『生存者ゼロ』で2012年に第11回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した著者が単行本として2014年7月に出版した第2作がこの作品である。現在、宝島社文庫(2015/3/5)として出版されている。この後、未読であるが、2014年12月に4作家競作本である『このミステリーがすごい! 四つの謎』に「ダイヤモンドダスト」という作品が発表されている。
この作品も自衛隊の出動をテーマとした小説である。それも東京都内に中隊規模で潜入し戦術兵器を携えたテロ組織の攻撃を受けるという設定での戦闘シミュレーション・シナリオである。読み始めるとかなり破天荒な想定と思えて、馬鹿らしさを感じる側面があるかも知れない。だが読み進めていくと、おぞましいリアル感が湧いてくる作品に仕上がっている。
勿論、この前提となっている様々な条件が、現実的にどこまで組み合わせとして成立し、この事態が発生するかの評価によって意見が分かれるだろう。このシミュレーション・シナリオが荒唐無稽の机上の空論、小説の中だけのバーチャルワールドなのかどうか、それを考えてみるためにも、本書を読んでいただくとよい。この極端と思える事態に対処する日本の政治関係者、自衛隊、マスコミなどの反応と対応、彼らが組み立てる論理や思考のプロセスなどの描写場面に、このシュミレーションの考えるべき局面が潜んでいると思う。日本の実態を考え直す思考実験という側面は一読の意義がる。
この作品が出版される2ヵ月前の2014年5月15日午後に、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が報告書をまとめている。憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使についての提言が公式にこの時に為された。それから、今や集団的自衛権の行使について、不明瞭な領域があるままで、安全保障関連法案が衆参両院で押し切られ、2015年9月19日に安保法が成立した。改正された諸法律が施行されれば、集団的自衛権の行使は現実のものとなる。おぞましいかぎりだが・・・・。
この小説は、同じ時期に、それ以前の段階での日本国土内での緊急事態発生に焦点を絞り込んだシュミレーションをしているのだ。足許に潜む暗闇の想定である。
さて、この小説のタイトルはどこに由来するのか?
第4章に次の記載がある。「ハン。これが私のチームだ。戦力ではお前の部隊に及びはしない。おまけに、何の準備もない我々は、ゼロから戦いを始めることになる。半島の精鋭をゼロが迎撃する」(p342)これが「ゼロの迎撃」というタイトルにリンクするのだと思う。
私のチームとは? ここで私というのは真下俊彦、自衛隊の情報本部統合情報部に所属する三等陸佐の情報分析官である。真下がその情報分析能力を駆使して、東京都内で発生したテロ組織への対処に対する方策具申の中核とならざるをえなくなった時点で、チームが編成される。わずか4人のチームが何の準備もないところから、現在進行中のテロ行為事態に対処する情報収集と分析活動を繰り広げる。そして内閣総理大臣や関連大臣並びに自衛隊トップや情報本部幹部などへ報告し、対策具申を遂行していくのである。そして、対処の一環として自ら阻止行動に踏み出す。
後の3人とは統合情報部所属で情報分析に専念する岐部三等陸尉、情報本部総務部所属で退役間近い調整官の寺沢陸曹長、そして東部方面隊第一師団所属で、レンジャーである高城和久三等陸曹である。高城は真下の行動に対して護衛的役割を兼ねて戦闘員として急遽配置されたのだ。
