遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『悪意』 東野圭吾  講談社文庫

2016-11-20 00:00:48 | レビュー
 加賀刑事シリーズは著者が小説の構成に様々なチャレンジ意欲を発揮していておもしろい。今回は算用数字による章立て表記ではなく、「事件→疑惑→解決→追及→告白」という形で章が進み、それらは野々口修の手記、あるいは加賀恭一郎の記録文あるいは独白という体裁になっている。その後に「過去の章」が三章続く。それは「加賀恭一郎の記録、彼等を知る者たちの話、加賀恭一郎の回想」で構成される。最後に「真実の章 加賀恭一郎による解明」で終わる。

 この小説を読み、私が興味深いと思ったころを列挙してみる。
1.野々口修が児童向け読み物の作家であるという設定にある。発生した殺人事件に関連して、作家が自分の立場や行動を手記にまとめる。その手記を読者が読むという形でストーリーが始まる。その野々口は、加賀が教師の道を選択し、社会科の新任教諭としてある中学校に赴任したときに、国語の教諭として在職していた先輩だったという関係が明らかになる。加賀はかつての同僚かつ先輩であった野々口を殺人事件の容疑者として捜査することになる。過去のある時期の野々口について、加賀は経験としてその人物を知っていて、印象を持っている。それが捜査の中で加賀の思考・推理にどう影響していくかという点が興味深い。

2.野々口の過去との関わりから、教師となった加賀恭一郎がなぜ教職の道を断念したのかという理由が明らかになる。それがこの小説の副産物でもある。なぜ加賀が教職の道を断念し警察官に転身したのか。加賀恭一郎という人物の過去自体に抱いた関心の一端が解明されている。少なくとも私にはこのシリーズを読み継ぐ上での関心事の一つを充たされた。

3.野々口は作家である。手記という形でストーリーが語られる。手記の中に事実を記しつつ自分に有利な形に変容させて虚偽の部分を巧妙に混入させている可能性がある。その手記に対置するものとして、加賀恭一郎が事件捜査の事実記録として記したもの、記録ではないが独白として事実解明への一端を語るものの2つが組み合わされていく。おもしろい構成である。それらをつないで殺人事件の真実が見え始めていくというストーリー展開とその構想がおもしろい。
 野々口の手記内容から事実と虚偽の分離を行うことと、虚偽部分が事件の事実解明にどう関わるかの解釈が重要になっていく。手記内容の解釈が二転三転していくという緻密な構成になっている。なるほど、そう読めたのか・・・・という興味深さがある。

4.この小説のタイトルは「悪意」である。野々口の悪意がどこにあったか、それが印象的である。

 さて、ストーリーの発端は、4月16日火曜日に流行作家日高邦彦の自宅で起こる。野々口修の手記は、彼が午後3時半に自宅を出て、電車・バス・徒歩を合わせて20分もあれば到着する日高邸に向かうところから始まる。
 日高邦彦は小学生の頃から野々口修が知り合っている友人関係にある。日高がいち早く作家として認められ、流行作家となった。国語の教師をしていた野々口は日高の紹介を得て、子供向けの読み物作家の道を歩み出したのである。
 野々口が日高邸を訪れたとき、彼は2つのトラブルに出会う。一つは八重桜が1本だけ植えられた日高家の庭にジーンズとセーターという軽装の女が入り込み、腰をかがめて地面を見ていたのに出くわす。その女の飼い猫が死んだのは日高が毒ダンゴを仕掛けたせいではないかと恨んでいるのだという。日高は猫について「我慢の限界」というエッセイを書いていたのだ。日高は野々口に毒ダンゴを庭に仕込んだのだという。
 野々口が日高と話しているとき、藤尾美弥子が訪ねてくる。彼女は日高の書いた小説『禁猟地』の回収と全面的改稿のクレームを日高に行っているのだ。その著書はある版画家の生涯を描いたフィクションなのだが、そのモデルが美弥子の兄、藤尾正哉なのだ、正哉の学生時代の奇行がほぼ事実通りに小説で描かれていることへの名誉毀損クレームである。藤尾正哉は、野々口、日高たちと同じ中学に通っていた同級生でもあった。
 日高家を辞去した野々口は、夕方自宅のマンションを訪れた童子社の大島が野々口の原稿を読んでいる時に、日高からの電話を受ける。そして、午後8時頃、日高邸を再訪する約束をする。

