遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『信長はなぜ葬られたのか』 安部龍太郎  幻冬舎新書

2019-05-30 17:36:02 | レビュー
 本書は「信長はなぜ葬られたのか」という疑問を呈することで、著者の戦国史観をわかりやすく表明した本と言える。それが本書の副題「世界史の中の本能寺の変」に表れている。著者の戦国時代を背景とした小説を読む上で、また信長という人間について考える上で、役立つ書だと思う。

 「はじめに」で著者は信長を死に至らしめた本能寺の変に2つの真相があったと言う。一つは、天皇と信長の間には、一般的な解釈に反して「軋轢があった」という立場をとる。それは、立花京子著『信長権力と朝廷』(岩田書院)の研究成果に触発されたという。 新聞紙上に連載された『信長燃ゆ』が単行本上下巻で発行されたのが平成13年9月。評判は上々だったが、ベストセラーにはならなかったし、文学賞候補にもならなかった。著者は、「思うに、時代に早すぎたのである」と自己分析している。
 なぜ、早すぎたのか?それは当時までの信長像に対する一般的解釈を踏まえた小説ではなかったから、「一般の読者には、荒唐無稽な絵空事のように受け取られたのである」と言う。本書は、その受け入れられなかった著者の戦国史観をわかりやすく述べていると言える。

 もう一つは、信長があまりにもあっけなく死を迎えた背景として、海外との関わりを抜きに戦国時代を理解できないという。そこにはイエズス会を介したキリスト教との関わりがある。その背後には、戦国時代とは、世界が大航海時代だったということをまず押さえないと、戦国時代を真に理解できないという側面に真相が潜む。著者はその側面からの理解に注意を喚起する。海外からの眼に見えぬ影響力が信長抹殺の後押しとして関係する人々に影響を与えたということである。
 信長が鉄砲を大量に使用して天下を取ったのは事実の一面にすぎない。その裏には、「火薬や鉛弾はどうしたのかという視点がそっくり抜け落ちている」と言う。鉄砲という殺戮手段に必須の火薬の原料である硝石は日本では産出しない。鉄砲の弾となる鉛も国内産では需要に追いつかない。硝石と鉛の輸入を押さえなければ、鉄砲を大量に使い続けることが不可能で、戦争に勝てないという裏事情があった。それが大航海時代、海外貿易にリンクし、信長はその要を当初は押さえていたということである。だが、そこに齟齬が生じてきた背景に真相が潜むという。

 著者はこの2つの真相の全体構図を本書で整理し解き明かしていく。著者の戦国史観を形成していく背景として参照した主要資料・ソースも明らかにしている。このことで、著者は己の考えの論拠や客観性を高め、読者の納得度を増していると言える。

 第1の真相に関連して、著者は「朝廷と室町幕府の復権を果たそうとする勢力が明智光秀を動かして起こしたものだという説を支持している」と明言する。外見的に信長は尊王家とみえる行動を取っている。世間からはそう見られている。しかし、尊皇というふるまいの仮面に隠された意図を信長は抱いていた。それが天皇及びその支持者と信長との対立を生み出し、信長のふるまいが臨界点を超えると判断された結果、信長を葬むるというシナリオが描かれたとする。明智光秀はその走狗という役割を担ったとみるのだ。秀吉の手際のよさにより、光秀は天皇側の人々から見捨てられる立場に投げ込まれたという解釈になる。この書はその進展プロセスを一般読者にわかりやすく説明していく。
 正親町天皇が自ら動くことはない。その代理となる人々のなかの中枢人物が五摂家筆頭の近衛前久(このえさきひさ)である。前久と信長の関わりに光が当てられていく。
 信長は天下布武を宣言した。その真の意図を理解するための一例として、著者は安土城の発掘調査で発見され、2000年2月11日に新聞報道された清涼殿様の建物の礎石配置を取り上げている。新聞は報じなかったが、著者は内裏の清涼殿と安土城内の「清涼殿」は間取りは同じだが、東西の配置が逆で、この清涼殿は西側にある天主閣を向いていると言う。そこに信長の意図と構想が読み取れると論じていく。読者を惹きつけていく論理展開である。
 信長と天皇の対立関係を読み解く上で、天皇周辺の人々の人間関係、人脈、血縁関係を読み解いていくことがいかに重要かということが、著者の論証プロセスで良く分かる。この複雑な人間関係構図とその中での協働・離反などダイナミックなつながり方の分析・解釈を抜きにしては分析できないようである。たとえば、近衛前久と足利義昭は従兄弟関係になる。著者は足利家と近衛家が姻戚関係を結び、公武合体政策を進め、勢力の拡大を図っていた側面を取り上げている。義昭は仏門に入るが興福寺一乗院の門跡となれたのも、前久の父稙家が義昭を近衛家の猶子としたことによるという。また、近衛前久が天皇の側に立ち、信長との関係では実に複雑な動きをとり続けた様相を読み解いていく。