この小説は後半でこの真下チームが何をなし、どういう行動を重ねていくかを中軸にして戦闘ストーリーが展開する。この4人の思考や思いの描写が一つの読ませどころになっている。
ストーリーをスタートラインに戻す。
7月7日午前2時、南浦港近隣のピバゴッ基地を中国漁船に擬装した200トン型の貨物船白村号が改造されたヨノ型潜水艇を伴い出港する。白村号には、平壌防御司令部のハン大佐及び彼の訓練育成した中隊200名が乗船し、戦術兵器が積み込まれていた。黄海上で中国漁船団に紛れ込み、太平洋に出た後、白村号は漁船団から離れ、紀伊半島南東沖、日本の排他的経済水域200海里すれすれの公海上に至る。
7月9日、午後9時30分。強力な台風が日本に接近している中で、外洋型底開式(ていかいしき)土運船<第34中野丸>と合流し、白村号から中野丸に部隊と積荷を積み替える作業を行う。台風接近下の荒海での積み替え作業中に事故が発生し、積荷の一部と20名の兵士が水没する。だが、180名の精鋭が台風接近状況に紛れて易々と東京湾に潜入してしまうのだ。
一方、7月11日午後2時13分、真下俊彦は、子宮体癌手術のために入院した妻・智恵子に付きそうために、自衛隊中央病院に居た。真下は情報本部統合情報部から、東部方面総監部への異動の下令を受けていたのだ。だが、「大至急市ヶ谷に出頭せよ」との緊急メールを受信する。それは防衛省の主要メンバーが省議室に集まった会議に出席させられるためだった。その会議では、7月7日に防衛省が大規模なサイバー攻撃を受け、日本近海の警戒システムに6時間の障害が発生したこと。ビバゴッ基地を光学衛星が撮影した写真で、西海艦隊の貨物船とヨノ型潜水艇が姿を消していること。大連湾漁港から出港した20隻の外洋漁船団が台風9号の接近下で太平洋に足を延ばすという不可解な行動を衛星が補足していたことなどが報告される。その後の情報で、大連へ帰港する船団の船数が一隻減っていること。カシミール地方での武力衝突におけるテロ組織の正体は、半島で何者かに編成された特殊部隊の仕業ではないかという情報が入ったことなどの情報がさらに説明される。その会議で、諸情報を総合的に分析した真下は我が国が襲われるリスクという懸念を発言してしまう。そして、この会議の終了後、真下は異動の取消を宣告されてしまうのだ。この会議で提示された様々な情報を踏まえて、まずはたしかな情報を分析して上げろという命令である。
真下は、まるで知らなかった妻の病状を知らされ、妻への慚愧に苦悩する私情にとらわれつつ、情報分析官としての能力への矜持と公務へ義務感・責任感の遂行に邁進していく。
7月11日、午後5時10分、川崎港の京浜運河沿い、産業廃棄物処理業の水江興産のある埠頭に中野丸は着岸する。ハンは180名の中隊を5つの小隊に分割し、任務を指示してそれぞれが配置に就くように命じる。ハンの冷酷で周到なテロ戦略構想が開始される。
7月11日、夕刻から防衛省、警視庁、外務省のHPとサーバーがサイバー攻撃を受ける。そこに「明朝までに東京を壊滅させる」というメッセージが流されたのだ。そして、午後5時30分頃、丸の内1丁目のやまと銀行本店で大規模な爆発が起こる。羽田空港南端にある航空燃料貯蔵タンクで爆発が起こるなど、都内の6ヵ所で大規模な爆発が発生する。さらに、錦糸町駅北口近くの大規模再開発地に建つセレブマンションの警備室から「何者かに襲われた」との緊急通報が入った後、連絡が途絶える。現地に指令を受けて出向いた巡査長が、近くのビルの低層棟からの銃撃で射殺される。占拠事件という判断で警官隊が出動するのだが、ここがテロ組織との交戦状態になっていくのだった。
法治国家日本の即応してなすすべもない状況から、事態が急速に拡大深刻化していく。 もし、このシュミレーション・シナリオが今現実化したら、この国の対応力は如何?
