遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『神君家康の密書』  加藤 廣   新潮社

2018-10-07 10:13:15 | レビュー
 奥書を見ると2011年8月に本書の単行本が出版されている。私は『秘録 島原の乱』という著者の遺作を読んで、この本の出版を知った次第である。『秘録 島原の乱』が本書の続編であるという説明を読み、興味を抱いた。

 本書を開けてみて、これが中編規模の小説3作を併せて単行本化されたことを知った。「蛍大名の変身」(88p)、「冥途の茶席」(87p)、「神君家康の密書」(112p)という3作が収録されている。括弧内はその作品のページ数でみたボリュームである。
 この3作はテーマが全く異なるので、どれからでも読める。『秘録 島原の乱』との関係で言えば、「神君家康の密書」だけを読んで、その関連を理解するだけでもよし、なのだが、やはり最初から順番に読んでみた。その印象記を個別にまとめてみたい。

「蛍大名の変身」
 近江国髙島の大溝城の城主であり、後に大津城の城主となって、関ヶ原の合戦の折りに結果として名を残した大名・京極高次を主人公として「運」に恵まれた男という視点から著者は描いて行く。高次には龍子という妹が居た。若狭武田家の武田元明を前夫とし、天性の美貌から秀吉の側室となった女性である。「西の丸」のちに「松の丸」と称された。名門で美女好みの秀吉にとり、「琴瑟相和する」仲といわれるほどの側室だったが、秀吉の子を妊ることができなかった故に、茶々に先を越されることになる。
 この作品では、姉の七光りで、運良く高次は大名の階段を登って行けた描かれる。つまり、「子に恵まれない傷心の側室龍子を慰めるための秀吉の温情」による高次への加増という捉え方である。高次は「蛍大名」と揶揄されるようになったという。それは「女の尻の光で偉くなったという意」である。「蛍大名」は史料に登場するのか?著者の造語?
 この作品のおもしろい点がいくつかある。
 *高次と茶々の関係を軸に据えてストーリーを構想していること。高次は茶々を自分の「運命の伴侶」と信じた時期があったとする。
  高次は茶々の妹・初を娶り、高次・初の仲の良さを取り扱った立場と異なる設定がおもしろい。高次・初の関係にはネガティブ感でさらりと描かれる。
 *茶々が秀吉の子を成したことを「夫重ね」という疑惑で語る内輪話の追跡が一つの目玉に扱われる。様々な噂話がおもしろい。
 *大津城での高次の有り様が偶然性を加えた「変身」として「運」を掴んだものとして描かれて行く。
この作品、高次の運の強さをストーリーに描く反面、高次を虚仮にしているとも読めておもしろい。京極高次に関心を抱かせる作品であるのは、間違いない。

「冥途の茶席」
 この作品には、「井戸茶碗『柴田』由来記」という副題が付いている。
 究極の主人公は、現在東京にある根津美術館が所蔵する青井戸茶碗「柴田」という名物物がたどった履歴をフィクションにまとめたものである。見かけの主人公は戦国時代の著名人がこの茶碗に関わって行くスタンスと姿、この茶碗の所有者が紆余曲折を経て、転々としていくプロセスがフィクションを交えて描き出される。
 1.茶碗の所蔵者はどう変転したのか? その変転の仕方がひとつの読ませどころ。
  結論を記す。これは史実としての数奇な変遷だろう。
  博多商人(茶人)島井宗室⇒織田信長⇒柴田勝家⇒茶々⇒徳川方陪臣・青山家
   ⇒青山家家臣・朝比奈家⇒大坂の数寄者・平瀬家(千種屋)⇒藤田傳三郎
   ⇒鉄道王・根津嘉一郎⇒根津美術館
 2.茶碗はどう評価され、どう扱われたか? 
  千利休  高麗茶碗としての井戸茶碗の将来性を見抜いていた。
  島井宗室 利休の評価を踏まえて、信長にアプローチする贈答品(道具)とみた
  織田信長 天目茶碗に執心中の信長は、高麗茶碗を軽視した
       島井宗室との間での茶碗とその製作についての論議が一つの読ませどころ
  柴田勝家 信長からこの茶碗を与えられたことと亭主としての茶の湯許可に感激
       茶碗の評価は論外。信長からの下賜の一点で家宝に。
       秀吉との合戦に敗れ、この茶碗で妻の市との茶席を過ごす。
       「冥途の茶席」というタイトルの由来はここにある。
  茶々   単なる茶碗。秀吉には不愉快な代物に過ぎない。
       秀吉の単なる思いつき、厄介ものばらいで手放されたと著者は語る。
 3.高麗茶碗がその後に評価されていった理由は何か?
  著者はその原因が、軽くて保温力の高い高麗茶碗が戦国武将たちのニーズにマッチしていった点を上げる。濃茶の品質向上で味が一段とよくなる一方、保温性の高さが、茶席において、高麗茶碗での「廻し飲み」を可能にしたことにあるとする。それがなぜ、受け入れられたのか? お考えの上、この作品で著者の見解を確認してみてほしい。
 この井戸茶碗の背景に、様々な戦国時代の合戦と権力移転が累積しているという人間模様を鮮やかに描き出すのが著者の狙いだったのだろう。

