この小説の末尾近くに次の一行がある。「わしこそが、亡家の悪玉やった。欲を転がして転がして、周りの欲もどんどん巻き込んで、江戸にまで転がったわ。」タイトルの「悪玉伝」の悪玉は直接的にはこの第一文の「悪玉」に由来すると言える。だが、そこには誰が「悪玉」なのかという問いかけが潜ませてあるのでは、という印象をいだかせた。
「わしこそが、亡家の悪玉やった」と考えたのは誰か? 木津屋吉兵衛である。
この小説、「大岡越前守忠相日記」の元文5年(1740)に「辰已屋一件」として記録された事項を題材にして、元文4~5年に大阪で発生した辰已屋騒動の顛末を史実という実像部分に作者の想像と構想の虚像を織り交ぜたフィクションである。
読後印象は、ストーリーの転がり方に惹きつけられて一気読みさせられたに尽きる。
そして、この小説のストーリー展開と著者のスタンスからみて、吉兵衛は本当に悪玉なのかという問いかけが読後に残る。この小説の巻末に参考文献が一覧となっている。そこに、内山美樹子氏の論文『辰已屋一件の虚像と実像 -大岡越前守忠相日記・銀の笄・女の舞剣紅楓をめぐって』が掲記されている。研究者の立場から論じられている。これは早稲田大学リポジトリから入手し拝読できる。木津屋吉兵衛という人物については辰已屋騒動の起こった同時代からも様々な見方があり、話題性が高かったようである。悪玉・善玉論を考えてみる上でも、興味深い。こちらの一読もお奨めである。
吉兵衛は、堀江吉野屋町の富商、薪問屋辰已屋の次男に生まれた。父の生家(木津屋)が跡継ぎに恵まれないことから、吉兵衛は13歳の時、持参金3000両と共に木津屋の養子となった。だが、家業は番頭任せで、芝居見物を始め遊興に明け暮れ、京大坂の文化人と交わり、自ら文雅堂という私塾を開き、塾生の面倒をみるという生き方をする。遊蕩の限りを尽くしそれが因で、木津屋の身上を潰す直前に至る状況にある。一方、兄は辰已屋久左衛門衛を継承し、家産200万両、大番頭の与兵衛、嘉助を始とする5人の番頭を筆頭に460人の奉公人がいるという大坂では名の通った富商である。その兄が突然に亡くなる。18歳の一人娘の伊波には、泉州の廻船問屋・唐金屋から2歳年下、16歳の乙之助が養子となり、伊波の許嫁となっている。その乙之助が有ることから通夜・葬儀の慌ただしい最中に、相州の生家に帰ってしまう。亡くなった兄のために、伊波・乙之助の後見人として助けようと思っていた吉兵衛は、そのため辰已屋の「跡目相続人」として表向きの手続きを済ませて、兄の葬儀後の辰已屋の運営に入り込んでいく。
「第1章 満中陰」では木津屋吉兵衛の人物描写から始まり、通夜、葬儀から満中陰までの顛末が描かれる。その中で、木津屋、辰已屋、唐金屋などの関係者及び吉兵衛の交友仲間が明らかになる。
「第2章 甘藷と桜」は、場面が一転して江戸になる。大岡越前守忠相が登場する。忠相と長いつきあいとなる配下の加藤又左衛門、青木文蔵(号は昆陽)との間で、甘藷の厚切りを試食するという場面から始まるので、話はどこに行くのか・・・・と思ってしまう。大岡忠相がどういう状況にいたかが読者に見え始める。将軍吉宗の指示で、染井村の植木商、霧島屋に出向く。玉川小金井堤に奈良の吉野山の桜を運び込み植樹するという計画話が出る。老中首座、松平和泉守乗邑が昵懇にしている廻船問屋・唐金屋が商い抜きで協力すると申し出ていると、忠相は霧島屋から聞くことになる。ここに伏線が張られていく。
跡目相続人の手続きを済ませた吉兵衛は、辰已屋の運営実態、内実を知り始める。一方生家に帰ってしまった乙之助の問題は、大坂の商人として唐金屋とは直接の話し合いで決着を付けられると心積もりをしていた。しかし、乙之助は大坂の奉行所に訴状提出するという挙に出る。「第三章 白洲」が最初の山場になる。吉兵衛は交友仲間を仲介にして、大坂の商人流儀で手を打っていく。その結果は吉兵衛側の勝利となる。そして、吉兵衛は辰已屋久左衛門としての欲を転がし始める。この白洲の顛末が、火種となっていく。