7月11日午後6時30分、首相官邸地下にある危機管理センターに、急遽、国家安全保障会議が招集される。この会議に、真下も予想どおり呼び出されることになる。
突如都内各所に同時多発的に出現した破壊行為と謎のテロ組織に対して、どう対応すべきか? テロ行為説否定から始まる楽観論や戸惑い、招集された個々人の場違いな思惑や錯綜した情報に対する戸惑い・・・・混乱した会議の状況場面が始まって行く。まさに誰も想定しなかった事態が発生しているのである。このあたり、現日本の実態のシミュレーションではないかというリアル感に襲われる。異なる次元の危機的状況だったのだが、福島第一原発爆発事故の際の、首相官邸地下の危機管理センターにおける会議の錯綜状況が、ここの描写にオーバーラップしてくる思いがする。第1章の後半で描写される最初の会議は、かなりリアル感がある。
この会議で、真下は、習志野駐屯地の特殊作戦群の部隊への治安出動待機命令を進言する。部隊を乗せたへりを羽田空港から離れた東京テレポートに向かわせるべきと提言する。しかし、それはヘリが打ち落とされ部隊が全滅するという最悪のスタートとなる。真下は初っ端から、己の情報分析の甘さと事態の深刻さを思い知らされるのだ。
国家安全保障会議のメンバー間での事態に対する認識ギャップと対応策への困惑状態、一方、ハン大佐による冷徹なテロ作戦の遂行と戦闘推移状況の判断が、判然としたコントラストを生み出している。テロ組織の精鋭部隊に対して、警察力での対応が不可能とわかるや、自衛隊の出動要請へと事態が進展していく。このステップアップに法的制約、障害が何か、それにどう克服対処できるかの論議が描き込まれている。このあたり、一つのシミュレーション、論理の展開として興味深い。
ハン大佐の沈着なテロ部隊への指令の一方、ハンの個人的な側面に関わる本国での事態が同時進行していく。ハンの内心の描写は、軍人としてのハンの思考とのコインの両面となり微妙な影響を及ぼしていく。
著者はハンにこう語らせている。「日本の防衛システムの欠点は、水際での撃退のみを想定していることだ。つまり国内に敵が侵入した後の本土、特に大都市における陸上戦闘を考慮していない。市街戦を想定した上で、国民の犠牲を議論することから彼らは逃げた」と。
この指摘は、現実問題どう認識され、想定されているのだろうか・・・・。
この小説は、攻撃側のハン大佐の冷徹な戦略構想のもとに、テロ戦闘が拡大進展させる様相をハン大佐の抱える内面描写ともに描くストーリーの展開が一つある。自衛隊の出動までの紆余曲折を経て、出動が決定される。それから真下が情報分析の中核となり、4人のチームがテロ戦闘事態に対する敵の究明と対応方策の分析、具申としての行動を描くストーリーの展開がもう一つある。この2つが同時進行していく。ストーリーは緻密な構成になっている。
テロ戦闘の進め方、進展の仕方などを情報分析し、真下の頭脳に蓄積された膨大な情報の中から、ある戦略論の論文が結びつくことで、テロ組織のリーダーがハン大佐であることを割り出していく。それからは、ハン大佐ならどう考えるかという想定での情報分析に進む。そして、真下とハンの対決というクライマックスへとストーリーは展開する。
この小説の設定で、大変興味深いのは、真下が具体的に行動を開始する時点において、事の成り行きから、真下が署名した辞表を倒幕長に差し出してから、4人のチームが結成されるというストーリーになっている。これは何とも、実に日本的な組織の動きと思われる。これ自体が実に興味深い設定だと思う。
テロ戦闘の戦場が終結した2週間後の状況が「終章」として描かれる。
この最終章の落とし所は実に巧妙である。真下とハンを視点を軸にしながら描かれてきた巨大台風が日本本土に到来する中での戦闘行為の意味が何か、それが別次元の解釈に止揚されていく。う~ん、と唸りたくなるエンディングでもある。
もう一つ、付け加えておきたい。戦術武器を携えた精鋭部隊がテロ行為に及んだならば、現在の警察の装備力では対処できないのは、素人でもわかる。法治国家における警察組織の役割は違うから当然であるだろう。この小説での考えさせどころは、日本における自衛隊の出動についての法的手続きという側面である。上記国家安全保障会議の場はその討議にウエイトが置かれて、様々な考えがぶつかり合う場面、そこに個々人の思惑が絡んだ発言と思いが描写されている。この小説の基盤にあるのが、この討議のストーリー展開だろう。この小説が一つの事例研究的なシュミレーションになっている側面だと思う。
この側面について、p146に著者はこんなやりとりを書き込んでいる。引用しておきたい。
「先ほどの須藤長官の意見についてだが、自衛権の発動三要件についてはどうだ。発動の三要件は揃っていると思うかね」
