遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『恋歌 れんか』  朝井まかて  講談社

2018-07-22 11:13:16 | レビュー
 手許にある高校生向け学習参考書『クリアカラー国語便覧』(数研出版・第4版)を見ると、「樋口一葉」についてまとめた1ページに、樋口一葉が明治19年(1888)14歳で歌塾「萩の舍」に入門したという記述がある。一方、「近現代文学の流れ」というチャート図に、短歌の欄がある。そこには、「旧派(桂園派)高崎正風」という項は記載されているが、その後は「浅香社 落合直文」から始まっている。歌塾「萩の舍」も設立者中島歌子の名前も出て来ない。
 この小説は、東京・小石川区の安藤坂に歌塾「萩の舍」を設立した中島歌子について書かれた自伝風歴史時代小説である。

本書はサンドイッチ型の面白い構成に仕立てられている。序章と終章は現在(明治36年)時点を扱い、第1章から第6章と終章の一部は、幕末時点の状況とともに「登世(とせ)」の人生が語られていく。登世と呼ばれた女性が、中島歌子である。そのところどころに現在時点とのリンクはあるが。
 序章と終章に主に登場するのは、三宅雪嶺夫人となった花圃。花圃は中島歌子の門人であり、女学生のときに『藪の鶯』を書いた。その処女作は、明治の婦女子が小説を上梓した初めての作品だったという。当時は評判になったようである。花圃の後輩として、ヒ夏(樋口夏子)の名が出て来て、ヒ夏が樋口一葉の名前で小説を書いたということと、その背景が点描としてこのストーリーに描かれている。それはあたかも樋口一葉という現代人にも親炙している人物を介して、この小説の主人公、一葉の師でもあった中島歌子に目を向けさせる働きになっている。もう一人の登場人物は「萩の舍」の事務方の仕事を任されてきた「澄」という女性である。
 花圃は、中島先生が風邪をこじらせ入院したということを小石川からの遣いの人から知らされる。花圃は入院先に見舞いに行く。そこで、師から病気見舞いの礼状代筆や書類の整理を依頼される。花圃は澄と二人で手分けしてその仕事をする羽目になる。澄は礼状の代筆と書類整理を主に引き受ける。花圃は澄から中身が膨らみ蓋が斜めに持ち上がるほど書類が詰め込まれたとみえる長辺が一尺ほどもある文箱を分担することになる。文箱の中身の整理を始めた花圃は、文箱の内縁が見え始めた頃に、布紐で括られた奉書包み、厚みが五寸ほどあるものを見つけた。中からは半紙の束が現れ、それは師が千蔭流の書で記したものだった。花圃は、師による和歌の下書きの類いとは思えないその内容を、いぶかしく思いながら、読み始める。

 半紙の束に記されていたのは、師中島歌子が己の半生を第一人称で綴った自伝ストーリーだった。花圃はその内容に引きこまれて行く。一区切りのところまで読むと順次、それを澄に手渡し、澄もその内容に目を通していくことになる。二人が師の自伝語りを読む。その結果、終章で、師が死去した後に二人がどのように対処するか、その有り様に大きく関わって行く。この現在時点に立ち戻ったとき、意外性を含めた結末を迎えるところが読ませどころになる。

 中島歌子の書き残した自伝風ストーリーは、正月14日節分、浅草の市村座での芝居観劇から書き出される。登世17歳の時である。その芝居見物は、登世の母が仕組んだ桟敷越しでの見合いのためだった。登世はこの見合いを壊す行動をとる。この出だしから、登世の個性が出ていておもしろい。この先どなるのか・・・。

 ある日、登世が可愛がり大事にしている犬・獅子丸の姿が見えなくなり、大騒ぎとなる。母は動顛する登世に、「瀬をはやみ、岩にせかるる滝川の」という崇徳院の詠んだ歌を口ずさみ、その上の句を短冊に書き、吊しなさいと言う。この上の句、当時、「失せ物、待ち人に出会えるように」との願掛けに使われたとか。そんなやり取りが自然な母娘の会話になっている。そんなところに、爺やが一人の武家を伴って戻って来る。奴ややくざが連れ歩くでっけえ犬に獅子丸が吠え立てられていたところに通りがかり、その武家が獅子丸を助けたという。その武士は「われても末に、逢はむとぞ思ふ・・・・・待ち人来たりですね」と下の句を低い声で告げて、獅子丸を差し出した。爺やはその武士を池田屋の客として見知っていたのだ。その武士は水戸藩の家中の一人で、林忠左衛門以徳という。獅子丸を助けてくれ、さり気なく下の句を告げた林は、前年の秋の夕暮れに池田屋に一泊していた。実は登世はそのとき林を垣間見ていて、一目惚れしていたのである。登世にとって獅子丸騒動の結果としての運命的出会いと言えよう。それは、母がお見合いを仕組んだ前に起こっていたのである。

 登世の母・幾は川越の豪商の娘で、川越藩の奥御殿女中勤めをした後、中島家に嫁ぎ、江戸の水戸藩上屋敷の近くで池田屋の女将として手腕を振るう。池田屋は水戸藩の定宿の指定を受けていた。池田屋に泊まる水戸藩家中は「尊王攘夷」の急先鋒の輩が多い。磯は長年の水戸藩定宿としての立場から、水戸藩の内情もかなり知っていた。それ故、水戸家の家中との話は、頭から反対という立場。母からの戒めを登世が聞いた翌朝、とんでもないことが発生する。桜田門の手前で起こった井伊直弼暗殺事件である。水戸藩浪士が引き起こした所謂桜田門外の変。林もそれに加担するはずだった。しかしある事情が直前に発生していてそれが叶わなかったのだ。
 だが、そのことで逆に、林以徳の許に登世が嫁ぐことが成就することになる。大反対だった磯は、最後は登世の思いを認め、さらに林の尊王行動のために資金を提供する側にまわることになる。

