老いて楽しく

余生を楽しむ

男の食彩 1

2014-05-24 15:24:44 | 日記
蕎麦打ち

 小生無類の麺好き、米のご飯は1週間食べなくても平気、だが麺類は欠かせない、麺類と言うよりは、小麦粉製品が好きなのかもしれない、饂飩 蕎麦 すいとん スパゲッテイ パン 兎に角小麦粉製品なら何でもいい。
 倅に言わせると「炭水化物」ばかり食ってるな言う、もっと他の物も食わなければ健康に良くないと忠告を受ける、だが麺を食べ続けて、80歳以上元気に生きてきている、あと余命幾許もないから、好きなもを食っていこうと思う。

 此の麺好き根拠は小学生時代に有るのかも知れない、小学6年生の時に東京空襲が激しくなり、学童疎開で山梨の祖父の家に預けられた、その後一家全員疎開してきた、戦中 戦後の食糧難時代だったが、親類の農地が数反歩空いていて、田圃はなかったが、畑を父親が耕し、麦 キビ 野菜を栽培して食糧補給をしてくれた、小麦を多く栽培し1年分まではなかったが、石臼で小麦を挽いて夕方になると、お袋が麺打ちをする、季節によって冷たい麺で有ったり、すいとんであったり、冬は何と言っても山梨名物「ホウトウ」だ、ホウトウに就いては後述するが、「門前の小僧 習わぬ経を読む」でお袋の麺打ちを見よう見まねで覚えてしまった。

 山梨名物「ホウトウ」は、武田 信玄が出陣した時に、何時敵に襲われるか知れないので、時間短縮の為、麺を茹でて汁に入れるのは時間の無駄と、具沢山の味噌汁へ打ち立ての生麺を直接味噌汁へ放り込んで煮て、戦時の緊急臨戦態勢に備えた、だがこれが打ち粉が汁にとろみを加え、体も温まり
大変旨かった、これが山梨全体に広がり、「美味い物なら南瓜のホウトウ」と山梨名物になった、時代は言葉も替えるか、最近は「美味いもんだよ南瓜のホウトウ」と言うらしい、ばかげた言葉に変わったものだ。
 大きな鉄鍋で煮込んだホウトウの残りは、翌朝は煮凝りの様に固まっている、これを火に掛け溶かし、温かいご飯に載せて食べると格段に美味い。
 最近うどん屋でホウトウを出すが、幅広茹で饂飩を味噌仕立てにしたもので、本物ホウトウには似ても似つかぬ偽物を食わせている。

 父親が蕎麦も栽培して収穫も有った、饂飩と蕎麦とは水の温度 配分も違う、饂飩より蕎麦打ちの方が数段難しい、こんな事も子供心に習得して行った。

 もう10年ほど前になるだろうか、三芳町に「蕎麦打ち道場」と言うのが有って、友人に誘われ4~5回通った、ここでは蕎麦粉8小麦粉2の割合の二八蕎麦、これに熱湯を注ぎ、火傷するので冷える迄箸でかき回す、あとは丁寧に水廻しをして捏ねて行く、臍出しをして、此の臍出しと言って真ん中を尖らすのだがその意味が未だに不明、それでも指導を受けながらなんとか打ち上げ、家に持ち帰って茹で上げて食べたら腰があって喉越しも滑らか美味いそばが打てた。

 一昨年2月に50人ばかりのバスツアーで忍野八海辺へ旅行した、山中湖近くの店だったろうか、5~6人のグループに分かれ蕎麦打ちが有った、ここも2~8蕎麦だったが、その地方に依り、熱湯で捏ねるのか、冷水で,捏ねるのか大変な違いが有る、店の人に熱湯で捏ねるのではないかと言ったところ「熱湯で捏ねたらその場で蕎麦粉が煮えてしまうと一蹴された、冷水で捏ねる、三芳の道場とは眞逆だ、グループの中で水廻し、捏ねが出来る人が居なくて小生が水廻しから捏ね 延しを一手に引き受ける、厚み2mm程に均一に延すのは難しい、均一にいかない上に時間がかかると端に皹か亀裂が入る、これが出たら蕎麦打ちは失敗である、均一に打ち上げ切るのも全部済ませ、各人にパックに分ける、家に帰って茹でてみたら千切れ易く腰がなかった。

 小生の感想では、三芳の蕎麦打ち道場の熱湯で捏ねるのが正解と思う、因みに我が母親が饂飩を打つ時は、ぬるま湯を使っていた。





 麺打ちは始めは難しいようだが、慣れてきて少し麺らしいものが出来るようになると、中々楽しいものである
仕上げは上々に出来た時は打ち上がった麺も美味く出来ている
 
 

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