「憲法第九条下で認められる自衛権発動の三要件は、一つ、我が国にたいする急迫不正の侵害があること。二つ、この場合、これを排除するために他の適当な手段がないこと。三つ、必要最小限度の実力行使にとどまるべきことです」須藤が一旦言葉を切った。「第七十六条に言う<<武力攻撃>>とは一般に、我が国にたいする組織的計画的な武力の行使をさします。その発生時期については、基本的に武力攻撃が始まったときです。では、どの時点で相手が武力攻撃に着手したかについては、相手国の明示した意図、攻撃の手段などをもって、個別具体的に判断すべきとされています。つまり、どの時点でどのように武力攻撃を受けていると判断するのか。自衛権発動の三要件が揃ったと判断するのは案件ごとに異なり、最後は首相のご判断となります」
現実問題、今回の安保法成立で、諸法律が施行され、集団的自衛権が現実化されると、ここに引用した「自衛権の発動三要件」はどう解釈変容されるのか・・・・。この小説の中での紆余曲折のやりとり以上に、拡大解釈される危惧を感じる。
この小説では、東京都内でテロ戦闘が起こり、自衛隊出動に進展した上で、テロ戦闘が終結するまでが描かれるが、7月11日の夕刻から翌12日午前3時36分までにおける戦場と化した地域における都民の側のことはほとんど描かれていない。都民の視点は捨象された上での戦闘シュミレーションとなっている。そこが作品として構成する上での限界かもしれない。
ご一読ありがとうございます。
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本書に出てくる語句から関心事項に波紋を広げてネット検索してみた。一覧にしておきたい。
自衛権 :ウィキペディア
憲法と自衛権 :「防衛省・自衛隊」
集団的自衛権 :ウィキペディア
排他的経済水域 :「コトバンク」
防衛省・自衛隊の組織図 :「自衛隊静岡地方協力本部」
駐屯地・組織 陸上自衛隊の部隊配置 :「陸上自衛隊」
装備 :「陸上自衛隊」
日本のテロ対策 :「YAHOO JAPAN! ニュース」
マンハッタン計画 :ウィキペディア
東京都東京ヘリポート :「東京都」
隅田川流域河川整備計画の概要 pdfファイル :「東京都建設局」
東京都 水防災総合情報システム :「東京都」
XRAIN XバンドMPレーダー雨量情報 :「国土交通省」
3分でわかる、サイバー攻撃最新動向 :「TREND MICRO」
サイバーテロ :ウィキペディア
携帯式防空ミサイルシステム :ウィキペディア
91式携帯地対空誘導弾 世界初イメージホーミング :YouTube
PK machine gun 7.62-mm :YouTube
CZE CZ75 [自動拳銃] :「MEDIAGUN DATABASE」
CZ 75 : YouTube
CZ 700 M1 :「SNIPER CENTRAL」
集団的自衛権の行使容認 :「MEDIA WATCH JAPAN」
集団的自衛権に関するトピックス :「朝日新聞」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『生存者ゼロ』 宝島社
この作品も自衛隊の出動をテーマとした小説である。それも東京都内に中隊規模で潜入し戦術兵器を携えたテロ組織の攻撃を受けるという設定での戦闘シミュレーション・シナリオである。読み始めるとかなり破天荒な想定と思えて、馬鹿らしさを感じる側面があるかも知れない。だが読み進めていくと、おぞましいリアル感が湧いてくる作品に仕上がっている。
勿論、この前提となっている様々な条件が、現実的にどこまで組み合わせとして成立し、この事態が発生するかの評価によって意見が分かれるだろう。このシミュレーション・シナリオが荒唐無稽の机上の空論、小説の中だけのバーチャルワールドなのかどうか、それを考えてみるためにも、本書を読んでいただくとよい。この極端と思える事態に対処する日本の政治関係者、自衛隊、マスコミなどの反応と対応、彼らが組み立てる論理や思考のプロセスなどの描写場面に、このシュミレーションの考えるべき局面が潜んでいると思う。日本の実態を考え直す思考実験という側面は一読の意義がる。
この作品が出版される2ヵ月前の2014年5月15日午後に、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が報告書をまとめている。憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使についての提言が公式にこの時に為された。それから、今や集団的自衛権の行使について、不明瞭な領域があるままで、安全保障関連法案が衆参両院で押し切られ、2015年9月19日に安保法が成立した。改正された諸法律が施行されれば、集団的自衛権の行使は現実のものとなる。おぞましいかぎりだが・・・・。
この小説は、同じ時期に、それ以前の段階での日本国土内での緊急事態発生に焦点を絞り込んだシュミレーションをしているのだ。足許に潜む暗闇の想定である。
さて、この小説のタイトルはどこに由来するのか?