 午後8時に日高邸についた野々口は屋敷が真っ暗で門灯も消えているので、クラウンホテルに泊まっているはずの日高の妻理恵に電話を入れる。理恵のの到着を待ち、屋敷に入る。日高の仕事場のドアには鍵が掛かっていて、中に入ると真っ暗だった。しかし、パソコンのスイッチが入ったままで、デスクトップのモニター画面が光っていた。日高邦彦は部屋の中央でうつ伏せの状態で、首を捩り、ひだりお横顔を見せて死んでいたのだ。
 日高夫妻はこの日の夜、クラウンホテルに一泊し、翌日出国して、バンクーバーに移住し、そこを仕事場にする予定でいたのだ。聡明社の月刊誌への連載の最後の1回分を仕上げて、ファックスで送るために、日高はこの仕事場に残り、妻の理恵は一足先にホテルに行っていたのである。
 通報により、警視庁の捜査員たちが現場検証を手順通りに行う。この現場に加賀刑事が登場する。加賀はこの殺人事件の捜査の一員となる。
 凶器は日高の仕事場に置かれていた文鎮で、これによる殴打が原因だった。玄関および仕事部屋のドアには、鍵がかかっていた。ドアノブの指紋は日高夫妻のもののみ。仕事場の鍵は内側からかけられた可能性が高い。それは指紋が拭き取られた痕跡が残るからである。使用された凶器と鍵のかかった部屋の状態が、いくつかの矛盾をはらむ。そんな状況の中で、加賀の推理が始まって行く。
 野々口修の手記はじつに整然と書かれていて、野々口のアリバイも完璧にみえるのである。「だが私(=加賀)は正直なところ、犯人は彼(=野々口)ではないかと疑っている。そのきっかけとなったのは、事件当日の夜に彼が発した、なんでもない一言だ。それを聞いた瞬間から、私は彼が犯人である可能性について検討を始めた」(p83)のである。

 作家である野々口が整然と記した手記、及び野々口の提示する資料・情報、関係者とのかかわりで確認されるアリバイ状況など、一見容疑者とは思えない野々口に対して、加賀がアリバイ崩しに挑んでいく。
 アリバイ崩しのための捜査を加賀が推し進めていくと、それは野々口と日高の小学生時代からの関わり合い方にも結びついていく。
 一種の密室殺人事件の謎解き、緻密に練られたアリバイに如何に風穴をあけられるかのせめぎ合い、そして少年時代にまで遡っていくことになった人間関係に潜んでいた謎、これらが絡みあっていく。手記と状況証拠の解釈が、見方をかえると二転三転していくのである。
 アリバイ崩しの推理プロセスと野々口修の犯行動機の究明が実に興味深い。野々口自身は最後まで、真の犯行動機を語らないのだから。
 この小説は構成という点で著者の意欲的な試みがおもしろい。このシリーズにおいて著者が小説のスタイルをさまざまにチャレンジ精神していく意気込みが楽しい。次はどういう試みが現れるのか、期待したい。

 ご一読ありがとうございます。


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ふと手に取った作品から私の読書領域の対象に加わってきました。
次の本をまずは読み継いできました。お読みいただけるとうれしいです。
『どちらかが彼女を殺した』 講談社文庫
『眠りの森』 講談社文庫
『卒業』  講談社文庫
『新参者』 講談社
『麒麟の翼』  講談社
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