「第4章 鬼門」、「第5章 依怙の沙汰」、「第六章 辰已屋一件」、「第7章 波紋」は第2ステージへと展開していく。そのトリガーとなるのは乙之助が江戸に出て、「御箱」(目安箱)に直訴状を入れるという手段に出たのである。ストーリーの舞台は大坂から江戸へと移っていく。
ここで富商といえども商家の継承問題(一町家の内輪もめ)という次元だったはずの事象が、徳川吉宗の改革後の治政下における奢侈な振る舞いの問題、さらに贈収賄問題・疑獄事件としての次元が大きく絡まった事件へと急転していく。つまり、支配者側にとり、封建制構造社会の根幹を揺るがす政治的問題に転換して行く。
ここには、大坂という商人社会基盤と江戸という幕府直下の武家社会基盤との風土の違いが根底に絡んでいる。さらに、流通経済や金融経済という構造面でそれまでの大坂の優位性が背景として存在する。忠相は貨幣改鋳問題で大坂商人との間で苦い経験をしていて、大坂を鬼門視していた。ところが、辰已屋一件を寺社奉行の忠相は、評定所の一員として、吉宗の下命で直訴された辰已屋一件を改めて直接裁き、結論を上申する立場に投げ込まれていく。
この後半の読ませどころにはいくつかのストーリーの糸筋がある。
*大岡忠相の視点を通して描き出される吉宗の治世の有り様と江戸幕府に食い込みつつある唐金屋の有り様。
*辰已屋の跡目相続人となった吉兵衛の家族を含めた辰已屋での内輪の事情
*辰已屋吉兵衛が江戸からの差紙により拘引され江戸送りとなり、牢屋入りとなる。
牢屋暮らしが克明に描かれる。ここにまた一つの伏線が組み込まれて行く。
*治世者としての評定所側の描写。忠相の観点での事件の捉え方。
*終始木津屋吉兵衛として尋問対象となる吉兵衛のスタンスと事態の捉え方
*辰已屋一件の関係者の処分状況
これらの糸筋が絡まり合い太い筋として、評定所の下す結論とその一部変容へと集約していく。
ここで興味深いのは、一旦だされた吉兵衛への処分内容に、吉兵衛が最後まで抗う点にある。そして、遂に吉兵衛は乙之助の父である唐金屋与茂作と直談判する機会を得るというクライマックスに連なっていく。
最終章である「第8章 弁財天」は2つの立場を語って終わる。
一つは、辰已屋一件に関与した大岡忠相の考えたことと、彼が己の日記に「辰已屋一件」を記録に残したという事実。だがそれは事実の一端を記録したのみという。
もう一つは、最終的に吉兵衛はどうなるのか。
あとは、直接この小説を開いて、楽しんでいただくと良いだろう。
補足として記す。小説に触発されて内山美樹子氏の論文を読んでみた。当論文よると、1739~1740の辰已屋騒動の後に実録小説『銀の笄(かんざし)』が創作され、1778年には歌舞伎潤色されて舞台で上演されていた。事件6年後の延享3年には「女舞剣紅楓」が大坂で初演された。また、歌舞伎狂言「棹歌木津川八景」も創作されているという。さらには、関連作として寛政5年(1793)に歌舞伎狂言「けいせい楊柳桜」、寛政6年(1794)に浄瑠璃「持丸長者金笄剣」が初演されているという。一方で、基礎史料として、上記の「大岡越前守忠相日記」のほかに『徳川実記』、『町人考見録』、『翁草』などがあり、事実内容に迫ることができる。大正2年(193)に出版された『大阪市史』第1巻・第3巻に辰已屋騒動が記されている。これら史資料をもとにした虚像と実像の分析論考を、併せて読むとさらに興味深い。
辰已屋騒動を題材にして江戸時代に連綿として形成されてきた創作物の存在と、史料が書き残さなかった空隙が、著者のイマジネーションを刺激し、この小説を創作させる動機づけになったのだろう。私はこの小説を読み、初めて辰已屋騒動の存在を知った。
ご一読ありがとうございます。
補遺
辰巳屋一件の虚像と実像-大岡越前守忠相日記・銀の笄・女舞剣紅楓をめぐって-
内山美樹子氏 早稲田大学大学院文学研究科紀要 早稲田大学リポジトリ
大阪をホジクル 23.辰巳屋騒動
「”相対済し令”の盛立と展開-その2-」 大石慎三郎氏 論文 学習院大学
名奉行・大岡忠相の実像-図書館の図書散歩- 荒井貢次郎氏 :「東洋大学」
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こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。