第4章に次の記載がある。「ハン。これが私のチームだ。戦力ではお前の部隊に及びはしない。おまけに、何の準備もない我々は、ゼロから戦いを始めることになる。半島の精鋭をゼロが迎撃する」(p342)これが「ゼロの迎撃」というタイトルにリンクするのだと思う。
私のチームとは? ここで私というのは真下俊彦、自衛隊の情報本部統合情報部に所属する三等陸佐の情報分析官である。真下がその情報分析能力を駆使して、東京都内で発生したテロ組織への対処に対する方策具申の中核とならざるをえなくなった時点で、チームが編成される。わずか4人のチームが何の準備もないところから、現在進行中のテロ行為事態に対処する情報収集と分析活動を繰り広げる。そして内閣総理大臣や関連大臣並びに自衛隊トップや情報本部幹部などへ報告し、対策具申を遂行していくのである。そして、対処の一環として自ら阻止行動に踏み出す。
後の3人とは統合情報部所属で情報分析に専念する岐部三等陸尉、情報本部総務部所属で退役間近い調整官の寺沢陸曹長、そして東部方面隊第一師団所属で、レンジャーである高城和久三等陸曹である。高城は真下の行動に対して護衛的役割を兼ねて戦闘員として急遽配置されたのだ。
この小説は後半でこの真下チームが何をなし、どういう行動を重ねていくかを中軸にして戦闘ストーリーが展開する。この4人の思考や思いの描写が一つの読ませどころになっている。
ストーリーをスタートラインに戻す。
7月7日午前2時、南浦港近隣のピバゴッ基地を中国漁船に擬装した200トン型の貨物船白村号が改造されたヨノ型潜水艇を伴い出港する。白村号には、平壌防御司令部のハン大佐及び彼の訓練育成した中隊200名が乗船し、戦術兵器が積み込まれていた。黄海上で中国漁船団に紛れ込み、太平洋に出た後、白村号は漁船団から離れ、紀伊半島南東沖、日本の排他的経済水域200海里すれすれの公海上に至る。
7月9日、午後9時30分。強力な台風が日本に接近している中で、外洋型底開式(ていかいしき)土運船<第34中野丸>と合流し、白村号から中野丸に部隊と積荷を積み替える作業を行う。台風接近下の荒海での積み替え作業中に事故が発生し、積荷の一部と20名の兵士が水没する。だが、180名の精鋭が台風接近状況に紛れて易々と東京湾に潜入してしまうのだ。
一方、7月11日午後2時13分、真下俊彦は、子宮体癌手術のために入院した妻・智恵子に付きそうために、自衛隊中央病院に居た。真下は情報本部統合情報部から、東部方面総監部への異動の下令を受けていたのだ。だが、「大至急市ヶ谷に出頭せよ」との緊急メールを受信する。それは防衛省の主要メンバーが省議室に集まった会議に出席させられるためだった。その会議では、7月7日に防衛省が大規模なサイバー攻撃を受け、日本近海の警戒システムに6時間の障害が発生したこと。ビバゴッ基地を光学衛星が撮影した写真で、西海艦隊の貨物船とヨノ型潜水艇が姿を消していること。大連湾漁港から出港した20隻の外洋漁船団が台風9号の接近下で太平洋に足を延ばすという不可解な行動を衛星が補足していたことなどが報告される。その後の情報で、大連へ帰港する船団の船数が一隻減っていること。カシミール地方での武力衝突におけるテロ組織の正体は、半島で何者かに編成された特殊部隊の仕業ではないかという情報が入ったことなどの情報がさらに説明される。その会議で、諸情報を総合的に分析した真下は我が国が襲われるリスクという懸念を発言してしまう。そして、この会議の終了後、真下は異動の取消を宣告されてしまうのだ。この会議で提示された様々な情報を踏まえて、まずはたしかな情報を分析して上げろという命令である。
真下は、まるで知らなかった妻の病状を知らされ、妻への慚愧に苦悩する私情にとらわれつつ、情報分析官としての能力への矜持と公務へ義務感・責任感の遂行に邁進していく。
7月11日、午後5時10分、川崎港の京浜運河沿い、産業廃棄物処理業の水江興産のある埠頭に中野丸は着岸する。ハンは180名の中隊を5つの小隊に分割し、任務を指示してそれぞれが配置に就くように命じる。ハンの冷酷で周到なテロ戦略構想が開始される。
7月11日、夕刻から防衛省、警視庁、外務省のHPとサーバーがサイバー攻撃を受ける。そこに「明朝までに東京を壊滅させる」というメッセージが流されたのだ。そして、午後5時30分頃、丸の内1丁目のやまと銀行本店で大規模な爆発が起こる。羽田空港南端にある航空燃料貯蔵タンクで爆発が起こるなど、都内の6ヵ所で大規模な爆発が発生する。さらに、錦糸町駅北口近くの大規模再開発地に建つセレブマンションの警備室から「何者かに襲われた」との緊急通報が入った後、連絡が途絶える。現地に指令を受けて出向いた巡査長が、近くのビルの低層棟からの銃撃で射殺される。占拠事件という判断で警官隊が出動するのだが、ここがテロ組織との交戦状態になっていくのだった。
法治国家日本の即応してなすすべもない状況から、事態が急速に拡大深刻化していく。 もし、このシュミレーション・シナリオが今現実化したら、この国の対応力は如何?
