探求すること。俺はようやくその域に達したのだろう、そんなふうに思った。  下・p346
*罪の意識にさいなまれて、償いに生きるばかりが立ち直るすべてではないと思うの。癒やしってよくいうけど、努力もしないうちから求めるものじゃないでしょう?過ちを犯しのなら、人はそこからなにかを学びえて、以前よりも成長しているはずなの。成長した自分を、なによりも自分自身が信じてあげて、正しいと思えることのために戦う。それは決して間違いじゃないと思ってる。殻を抜け出して、自分が正しいという自信を持たなきゃ、いつまでたっても親の愛と慈悲にすがる子供でしかない。いつかは自分の意志で善悪を判断し、戦わなきゃいけない日がくる。   下・p380
*寂しさと虚しさ、そして少しばかりの切なさが醸しだす悲しみと引き換えに、俺は誇りを取り戻すことができた。岬美由紀は、俺の心を駆け抜けていった風のような存在だった。爽やかで、穏やかで、ときに激しく、情熱的な風。いま、その風は去りつつある。伊吹はそう感じていた。風は未来を置いていった。明日からの希望を持てる未来を。下・p385
ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、幾つかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
主要装備  :「航空自衛隊」
主要装備 F4EJ(改) :「航空自衛隊」
主要装備 CH47J  :「航空自衛隊」
F15J  :ウィキペディア
MiG-31(航空機) :ウィキペディア
フェラーリ・575Mマラネロ  :ウィキペディア
「メルセデス ベンツ SL350」の中古車 :「カーセンサー」
BMW R1100RS :「BikeBros.」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その点、ご寛恕ください。)


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