『阿蘭陀西鶴』 講談社文庫
『恋歌 れんか』 講談社
『眩 くらら』 新潮社
「わしこそが、亡家の悪玉やった」と考えたのは誰か? 木津屋吉兵衛である。
この小説、「大岡越前守忠相日記」の元文5年(1740)に「辰已屋一件」として記録された事項を題材にして、元文4~5年に大阪で発生した辰已屋騒動の顛末を史実という実像部分に作者の想像と構想の虚像を織り交ぜたフィクションである。
読後印象は、ストーリーの転がり方に惹きつけられて一気読みさせられたに尽きる。
そして、この小説のストーリー展開と著者のスタンスからみて、吉兵衛は本当に悪玉なのかという問いかけが読後に残る。この小説の巻末に参考文献が一覧となっている。そこに、内山美樹子氏の論文『辰已屋一件の虚像と実像 -大岡越前守忠相日記・銀の笄・女の舞剣紅楓をめぐって』が掲記されている。研究者の立場から論じられている。これは早稲田大学リポジトリから入手し拝読できる。木津屋吉兵衛という人物については辰已屋騒動の起こった同時代からも様々な見方があり、話題性が高かったようである。悪玉・善玉論を考えてみる上でも、興味深い。こちらの一読もお奨めである。
吉兵衛は、堀江吉野屋町の富商、薪問屋辰已屋の次男に生まれた。父の生家(木津屋)が跡継ぎに恵まれないことから、吉兵衛は13歳の時、持参金3000両と共に木津屋の養子となった。だが、家業は番頭任せで、芝居見物を始め遊興に明け暮れ、京大坂の文化人と交わり、自ら文雅堂という私塾を開き、塾生の面倒をみるという生き方をする。遊蕩の限りを尽くしそれが因で、木津屋の身上を潰す直前に至る状況にある。一方、兄は辰已屋久左衛門衛を継承し、家産200万両、大番頭の与兵衛、嘉助を始とする5人の番頭を筆頭に460人の奉公人がいるという大坂では名の通った富商である。その兄が突然に亡くなる。18歳の一人娘の伊波には、泉州の廻船問屋・唐金屋から2歳年下、16歳の乙之助が養子となり、伊波の許嫁となっている。その乙之助が有ることから通夜・葬儀の慌ただしい最中に、相州の生家に帰ってしまう。亡くなった兄のために、伊波・乙之助の後見人として助けようと思っていた吉兵衛は、そのため辰已屋の「跡目相続人」として表向きの手続きを済ませて、兄の葬儀後の辰已屋の運営に入り込んでいく。
「第1章 満中陰」では木津屋吉兵衛の人物描写から始まり、通夜、葬儀から満中陰までの顛末が描かれる。その中で、木津屋、辰已屋、唐金屋などの関係者及び吉兵衛の交友仲間が明らかになる。
「第2章 甘藷と桜」は、場面が一転して江戸になる。大岡越前守忠相が登場する。忠相と長いつきあいとなる配下の加藤又左衛門、青木文蔵(号は昆陽)との間で、甘藷の厚切りを試食するという場面から始まるので、話はどこに行くのか・・・・と思ってしまう。大岡忠相がどういう状況にいたかが読者に見え始める。将軍吉宗の指示で、染井村の植木商、霧島屋に出向く。玉川小金井堤に奈良の吉野山の桜を運び込み植樹するという計画話が出る。老中首座、松平和泉守乗邑が昵懇にしている廻船問屋・唐金屋が商い抜きで協力すると申し出ていると、忠相は霧島屋から聞くことになる。ここに伏線が張られていく。
跡目相続人の手続きを済ませた吉兵衛は、辰已屋の運営実態、内実を知り始める。一方生家に帰ってしまった乙之助の問題は、大坂の商人として唐金屋とは直接の話し合いで決着を付けられると心積もりをしていた。しかし、乙之助は大坂の奉行所に訴状提出するという挙に出る。「第三章 白洲」が最初の山場になる。吉兵衛は交友仲間を仲介にして、大坂の商人流儀で手を打っていく。その結果は吉兵衛側の勝利となる。そして、吉兵衛は辰已屋久左衛門としての欲を転がし始める。この白洲の顛末が、火種となっていく。
「第4章 鬼門」、「第5章 依怙の沙汰」、「第六章 辰已屋一件」、「第7章 波紋」は第2ステージへと展開していく。そのトリガーとなるのは乙之助が江戸に出て、「御箱」(目安箱)に直訴状を入れるという手段に出たのである。ストーリーの舞台は大坂から江戸へと移っていく。