 このストーリーは、維新後に家塾「萩の舍」を設立し、一時期一世を風靡した歌人のまさに波乱万丈の半生を自伝ストーリーで語る。
 ストーリーは、いくつかの段階を経て行く。
1.登世が水戸の林家へ嫁ぐ道中のプロセスの描写。
2.水戸の林家での登世の立場と日常生活の描写。
 夫となった以徳は、役目柄水戸に居ることは殆ど無い。水戸藩内は、尊王攘夷を叫ぶ天狗党と保守派の諸生党の二派に分かれ、内紛が絶えない状況にある。桜田門外の変の後、藩内の天狗党は劣勢になっている。林以徳は天狗党のリーダー格とみなされている。天狗党自体の内情は、尊王攘夷の思想と行動に様々な幅があるのだ。
登世の日常生活の有り様の描き出しが興味深い。第一は、夫以徳の妹が実質的に家政を采配するという日常が描かれる。それに登世がどう対応していくかのプロセス。
 第二に、夫以徳が家に数日でも戻って来た時は、天狗党の仲間が集まり、論議する場となる。登世にとっては、夫と会えた時間の多くが、非日常的な時間となり、登世は時代の証言者のような立場になる。当時の水戸藩の尊王攘夷の実体が鮮やかに切り取られて描き出される場面なる。この小説は、幕末における水戸藩の藩運営と内部の政争、尊王攘夷の実態がどのような状況にあったかを描く。それをサブテーマに設定していると思われせるほどである。
3.水戸藩主慶篤と一橋慶喜の生母である貞芳院様との偶然の出会い。
 このストーリーでは、この出会いが、明治維新後に、別の場面に結びついていくという興味深いエピソードとして描かれている。
4.元治元年2月末に天狗党の同志60名ほどが筑波山で蜂起した。それに伴う水戸藩騒動の顛末。そのことが登世並びに林家にも大きな影響を及ぼしていく。
 水戸藩内は、執政市川三左衛門のもとで諸生党が勢力を握り、天狗党を粛清する行動を展開する。それは、天狗党に属した家中の武士の妻女・子供に及んでいく。
5. 登世と以徳の妹もまた獄中の囚人となる。登世の視点で獄舎の惨状が描かれて行く。登世は以徳が無事であり、いつか救助に来てくれるという希望にすがる。
 水戸藩の尊王攘夷の動きの背後に、どのような惨劇が存在したかを克明に描き出していく。これは上記したサブテーマの一側面をあきらかにしている。
 著者は、同心に対し登世に怒りを発露させている。
 「惜しむらくはこの水戸藩でありましょう。内紛で有為の人材を死なせ、無辜の妻子を殺戮し、この血染めの土地にいかなる思想を成就されるおつもりですか」と。
6. 藩重臣の協議により、天狗党の才女召し放しと各々の縁戚預けという下知が出る。
  生き延びた登世は、以徳の妹・てつと共に、水戸藩を脱出する決断をする。ここから先が、歌人・中島歌子としてのその後の生き方へと展開していく。

 そして、なぜ歌子がこの自伝ストーリーを認めたのかが、文箱から出て来た遺書により、終章で明らかになる。加えて、なぜ登世が歌人として世に立つ決意をしたのかの理由が明らかになる。さらに「萩の舍」での事務仕事に携わってきた澄の人生と生き様に関わる大きな秘密が明らかになる。自伝ストーリーと現在の時点のリンクのしかたと結末が読ませどころになっている。

 これは史実を踏まえた上でフィクションとして構成された歴史時代小説だと思う。しかし、ここには、幕末・明治維新の歴史概説書や文学史概説書では触れられることのない史実の存在に光を当てるという営為が鮮やかに結実している。今までは、それは知る人ぞ知るということになるのかもしれない。
 だが、ここでは、義務教育の学制では触れられる事のない歌人・中島歌子をあたかも氷山の一角として、その水面下に潜む巨大な部分を描き出している。登世・中島歌子が何を想い、何を胸に秘めつつ、明治維新後に一世を風靡する人生の最終ステージを過ごしてきたのか。一方で、その背後に、著名な歴史書を営々と書き継ぎ残し、水戸学を生み出し、尊王攘夷の先鞭となった水戸藩の内情、実体がどうだったのか。歴史の影の部分を明るみに出すことで、幕末動乱期・明治維新初期へ目を向けさせる。
 歌人中島歌子の存在を認識させるとともに、幕末明治維新を改めて考えてみるという視点を提供する作品である。
 内容は血腥い局面を扱うが、最後の歌子の決断が、読後印象として爽やかさを生み救われる余韻が残る。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
中島歌子  :ウィキペディア
中島歌子  :「コトバンク」
樋口一葉文学事典 メインページ 
 萩の舍 
 田辺花圃 
三宅花圃  :ウィキペディア
三宅雪嶺  :ウィキペディア
三宅雪嶺  :「コトバンク」
水戸学・水戸幕末争乱(天狗党の乱) :「茨城大学図書館」
水戸天狗党の悲劇 :「傅弘庵」
水戸天狗党 敦賀で斬首352名 :「敦賀の歴史」
石地に眠る水戸諸生党兵士の刀痕頭蓋骨 :「幕末刀痕弾痕探訪記」
徳川慶篤  :ウィキペディア
吉子女王  :ウィキペディア
  水戸藩第9代藩主・徳川斉昭の正室。院号は貞芳院。

朝井まかてインタビュー『恋歌』を語る  :YouTube
朝井まかてインタビュー「直木賞受賞の裏話を語る」:YouTube

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