7月11日午後6時30分、首相官邸地下にある危機管理センターに、急遽、国家安全保障会議が招集される。この会議に、真下も予想どおり呼び出されることになる。
突如都内各所に同時多発的に出現した破壊行為と謎のテロ組織に対して、どう対応すべきか? テロ行為説否定から始まる楽観論や戸惑い、招集された個々人の場違いな思惑や錯綜した情報に対する戸惑い・・・・混乱した会議の状況場面が始まって行く。まさに誰も想定しなかった事態が発生しているのである。このあたり、現日本の実態のシミュレーションではないかというリアル感に襲われる。異なる次元の危機的状況だったのだが、福島第一原発爆発事故の際の、首相官邸地下の危機管理センターにおける会議の錯綜状況が、ここの描写にオーバーラップしてくる思いがする。第1章の後半で描写される最初の会議は、かなりリアル感がある。
この会議で、真下は、習志野駐屯地の特殊作戦群の部隊への治安出動待機命令を進言する。部隊を乗せたへりを羽田空港から離れた東京テレポートに向かわせるべきと提言する。しかし、それはヘリが打ち落とされ部隊が全滅するという最悪のスタートとなる。真下は初っ端から、己の情報分析の甘さと事態の深刻さを思い知らされるのだ。
国家安全保障会議のメンバー間での事態に対する認識ギャップと対応策への困惑状態、一方、ハン大佐による冷徹なテロ作戦の遂行と戦闘推移状況の判断が、判然としたコントラストを生み出している。テロ組織の精鋭部隊に対して、警察力での対応が不可能とわかるや、自衛隊の出動要請へと事態が進展していく。このステップアップに法的制約、障害が何か、それにどう克服対処できるかの論議が描き込まれている。このあたり、一つのシミュレーション、論理の展開として興味深い。
ハン大佐の沈着なテロ部隊への指令の一方、ハンの個人的な側面に関わる本国での事態が同時進行していく。ハンの内心の描写は、軍人としてのハンの思考とのコインの両面となり微妙な影響を及ぼしていく。
著者はハンにこう語らせている。「日本の防衛システムの欠点は、水際での撃退のみを想定していることだ。つまり国内に敵が侵入した後の本土、特に大都市における陸上戦闘を考慮していない。市街戦を想定した上で、国民の犠牲を議論することから彼らは逃げた」と。
この指摘は、現実問題どう認識され、想定されているのだろうか・・・・。
この小説は、攻撃側のハン大佐の冷徹な戦略構想のもとに、テロ戦闘が拡大進展させる様相をハン大佐の抱える内面描写ともに描くストーリーの展開が一つある。自衛隊の出動までの紆余曲折を経て、出動が決定される。それから真下が情報分析の中核となり、4人のチームがテロ戦闘事態に対する敵の究明と対応方策の分析、具申としての行動を描くストーリーの展開がもう一つある。この2つが同時進行していく。ストーリーは緻密な構成になっている。
テロ戦闘の進め方、進展の仕方などを情報分析し、真下の頭脳に蓄積された膨大な情報の中から、ある戦略論の論文が結びつくことで、テロ組織のリーダーがハン大佐であることを割り出していく。それからは、ハン大佐ならどう考えるかという想定での情報分析に進む。そして、真下とハンの対決というクライマックスへとストーリーは展開する。
この小説の設定で、大変興味深いのは、真下が具体的に行動を開始する時点において、事の成り行きから、真下が署名した辞表を倒幕長に差し出してから、4人のチームが結成されるというストーリーになっている。これは何とも、実に日本的な組織の動きと思われる。これ自体が実に興味深い設定だと思う。
テロ戦闘の戦場が終結した2週間後の状況が「終章」として描かれる。
この最終章の落とし所は実に巧妙である。真下とハンを視点を軸にしながら描かれてきた巨大台風が日本本土に到来する中での戦闘行為の意味が何か、それが別次元の解釈に止揚されていく。う~ん、と唸りたくなるエンディングでもある。