 第2の真相に関連しては、世界が大航海時代のただ中にあり、海外貿易がさかんに行われていたことを背景にして論じていく。そこで海外貿易を担った堺の商人たち、そして大航海時代を前提に来日したイエズス会の布教活動がどういう意義をもち、どういう働きをしていたかが、大きな構図の中で位置づけられていく。
 信長は当初、イエズス会の布教活動を積極的に容認した。その背後に「信長はイエズス会の仲介によってポルトガルと親交を結び、南蛮貿易によって硝石や鉛などの軍事物資を得ていた」(p132)という実利が働いていたという。そこに関わるのは堺の商人達である。海外貿易を掌中にするために、堺の商人達がキリスト教徒になるか、あるいは深い繋がりを築くことは実利的にも必然的な帰結といえる。そして、世界視点では、スペインによるポルトガル併合の影響が、信長にも及んでいくと著者は言う。著者は安土城で信長に対面したヴァリニャーノの役割を論じている。布教という信仰の背後に隠されたヴァリニャーノの使命ースペインと信長の仲介ーである。勿論、ここにはスペインと対立するイギリス・オランダとの関係が関わっている。大航海時代なのである。ここで、著者は残されたヴァリニャーノの手紙や史資料から、大きな構図を推測していく。スリリングですらある。
 そして、本能寺の変の発生において、豊臣秀吉がなぜ中国大返しができ、真っ先に明智光秀と山崎での合戦ができたのか、その謎解きを語っていく。なるほどと納得しやすい論証の展開である。北野大茶会がわずか一日で中止になった理由も、大きな構図の中に位置づけられて解釈し直されていく。信長を葬りさる真相の一つが、秀吉においても無縁ではなかったという傍証にもなっている。

 信長の生涯とその死の実態をわかりづらくしているのは、江戸幕府が戦国時代の有り様をわからなくした、つまり歴史を書き換えるような史観を築き上げたからであるという。著者は、「鎖国史観、身分差別史観、農本主義史観、儒教史観」を強固に形成して、泰平の世を続けさせた。この史観を踏まえて戦国時代を考えてきた弊害が累積しているのだと説明している。この指摘は眼から鱗という新鮮さがある。

 信長が葬られた事象に隠された2つの真相と、戦国時代のイメージを誤解させる江戸史観の呪縛を読み解く論理の展開は、読ませどころとなっている。

 第4章「戦国大名とキリシタン」の末尾に「徳川幕府とキリスト教」というセクションがある。「千姫はキリシタンだったのか」という小見出しからはじまる。小見出しは、「石仏や灯籠に刻まれた印」、「イエズス会にだまされた秀吉」、「キリシタンに好意的な秀頼」、「もし70万人の信者が蜂起したら」、「忠輝、長安、正宗を結ぶ線」と連なって行く。
 歴史事実にもしは通用しないが、著者は、もし千姫がキリシタンだとしたら、大坂の陣の解釈は一変すると言い、「キリシタン問題が大坂の陣が起こった最大の理由」だと読み解いていく。この箇所の論述はおもしろい。未だ解き明かされていない歴史の謎の組み合わせに、仮想世界の歴史ロマンを感じさせてくれる。史実の裏読み歴史小説のネタは尽きることがなさぞうである。

 ご一読ありがとうございます。

本書に出てくる事項に関連して検索した結果を一覧にしておきたい。
近衛前久  :「コトバンク」
正親町天皇 :ウィキペディア
正親町天皇 :「コトバンク」
紙本墨書正親町天皇宸翰女房奉書(理性院宛) :「文化遺産オンライン」
女房奉書  :ウィキペディア
足利義昭  :ウィキペディア
足利義昭「将軍黒幕説」が成り立たないこれだけの理由  :「iRONNA 毎日テーマを議論する」
レポート(3)1580年代、ヴァリニャーノの来日、天正遣欧使節の旅 :「カトリック関町教会」
太平洋の覇権(15) -----バテレンたちの軍事計画 :「丸の内中央法律事務所」
Q. ヴァリニャーノは、巡察師として、3度来日しているようですが、それぞれについて教えてください。  :「高山右近研究室」
堺商人  :「コトバンク」

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著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『平城京』  角川書店
『等伯』 日本経済新聞出版社