「神君家康の密書」
 この作品は、豊臣家家臣で尾張・清洲城主、禄高24万石の福島正則が家康の命に従い、上杉景勝討伐軍の先頭を切って宇都宮を北上中の時点からストーリーを始める。そして、広島城主に移封された後、江戸幕府よりこの城の明け渡しと改易の処分を受けるまでを描く。
 福島正則の生き様において、正則がめざしたのはただ一つの約束事だった。「今後、たとえ如何なることが徳川さまと豊臣方との間で起きようとも、秀頼公の、お命だけは、なんとしても守る」という家康からの約束である。それを証文にさせることだった。そのためには、家康の命に唯々諾々と従う振りをする行動を正則は厭わない。そんな視点から著者は正則を描き出していく。
 上杉景勝討伐軍の中止から関ヶ原合戦へのなだれ込みの経緯が、家康タヌキと正則キツネの巧妙な駆け引きを背景としつつ描かれる。その上で関ヶ原合戦当日の勝敗の経緯が一つの山場として描き出されていく。そして大坂の冬の陣、夏の陣が簡略にふれられる。

 遂に家康は口約束以上のことはしなかった。だが、正則は城代家老・福島丹波守との密議で、家康との口約束を起請文に偽作して密書として残すという対策を講じたというストーリー構成である。
 この作品、「夏の陣」まで簡略に触れているなら、大坂城の山里曲輪で淀君・秀頼親子が自刃して果てたと伝わっているので、密書の意味が無いじゃないか・・・・ということになる。
 そこにフィクションとしての落とし所(秀頼生存説)が加えられてエンディングとなる。ここでは、福島正則から福島丹波守にバトンが渡される形で終わる。これが続編への伏線になっていたのだった。
 この小説、福島正則の生き様を描きながら、城代家老・福島丹波守の生き様をも欠くことのできないものとして描き添えていく。重要な脇役である。
 
 強いて言えば、「蛍大名の変身」、「冥途の茶席」、「神君家康の密書」との間には、茶々の「夫重ね」という視点が底流でつながる共通項となっている。この点は、永久に解けない問題である。様々な史料から合理的解釈はできるようだ。歴史の闇に潜む真実は何か。そこに小説家の作品づくりへの浪漫とモチベーションがあるのだろう。
 
 ご一読ありがとうございます。

本書と関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
京極高次  :「コトバンク」
京極高次の「蛍大名」という生き方 彼は嫁と妹のおかげで出世した?:「BUSHOO!JAPAN」
京極竜子  :ウィキペディア
京極龍子 :「滋賀・びわ湖 観光情報」
京極家墓所 :「滋賀文化のススメ」
デジタルミュージアムC57京極家墓所 :「京丹後市」
大溝城  :「コトバンク」
島井宗室  :ウィキペディア
島井宗室  :「コトバンク」
高麗茶碗 :「茶道入門」
[徹底解説]井戸茶碗とは  :「茶道具事典」
根津美術館  ホームページ
  青井戸茶碗 銘 柴田 
福島正則  :ウィキペディア
福島正則  :「コトバンク」
福島正則にまつわる5つの逸話!  :「ホンシェルジュ」
福島正則の子孫 改易された後はどう江戸時代を過ごした!? :「ひすとりぴあ」

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このブログを書き始めた後に、徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『秘録 島原の乱』 新潮社
『謎手本忠臣蔵』  新潮社
『利休の闇』  文藝春秋
『安土城の幽霊 「信長の棺」異聞録』 文藝春秋