もう一つ、付け加えておきたい。戦術武器を携えた精鋭部隊がテロ行為に及んだならば、現在の警察の装備力では対処できないのは、素人でもわかる。法治国家における警察組織の役割は違うから当然であるだろう。この小説での考えさせどころは、日本における自衛隊の出動についての法的手続きという側面である。上記国家安全保障会議の場はその討議にウエイトが置かれて、様々な考えがぶつかり合う場面、そこに個々人の思惑が絡んだ発言と思いが描写されている。この小説の基盤にあるのが、この討議のストーリー展開だろう。この小説が一つの事例研究的なシュミレーションになっている側面だと思う。
この側面について、p146に著者はこんなやりとりを書き込んでいる。引用しておきたい。
「先ほどの須藤長官の意見についてだが、自衛権の発動三要件についてはどうだ。発動の三要件は揃っていると思うかね」
「憲法第九条下で認められる自衛権発動の三要件は、一つ、我が国にたいする急迫不正の侵害があること。二つ、この場合、これを排除するために他の適当な手段がないこと。三つ、必要最小限度の実力行使にとどまるべきことです」須藤が一旦言葉を切った。「第七十六条に言う<<武力攻撃>>とは一般に、我が国にたいする組織的計画的な武力の行使をさします。その発生時期については、基本的に武力攻撃が始まったときです。では、どの時点で相手が武力攻撃に着手したかについては、相手国の明示した意図、攻撃の手段などをもって、個別具体的に判断すべきとされています。つまり、どの時点でどのように武力攻撃を受けていると判断するのか。自衛権発動の三要件が揃ったと判断するのは案件ごとに異なり、最後は首相のご判断となります」
現実問題、今回の安保法成立で、諸法律が施行され、集団的自衛権が現実化されると、ここに引用した「自衛権の発動三要件」はどう解釈変容されるのか・・・・。この小説の中での紆余曲折のやりとり以上に、拡大解釈される危惧を感じる。
この小説では、東京都内でテロ戦闘が起こり、自衛隊出動に進展した上で、テロ戦闘が終結するまでが描かれるが、7月11日の夕刻から翌12日午前3時36分までにおける戦場と化した地域における都民の側のことはほとんど描かれていない。都民の視点は捨象された上での戦闘シュミレーションとなっている。そこが作品として構成する上での限界かもしれない。
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本書に出てくる語句から関心事項に波紋を広げてネット検索してみた。一覧にしておきたい。
自衛権 :ウィキペディア
憲法と自衛権 :「防衛省・自衛隊」
集団的自衛権 :ウィキペディア
排他的経済水域 :「コトバンク」
防衛省・自衛隊の組織図 :「自衛隊静岡地方協力本部」
駐屯地・組織 陸上自衛隊の部隊配置 :「陸上自衛隊」
装備 :「陸上自衛隊」
日本のテロ対策 :「YAHOO JAPAN! ニュース」
マンハッタン計画 :ウィキペディア
東京都東京ヘリポート :「東京都」
隅田川流域河川整備計画の概要 pdfファイル :「東京都建設局」
東京都 水防災総合情報システム :「東京都」
XRAIN XバンドMPレーダー雨量情報 :「国土交通省」
3分でわかる、サイバー攻撃最新動向 :「TREND MICRO」
サイバーテロ :ウィキペディア
携帯式防空ミサイルシステム :ウィキペディア
91式携帯地対空誘導弾 世界初イメージホーミング :YouTube
PK machine gun 7.62-mm :YouTube
CZE CZ75 [自動拳銃] :「MEDIAGUN DATABASE」
CZ 75 : YouTube
CZ 700 M1 :「SNIPER CENTRAL」
集団的自衛権の行使容認 :「MEDIA WATCH JAPAN」
集団的自衛権に関するトピックス :「朝日新聞」
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『生存者ゼロ』 宝島社