ここで富商といえども商家の継承問題(一町家の内輪もめ)という次元だったはずの事象が、徳川吉宗の改革後の治政下における奢侈な振る舞いの問題、さらに贈収賄問題・疑獄事件としての次元が大きく絡まった事件へと急転していく。つまり、支配者側にとり、封建制構造社会の根幹を揺るがす政治的問題に転換して行く。
ここには、大坂という商人社会基盤と江戸という幕府直下の武家社会基盤との風土の違いが根底に絡んでいる。さらに、流通経済や金融経済という構造面でそれまでの大坂の優位性が背景として存在する。忠相は貨幣改鋳問題で大坂商人との間で苦い経験をしていて、大坂を鬼門視していた。ところが、辰已屋一件を寺社奉行の忠相は、評定所の一員として、吉宗の下命で直訴された辰已屋一件を改めて直接裁き、結論を上申する立場に投げ込まれていく。
この後半の読ませどころにはいくつかのストーリーの糸筋がある。
*大岡忠相の視点を通して描き出される吉宗の治世の有り様と江戸幕府に食い込みつつある唐金屋の有り様。
*辰已屋の跡目相続人となった吉兵衛の家族を含めた辰已屋での内輪の事情
*辰已屋吉兵衛が江戸からの差紙により拘引され江戸送りとなり、牢屋入りとなる。
牢屋暮らしが克明に描かれる。ここにまた一つの伏線が組み込まれて行く。
*治世者としての評定所側の描写。忠相の観点での事件の捉え方。
*終始木津屋吉兵衛として尋問対象となる吉兵衛のスタンスと事態の捉え方
*辰已屋一件の関係者の処分状況
これらの糸筋が絡まり合い太い筋として、評定所の下す結論とその一部変容へと集約していく。
ここで興味深いのは、一旦だされた吉兵衛への処分内容に、吉兵衛が最後まで抗う点にある。そして、遂に吉兵衛は乙之助の父である唐金屋与茂作と直談判する機会を得るというクライマックスに連なっていく。
最終章である「第8章 弁財天」は2つの立場を語って終わる。
一つは、辰已屋一件に関与した大岡忠相の考えたことと、彼が己の日記に「辰已屋一件」を記録に残したという事実。だがそれは事実の一端を記録したのみという。
もう一つは、最終的に吉兵衛はどうなるのか。
あとは、直接この小説を開いて、楽しんでいただくと良いだろう。
補足として記す。小説に触発されて内山美樹子氏の論文を読んでみた。当論文よると、1739~1740の辰已屋騒動の後に実録小説『銀の笄(かんざし)』が創作され、1778年には歌舞伎潤色されて舞台で上演されていた。事件6年後の延享3年には「女舞剣紅楓」が大坂で初演された。また、歌舞伎狂言「棹歌木津川八景」も創作されているという。さらには、関連作として寛政5年(1793)に歌舞伎狂言「けいせい楊柳桜」、寛政6年(1794)に浄瑠璃「持丸長者金笄剣」が初演されているという。一方で、基礎史料として、上記の「大岡越前守忠相日記」のほかに『徳川実記』、『町人考見録』、『翁草』などがあり、事実内容に迫ることができる。大正2年(193)に出版された『大阪市史』第1巻・第3巻に辰已屋騒動が記されている。これら史資料をもとにした虚像と実像の分析論考を、併せて読むとさらに興味深い。
辰已屋騒動を題材にして江戸時代に連綿として形成されてきた創作物の存在と、史料が書き残さなかった空隙が、著者のイマジネーションを刺激し、この小説を創作させる動機づけになったのだろう。私はこの小説を読み、初めて辰已屋騒動の存在を知った。
ご一読ありがとうございます。
補遺
辰巳屋一件の虚像と実像-大岡越前守忠相日記・銀の笄・女舞剣紅楓をめぐって-
内山美樹子氏 早稲田大学大学院文学研究科紀要 早稲田大学リポジトリ
大阪をホジクル 23.辰巳屋騒動
「”相対済し令”の盛立と展開-その2-」 大石慎三郎氏 論文 学習院大学
名奉行・大岡忠相の実像-図書館の図書散歩- 荒井貢次郎氏 :「東洋大学」
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『阿蘭陀西鶴』 講談社文庫
『恋歌 れんか』 講談社
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