遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『はなとゆめ』  冲方丁  角川書店

2014-09-13 09:10:35 | レビュー

 「春は、あけぼの」という『枕草子』の第一段冒頭の有名な章句が、本書の巻末の章句となっている作品である。主人公は、清少納言。歌人・清原元輔の娘である。
 この作品は、清少納言が晩年に一条帝の妃である中宮・定子の女房として朝廷に仕え、一条帝と定子の純愛の有り様を傍近くで眺め、関わった事を軸に、当時の朝廷の政治や人間関係を含む諸事の中で過ごした時代をふり返るというスタイルで展開されていく。

 人の美しさ、栄光、誇りといった「華」はいつかは失われる。華が輝かしいほど、失われたときの空虚さは耐えがたいという摂理には納得できる。しかし、だから「華」を求めなければよい、という考えには納得できないというのが清少納言の思いである。
 「華」を求めたいと思っていた清少納言は、中宮定子の女房として朝廷に仕えることができ「華の時代」を過ごせたのである。それは、中宮定子の途方もない華、つまりあるじの華麗な日々、その華から女房として仕える清少納言にもささやかな華が与えられることになったという実感、その幸運の日々を実に肯定的にふり返るストーリーである。
 「わたしのこころでは今も、あの御方の華が息づき、輝きを続けています。かつて過ごした日々を思うたび、わたしは自分の幸運を噛みしめるのです。あの御方のおそばにいられた幸運を。華の中にいた日々を」(p6)

 この作品は清少納言が女房として中宮定子の許に出仕したときの小心な心細い思いと行動の描写から始まり、定子の信頼を得て己の「華」を輝かせていく経緯、一方で失敗談、苦境などを語りながら、定子の許での清少納言の人生の時期を中心に描いて行く。
 清少納言が主人公ではあるが、その生き様は中宮定子が清少納言に期待した思いの反映でもあり、中宮定子が清少納言にどのような影響を与え続けたのかという観点に立つと、中宮定子がこの作品の主人公であるとも言える関係になる。それを拡張すれば、一条帝と中宮定子が1枚のコインの表裏として、この二人が主人公だとも言える。定子の途方もない華に触れて、清少納言が華を得たという関係にあり、その関わりの中で語られていくからである。

 このストーリーの展開とパラレルに、なぜ清少納言が『枕草子』として現存するあの内容の作品を書いたのか、なぜあのような形になったのかを語っていくプロセスが織り込まれていく。この作品を読むことで、単に代表的古典として受け止め、教科書で抜粋的に内容を知り、学び、超有名なフレーズだけ覚えていた『枕草子』に、おもしろさの溢れる内容が含まれるものとして親しみを感じ始められたのは、一つの大きなメリットである。少なくとも『枕草子』の現代語訳を通読してみようか・・・・そこから始めようかという気にさせてくれた。
 本書の序の末尾に、著者はこう記す。「かつての幸運を心にとどめ、その輝きを損なわず、書きつづることができるのか、と。あの御方の華を通して見た、千年の夢への思いを。」(p7)つまり、『枕草子』は中宮・定子の思いとその華を具象化して示し、定子に捧げられた書なのだ。
 なぜ『枕』という名称なのか? この名の起こりをこの作品はこんな会話のプロセスで決まったこととしている。ある時、定子の兄・藤原伊周(これちか)が一条帝と中宮定子に真新しい上質の紙を贈り物にしたという。定子は女房たちに「よいものを頂いたわ。でもこんなにあって、何に使えばよいのかしら?」と語る。感動をこめた「実に素晴らしい品でございますね」という清少納言の言に対し、定子は「帝は、これと同じ紙に、『史記』という書物を写してお書きになるそうよ。わたくしの紙には何を書けばよいと思う?」と清少納言に問いかける。「それでしたら、『枕』というところでございましょう」と清少納言。「では、あなたがもらって」と中宮がおっしゃったのだ・・・・と。こんなところから、書くべきものの表題が『枕』となったのだと。実におもしろい!
 この意味、如何? ここの場面は、第三章「草の庵」の三、p155~157をお読みいただくとよい。そして同章の六も。楽しみは残しておこう。
 子を身ごもった清少納言が内裏を下がる前日のエピソードとして書き込まれている。

 本作品のストーリーを織り上げていく糸にはいろいろな色目がある。その様々な色目が濃淡様々な華麗な図柄や悲劇の図柄を織り上げていく。こんな観点(色目)がストーリーに織り込まれていく。
*花山帝の生き様と一条帝の皇位継承による皇統の意味合い。
*一条帝(11歳)の許に、藤原道隆の娘・定子(14歳)が入内する。定子は一条帝より3歳年上だった。定子は漢書の素養も持つ知的な人で、一条帝との間で「純愛」を育んでいく。
*一条帝の生き方。
*関白道隆のわが世の状況及び息子・伊周、隆家の出世と失脚の経緯。
*道隆の弟であり、末子だった道長の状況と道長のわが世への準備と画策。
*藤原行成の果たす役割。
*清少納言は女房としていくつかの屋敷で働いた後、定子が一条帝の許に入内した3年後に、定子のもとに28歳のときに出仕した。それ以来、中宮定子が薨じるまで宮仕えをする。その期間の中宮定子の華麗で波乱の人生が、清少納言の波乱の宮仕えとともに語られる。定子の出家と還俗、そして出家中の出産および還俗後の出産。出産に伴う死。一方、清少納言の女房勤めの勤務拒否・引きこもり。
*清少納言と宮中での諸貴族たちとの人間関係、それを見つめる周囲の女房たち
*清少納言はその人生で3人の夫を持った。その経緯。
  →最初の夫・橘則光との生別。その後、友人的関係は続く
   二人目の夫・藤原信義。このときに、定子のもとに出仕。病気により死別。
   三人目の夫・藤原棟世。父元輔の友人。女房仕事を辞め朝廷を去った後。死別。
*朝廷の組織と体制、位階の有り様。政治絡みの人間関係。貴族たちの日和見など。

 これらの観点がストーリーとして巧みに織り交ぜられていくので、当時の内裏の状況がイメージとしてわかりやすい。平安時代の貴族社会と政治の有り様が、清少納言の視点を介してであるが総合的に理解できる。平安時代を感覚的に知るには大変おもしろいし有益である。清少納言に一歩近づけたのが大収穫である。才媛清少納言、紫式部の批判という独り歩きのイメージから親しみを感じられるものに少し転換した『枕草子』が一歩身近なものになった。


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本書と関わる事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。

花山天皇  :ウィキペディア
花山院乱闘事件 → 長徳の変 :ウィキペディア
一条天皇  :ウィキペディア
一条天皇  :「千人万首」
藤原詮子  :ウィキペディア
藤原定子  :ウィキペディア
藤原定子  :「千人万首」
藤原道隆  :ウィキペディア
藤原道隆は、古典の中で「中関白殿」と呼ばれますが、なぜ「中」なのですか?
  :「YAHOO! 知恵袋」
藤原道長  :ウィキペディア
「藤原氏同士の権力争い(中編)」(986~996年):「進学スクール ステップ1」
「藤原氏同士の権力争い(後編)」(996~1018年):「進学スクール ステップ1」
エピソード 藤原彰子と藤原定子 :「エピソード日本史」
藤原行成 :ウィキペディア
平安の書家 藤原行成 :「書道ジャーナル研究所」
白氏詩巻 藤原行成筆 国宝 :「東京国立博物館」

官職一覧表(律令制) :「進学スクール ステップ1」

清 少納言~特選“枕草子”:「文芸ジャンキー・パラダイス」
原文 『枕草子』 全巻 :「青空のホームページ」
枕草子(原文・現代語訳) :「学ぶ・教える.COM」



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この読後印象記を書き始めた以降に著者の作品を読み、書き込んだのは次の作品です。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。

『光圀伝』 角川書店


余談ですが、作品に出家した花山と争う場面で登場する藤原隆家については、葉室麟氏の次の作品を読んでいます。こちらも藤原隆家という人物の違う側面が楽しめます。

『刀伊入寇 藤原隆家の闘い』 葉室 麟  実業之日本社